二十話:懺悔室へ
ハリスと話した翌日、俺は一人で東三条通りへとやってきていた。
仕事は休みでやることはない。となれば有言実行。教会に話を聞きに行く。
教会は、市場の端にある。
白と黒の布が掛かった外壁で簡素な造り。決して立派というわけじゃなく、金の匂いがする建物でもない。
けれど、東三条の泥と腐臭にまみれた建物の中に混じると、それでも十分に整っていた。
しかし、スラムの教会だからなのか壁は削れているし、木の扉だって新しくはない。
言ってみればそれ相応。ハリスと話した限り人間の欲望の詰まった組織であるらしいが、この建物からはむしろ清貧さが見て取れる。
その証拠に、通りに面した石段は丁寧に掃かれているし、スラムの淀んだ空気とは違う静謐さに満ちている。
教会、宗教、王国――その辺の構造は有機的に繋がっているらしいが、だからこそスラムの住人でもおいそれと手出ししない証左とも言えるか。
そう考えると、余計に興味が出る。教養を知るという以外にも、この世界の力関係を推測する材料になるだろう。
俺はそのまま扉を押して、中へ入った。
教会の中は静かで、厳かな雰囲気がある。床は磨き切れていないが、少なくとも外の泥は引きずっていない。
木の長椅子、壁の印、簡素な祭壇。まさに教会だ。こういうのは世界が違っても同じらしい。人間が求めるものが同じなら、形も似てくるのかもな。
で、問題があるとすれば物ではなく人だ。この部屋の中に、前に見た顔がいた。
「……あなたは」
黒と白の修道服を着た金髪の少女が、すぐに俺へ気づく。
俺を見た瞬間に、表情が明らかに硬くなるのは悲しい限りだ。
まっ、警戒されるのも仕方ないけどな。
「ここへ何をしに来たの? 暴力は教会ではご法度よ」
いきなり釘を刺されるが、そんなことをやりにきたんじゃない。
俺は両手を挙げて無害を示しつつ、ゆっくりと教会の中を歩いていく。
「見ての通り暴力をするつもりはない。ちゃんとした目的があってここに来たんだ」
「目的? お金ならここには少ししかないわ」
いや、少ししかないって……そこはないと答えるところだろう。
どうやらこの少女は正直者のようだ。スラムにはどう考えても似つかわしくない。
でもまぁ、そこが面白いとも言えるか。正直になれるだけの理由があり、守られている証拠ってわけだ。
「金じゃねーよ。神様の有難い教えを聞きにきたんだ。そういうのは教会の仕事だろ?」
「説法を聞きに? あなたのような暴力の徒が?」
「暴力の徒って、そこまで言うか? スラムで生きるからこうなっただけで、本来の俺は穏健主義だし、教養を得たいと思う勤勉な人間なんだぜ」
「だとしても不適格ね。人をあそこまで痛めつけられる人に神の教えは不要でしょ。むしろ神の名を利用して喜々として暴力を振るいそうだわ」
修道女の厳しい視線が刺さる。
完全に信用を失っているな……少しやり過ぎたか? いや、そんなことはない。悪ガキを半殺しにしたのはスラムでは正解のはずだ。
なら違う方向から攻めてみようか。
「だとしても、懺悔をする機会すら与えてくれないのがこの教会なのかい? よくそれでスラムで信徒集めなんてできるもんだな」
「スラムに教会があるのは主に救貧のためよ。誰もが望んでこの地区にいるわけじゃないわ。少しでも彼らがこんな場所を抜け出すための手助けをしたいだけ」
「そりゃご立派だ。だが、それなら俺にも手助けをするのが筋じゃないのか?」
「あなたは駄目ね。あまりにも血に飢えていて、教えを授かっても改心なんてするわけないじゃない」
こりゃあ平行線が続きそうだ。
個人的な好みでいうなら、この修道女の主張には賛成できる。クズは生涯クズであると決めつけはしないが、クズを真人間に戻すコストを考えたら無駄が多い。
となれば、ちょい悪に染まってしまった人たちを引き上げるほうがコスパがいいはずだからな。
だが、それでは俺が困る。話を聞けないじゃないか。
と、どうやって話を聞かせてもらえるか考えていると、奥の扉が開いた。
「教会の門は、誰にでも開かれています。リネット。正義感だけでの決めつけをするべきではないと教えたはずですよ」
そんな落ち着いた声で割って入ってきたのは、厳かな雰囲気をまとった三十代半ばくらいの女だった。
修道女――というには、服装が豪華というか、格が明らかに違うのが分かる。服装は同じ系統でも、立ち姿の密度が違う。落ち着いた声の置き方だけで、この教会で上にいる人間だと分かった。
「ベアトリス聖導師! そうは言いますが、この者は何の痛痒もなく暴力を振るうような人ですよ! セラフィナ教会の教義とは正反対の精神性の持ち主です」
いきり立つように声を荒げるリネットと呼ばれた修道女。
彼女を嗜めるように、ベアトリス聖導師と呼ばれた女が口を開く。
「だとしてもです。それに懺悔をする機会とこの方は話していました。ならば教会はそれを受け容れるまでです」
「……でも!」
「聖祖セラフィナは対話こそが至上であると教えています。教会の者が教えに反してはなりません。いいですね?」
「……はい」
不承不承ながらもリネットは口を閉じた。
教義か何かにあるのかね? でもまあ、対話が至上であるかはともかく、重要であるってのには賛成だな。
でも、あとで蒸し返されたら困るから、軽いジャブを放ってみるか。
「たとえ、俺みたいな人殺しでもその教えとやらは有効なのかい?」
試すように言ってやる。
すると、女は眉一つ動かさなかった。
「人は誰もが救いを求めるものです。たとえ悪人であろうとも」
……余裕があるな。修道女のほうは人殺しと言った瞬間に身構えたようだが、こっちはまるで動じていない。
それなら、多少は信用ができるというものか。
「それで、ご用件は?」
女が俺を見る目は、素行の悪いガキを見る目なんかじゃない。上手くは言えないけど、そんな感覚がある。
教養を知るために来たけど、その前にやってみたいことができた。
「それなら、懺悔室でも使えないか? 胸の内を吐いて、少しすっきりしたくてね」
懺悔室があるかどうかは知らないけど、話の流れからしてそういう部屋はありそうだ。
そう当たりを付けたわけだが――。
「いいでしょう。懺悔室はそちらです。入って待っていなさい」
どうやら本当にあったようだ。
ベアトリスが示す先には、小さな扉がある。あれが懺悔室……ね。
「そうさせてもらう。まあ、懺悔というよりも愚痴を吐きたいってだけかもしれないが、それでもいいのかい?」
「構いませんよ。スラムで生きる者たちの救いの切っ掛けになれるなら、愚痴を聞くのも我々の仕事と言えます」
それは有難い。ということで懺悔室へと向かう。
話を聞いてくれるのはこの女のようで、彼女もまた奥の扉へと向かって行った。おそらくそちらから繋がっているだろう。
修道女のほうは懺悔をするという俺を胡散臭そうに見ているが、何も言ってこない。気は強そうだが、上から言われたら何も言えないよな。
そんな感じで、これから懺悔室を使うわけだが、ただの愚痴を垂れ流すつもりはない。
胸の奥に溜まったものを、一度外へ出したかった。教養を知るのはそのあとでいいだろう。
そう考える程度には、俺の精神は強く蝕まれている。一番心に来ているのは何か。
それは……この世界には俺の理解者は絶対に現れないという、孤独そのものだ。




