二十四話:癒やしの光
「……で? それが本当だとして、何が違うんだ」
魔法と聖法術。そして魔力と聖法力だったか? その違いが俺には分からん。
そう言ってやったつもりだが、ベアトリスは動じることなく話し出す。
「言葉で説明できるものではありません。まずはその目で見て貰います」
ベアトリスは机の引き出しから、小ぶりなナイフを取り出した。
「聖法術には癒しの力が備わっています。これは魔法にはないものです」
「少ないけど、癒しの力で聖人になった者もいるってさっき言ってたな。それのことか?」
「ええ、見ていてください」
ベアトリスはナイフの刃の上に指を置き、一息に滑らせる。
すると、当然ながら皮膚は切れて、親指の腹には薄く赤い線が走っている。
「これが、聖法術のもっとも分かりやすい使い方です」
ベアトリスがそう言うと、指がほのかに光り出す。
そこに祈りの言葉も大仰な構えもない。呼吸をひとつ整えただけ――それだけで、みるみる傷が閉じていく。
血が止まり、切れた皮膚が静かに寄って、さっきまであった赤い線だけがするりと消える。
これを俺は見たことがある。リネットが悪ガキに使っていた、あの光か?
「……リネットも聖法術を使えるのか? 市場で半殺しにした悪ガキを介抱するときに使っていた」
「リネットは聖人候補です。当然聖法術を使うことができます」
リネットって思ったより重要人物じゃないか。
いや、ベアトリスもそうだ。スラムに聖人候補と、聖人漏れしたとはいえ聖導師がいるのは、どう考えても妙だった。
「なんでスラムにアンタらみたいなのがいるんだ? 国や教会の上層部が囲うもんなんじゃないのか?」
「聖導師の役目には次代の聖人候補を探し出すというものがあります。聖法力の発現に身分は関係ありません。となれば、スラムと言えども目を光らせておく必要があるというわけです」
それは……そうだな。
王侯貴族にだけ発現する力じゃないなら、探す仕組みは要る。生活に根差した教会は、その網としてちょうどいいわけだ。
「次はあなたです」
「俺?」
いきなりそんなことを言ってくるベアトリス。
そのまま手に持ったナイフをこちらへ差し出してくる。
「軽くで構いません。指を切りなさい。そして、今見た通りに傷を閉じるのです」
「いきなり本番? 力の使い方なんて分からないぞ。俺にできるのは光を出すことだけだ」
「話してコツを掴めるようなものではありません。聖法力を操る術があるのだから、あなたの言うところの光魔法が使えるのです。ならばできるはず――実践あるのみ」
……どうやら、拒否はできない感じだな。
ナイフを受け取る。これで指を切って、そこに聖法力とやらを集中させればいいってことか? でもなぁ……。
「……」
「……どうしました?」
「あ、いや……」
人を傷つけるのは慣れている。というか、慣れてしまった。
けど、自分で自分を切るとなると話が変わる。刃を指に当てて、それで引く――その動作をすることに、強い抵抗がある。
「いや、自分でやるのは……ちょっと勝手が違うかなって……」
「懺悔室では自分は男だと言っていたではありませんか? 男なのにできないのですか?」
「……自傷行為はまた別だよ」
作業中に指をざっくり切ったことくらいはある。その時は、あちゃー、やっちまったぜで済む。
けど、自分で自分を傷つけるとなると、どうしても手が止まる。
「ふふっ……」
ナイフをじっと見つめたまま動かない俺を見て、ベアトリスから微笑が漏れる。
「……なんだよ」
「正直に言います。暴力を生業とし、さらには男としての記憶があるというあなたに対して恐怖がありました。いえ、今でもあります。ですが――」
ベアトリスが俺を見る目は、なんというか、こう……生暖かい眼差しって言うのか? そういう視線だ。
「可愛いところもあるようで安心しました。どうやら理解のできない『何か』。ではないようです」
「……そうかい」
くっ、男としてのプライドが傷つく。
元の年齢で見れば同年代くらいの美人に、生暖かい目で見下ろされている。これをご褒美と言う派閥もあるんだろうが、俺はまったく嬉しくない。
なんて考えているうちに、何を勘違いしたのか手を掴まれる。
「分かりました。なら、私がやります。ナイフを渡しなさい」
「……分かった」
素直にナイフを渡すと、左手を取られたまま、指先に刃を当てられた。
「少し痛みますよ」
刃が、指先を浅くなぞる。
「っ……」
思った通りの痛みが走る。
大した傷じゃないけど、ちゃんと嫌な痛みだ。
でも、これで準備は整った。
「では」
「ああ、やってみる」
切れた指へ意識を向ける。
光を撃つ時みたいに、身体に引っかかっている何かを探る。ただ今回は焼くんじゃない。押し出すんじゃない。戻すんだ。
傷がなかった状態を思い浮かべる。繋がった皮膚、止まった血、何もなかったみたいに触れられる指先。
すると、ほのかな光が一瞬だけ灯り。
そして――傷が閉じた。
「……え?」
あまりにもあっさり傷が治った。
痕跡すら残っていない。完治している。
「どうやらできたようですね」
「いや、できてるけど……こんな簡単でいいのか?」
「あなたはもともと聖法術を使っていたのです。その向きを変えただけですよ」
向き――その言い方は妙にしっくり来た。
今までは貫く方へしか流していなかったものを、閉じる方へ回した。
それだけで、こんなにもあっさり結果が変わるのか。
「元より確信はありましたが、これで確定といったところです。あなたの力は魔力ではなく、聖法力。聖人へと繋がり得る力なのです」
ベアトリスの目は、俺を見ているようで、その先を見ていた。
期待以上のものを向けられている気がして、正直、気まずい。
だから、反射的に俺は口を開く。
「だとして、俺は俺だ。アンタが期待するような人間になるとは限らない」
拒絶するような、そんな言葉だけど、これは虚勢みたいなものだ。
俺は力を持つということが怖い。ただの人殺しの力であったはずのものが、癒しにも使えるだって? 聖人へと繋がる? それが本当に俺に成功と幸福だけを持ち運ぶと、誰が保証すると言うんだ?
そんな俺の心を見抜いているのか、ベアトリスは微笑みながら俺を見る。
「だとしても、力というものは納まるべき所に納まる。それが強力であればあるほど、流れに逆らうことなどできない。私はそう思います」
ベアトリスの目にあるものを、一つだけ言い当てられる。
確信だ。
ただ、それが何に繋がるのか、今の俺には想像することすら難しかった。




