二十二話:泥の底から学ぶ
教会に通うという日課が追加されて、一週間が経過した。
今日はまた会計の仕事でハリスの部屋に来ている。
硬貨を並べ、数えて集計し、帳面に文字を書き込んでいると、椅子にもたれていたハリスが不意に口を開いた。
「お前、最近教会に入り浸ってると聞いたぞ」
「色々と教えて貰っているよ。どうやら俺は気に入られたようで、タダで講義を受けられるんだ」
教えてくれるのはあのベアトリス聖導師とか呼ばれていた女だ。
肩書きからして偉そうだが、実際に偉いらしい。なんでも聖人候補として選ばれた者でなければ得ることのできない称号のようだからな。
「聖導師様直々の教えだ。ハリスが言っていた聖人についても理解できたよ」
「ほう? あのベアトリスがお前を気に入るとはな。堅物で融通が利かない女だったはずだが」
「そうなのか? そこそこ柔軟な思考の持ち主だと思うけど」
なんたってスラムのガキである俺にあそこで懇切丁寧に教えてくれるんだからな。堅物というイメージとは真逆だ。
「奴も何かが起きたということだ。人は変わる……ということだろう」
「まるで旧知の間柄のようだが、詮索はまずいかな?」
そう言うと、ハリスは露骨に顔をしかめた。
「当たり前だろ。お前に対して詮索をしないでやっているんだ。自分語りなんぞするつもりはない」
「一応聞いただけさ。話してくれないのならそれでいい」
まあ、その反応だけでも十分だけどな。
教会と何かあって、ベアトリスとも旧知。反応を見る限り、そのくらいは読める。
だからこそ教会のある東三条を任されているとも推測できるが、今はそれだけで十分だ。
「それで、仕事の話に戻るが、少し気になる個所がある」
時間があれば教会についてのハリスの考えを聞きたいところだが、今日はその余裕はないようだ。
計算違いも考慮して確認もしたけど、俺の計算に狂いはない。
「ごまかしっぽいものを数件見つけた」
帳簿には酒場や商店などの売り上げが書き込まれているが、あまりに不自然な金額のものがある。
スラムで生き残っている店だ。最低限どれくらい売らなきゃ回らないか、その辺はこの仕事で見えてきている。
売り上げに一割二割程度の差ならまだ分かるが、五割も他と差があれば、明らかに変だ。
「抜いてるのか?」
「ああ。だが……恐らく理由がある」
印をつけた帳面をハリスの前へ寄せる。
さらに、東三条通りの地図の上に印を付けた店のある場所にコインを置いていく。
すると見えてくるものがある。
「ほら、印を付けた店はそこそこ治安が悪い一角だ。組織の縄張りにあっても外に面しているだろ? となると、用心棒代の二重取りが考えられる」
「……ほう」
「国境地帯と同じさ。どっちにもいい顔をせざるを得ない。頼りになる組が先にいるから、お前んとこはいらねえ、って言える勇気がないんだろ。だから表向きは従って、裏で別口にも払ってるのかもな」
ハリスは帳面を見たまましばらく黙り、やがて顔を上げた。
「教会ではそんなことまで学んだのか?」
「いや、これは自前の知識だよ」
そう言ってやれば、ハリスの俺を睨む視線が強くなる。
「……だから怖いんだよ、お前は。得体の知れないガキって、自分で分かってるのか?」
「自覚してるさ。その上で、あんたの子飼いになってる。恩は感じてないが、感謝はしてる。拾い上げてもらったからな」
これは正直な感想だ。お互いに利用しあう関係とはいえ、感謝は当然ある。
そんな俺の気持ちを出してやれば、ハリスは一瞬だけ黙った。そしてなんとも複雑な表情をしながら憮然と口を開く。
「そうか……となると、それらの店には顔出しして話を聞いたほうがいいだろう。縄張りを侵されているとなれば、黙ってはおけない」
「また抗争か? 命の取り合いはあまりしたくはないんだけどな」
「それは相手次第だ。この件が本当に誤魔化しではなく、お前の言う通りだったらまた給金をはずんでやる」
「人をやる気にさせるのが上手い奴だな。……っと、じゃあこれで終わりかな?」
今日も午前中に会計の仕事は終わりだ。
となると、飯食ってまた午後は教会でお勉強となるが――。
「シエラとアレンも教会に連れて行っていいか? あいつらには教育を受けさせてやりたいんだが」
それに気分転換にもなるはずだ。アレンは外で訓練を受けているようだが、シエラは屋内に閉じこもっているのと変わりない。少しくらい外に出してやらないと。
そう思っての発言だったが、ハリスの反応は――。
「あの嬢ちゃんは構わんが、アレンは駄目だ。奴には期待している。無駄な教えは必要ない」
予想外の言葉が返って来た。
アレンが強くなっているのは知っているが、そこまで入れ込んでいるってのか?
「あの小僧にはとんでもねぇ才能がある。殺しという意味じゃない。純粋な意味での戦いの才能がな」
「強くなっているのは知っているけど……そんなにか?」
「金払って戦闘訓練を受けさせてるんだが、その担当者が惚れ込んじまってな。今じゃ金はいらねえから俺に教えさせろって張り切ってる」
――どおりで強いわけだ。悪ガキ三人組を相手にした時、ただ勢いで動いたんじゃないとは思った。けど、まさかそこまで買われているとは思わなかったぜ。
「まさかそんなことになっているとはな……それなら教会行きは駄目か」
「そんなことさせる暇があったら稽古を積ませるほうがいい。それと、担当者は金はいらねぇとはいうが、本当に金を支払わずに済ませるのがいいと思うか?」
なんだこの質問? これも何かのテストか?
まあ、今の俺の考えをそのまま言ってやるだけだ。
「……思わないな。金を払っているからこそ、注文を付けることができるんだから」
「そうだ。スラムではタダより高いものはない。……よく理解しておけ」
何やら含みを感じるが、そりゃそうだろ――としか言いようがない。
タダ働きをするのも、させるのも危うい。そこが曖昧になると、関係性も仕事の領分も崩れるからな。
教会くらいじゃないか、それができるのは? ……まあ、だとしても何か思惑はあると思うけどな。善意だけで俺を学ばせてくるとは微塵も思っていないさ。
「おうし、じゃあこれで終わりだな。俺はさっそくお前が探し出した店に行ってくるとする。お前も自由に行動しろ」
ハリスに追い払うみたいな手振りをされ、俺は椅子から降りた。
退室するまえに、扉のところで振り返る。
「じゃあ、シエラを連れて行ってくる。アレンは残念だけど諦めるよ」
「聞き分けがよくて結構。せいぜい学んでくるんだな」
部屋を出て、薄暗い廊下を歩く。
教会で学べることがどこまで役に立つのかは、まだ分からない。
けど、少なくとも今の俺は、ただ泥の中を這ってるだけじゃない。帳面を読み、金の流れを見て、教会で文字や仕組みを覚えるところまで来た。
奈落の底から見れば、十分すぎる進歩だ。
その先へ行けるかどうかは、また別の話だが……。




