十二話:血の残る手
一ヶ月が過ぎた。
この期間は、ひたすらガスパールの厳しい訓練を受けていた。
光を出せ、止めろ、細くしろ、広げるな、今度は維持しろ――。
そんな無茶を、何度も繰り返している。
今日の訓練の場所は、組織が用意した空き地だ。
割れた瓶や腐った布、枠の折れた木箱なんかがまとめて突っ込まれ、風向きによっては鼻のひん曲がるような悪臭が流れてくる。
死体をここで処理して豚の餌に変えることもあるらしい。聞いた時は陰鬱な気分になったが、今はもう何も感じない。慣れってのは本当にろくでもない。
そんな場所で、俺は地べたに座って目を閉じていた。
瞑想――ガスパールの指導の一環だ。
最初に言われた時はテンプレっぽいと思ったが、身体の中を流れる何かを掴むには、実際これが一番効果があった。
一ヶ月続けた今では、何となく体を巡る力のようなものを認識できている。
全身に意識を回す。
首、肩、腕、胸、腹、脚。
血とは違う。呼吸とも違う。もっと曖昧で、輪郭がないくせに、確かにそこにあるもの。
それは、全身を循環している。
巡りながら、そのまま空気へほどけていくようでもあるし、逆に空気の側から薄く染み込んでくるようでもある。
――そこまで来て、俺は目を開けた。
「……今までで一番強く感じる」
ガスパールが目線だけで先を促す。
「身体の中を回ってるのが分かる。でも、それだけじゃない。外へ抜ける感じもあるし、外から入ってくる感じもある」
「それもまた魔力の感じ方だ。人によって違うからな」
そう言う本人は、胸を軽く指で叩いた。
「俺はここだな。内から溢れる。そういう感じだ」
へえ、とだけ返しておく。
俺とはだいぶ違う。こっちはもっと、身体を容れ物にして何かが出入りしてるみたいな感覚だ。
だが、これも正解だと言うなら、今はそれでいい。理屈より、使えるかどうかの方がずっと大事だ。
「よし。じゃあ本番だ」
ガスパールが少し離れた先を指で示す。
立てかけられていたのは、的代わりの木の板だ。俺の魔法で何度も焼かれてはいるが、逆に言えばまだそれだけ。
「本気の『レイ』を放て」
「分かった、やってみる」
立ち上がり、右手を板へと真っ直ぐ伸ばす。
ただ細くするだけじゃ足りない。今までのは、光を寄せて形を作っただけだ。
もっと強く。もっと短く。維持じゃなく、一瞬だけ強めるように――。
思い浮かべるのは、銃であり、銃弾。それを撃ち出す感覚。
引き金を引いた瞬間だけ、火薬が弾丸を押し出して破壊を生み出す。それを光で行う。
言うなれば――『レイガン』ってとこか? 光の銃で、まんまなネーミングだ。でも、分かりやすい名前だからこそ、望ましい。
身体の中を巡る何かが、全身から右肩、右腕、そして右手へ集まっていく。
それは指鉄砲の形をした人差し指に集まり――そして。
「……っ」
――撃った!
音もなく、強い光もないが、確かに放った!
一筋の光が木の板を真っ直ぐ貫いている。
「は……くぅ……」
だが、それも一瞬で、膝が落ちる。
頭の芯を抜かれたみたいに平衡感覚が抜け、全身に力が入らない。右肩から先が痺れ、胃の奥が気持ち悪くひっくり返る。
一瞬だけ威力を上げただけ。なのに、持っていかれる量が目つぶしとは段違いだ。
そんな俺をガスパールは気に掛けることなく、板の方へ歩いていく。
霞む視界の中で、板になんとか焦点を合わせれば……そこには、綺麗な穴が開いていた。
ガスパールは焦げた穴縁を指でなぞり、裏返して、また見る。
「……これで俺の仕事は終わりだな」
小さく漏れたその一言だけは、はっきり聞こえた。
荒い息を整えながら、問いただす。
「終わり?」
「指導はこれで終わりだ」
ガスパールは振り返りながらそう言った。
「明日、ハリスにお前の力を見せる。今日のところは部屋に帰って休め」
それだけ言うと、赤い目の魔術師はさっさと踵を返した。
労りの言葉でも何でもない。ただ、商品を仕上げた職人が、明日の納品前に壊すなと言ってるだけだ。
――まあ、今の俺にはそれで十分か。
言われた通り、ふらつく足で部屋へ戻る。
扉を開けると、中ではシエラが箒を持っていた。床の端に寄せた埃を、ちまちまと集めている。
「あ、ルシア」
こっちに気づいたシエラが顔を上げる。
「掃除してたのか」
「う、うん。どうかな?」
部屋を見回す。
水桶の周りも散らかっていないし、布も畳まれている。子供仕事ではあるが、ちゃんとできている。
「上手くできてるじゃん」
「ほんと?」
「ほんとほんと。えらいえらい」
そう言って頭を撫でると、シエラの顔がぱっと明るくなる。
分かりやすいな、こいつは。だが、そういう素直さが今は有難い。
「アレンは?」
「訓練から戻ってきてないよ」
アレンには戦いの才能があるらしい。だから殺し屋として仕込まれている最中だ。
殺しをした時の思い切りの良さとか、度胸には目を見張るものがあった。そこを組織にも評価されている。
それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、配給が増えるのは確かだろう。
……笑えない話だ。
俺は光で人を撃ち抜く練習。アレンは人を殺す技を仕込まれる。完全に裏稼業の道を一直線だ。
まともな人生ってやつから見れば、最悪としか言えない。
でも、今の暮らしは、飯を腹いっぱい喰うことができる。天幕と比べれば、十分すぎるほど裕福と言える。
「……ふっ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
「どうしたの?」
シエラが不思議そうに見上げてくる。
「いや。飯が食えるだけで裕福とか、ずいぶん価値観が変わったなって思ってさ」
「……そうだね。ごはんを食べるのなんて、前は当たり前だったのに」
「ああ。今じゃ一番の関心ごとさ」
異世界の人間として、板についてきたのかね。
内心で自嘲しつつも、靴を脱いで部屋に上がる。床を汚したくないからだが、この世界では珍しい行いらしい。
日本人としての常識。それを忘れていないってだけでも、まだ完全に変わっていない証拠か? 僅かだが、そういうことに救いを感じるな。
――でも、そんなことは今はいい。……とにかく疲れた。何も考えず寝たい。
そう思ってベッドへ腰を下したところで、シエラが口を開いた。
「お昼寝するの?」
「する。クソ眠いからな」
「……わたしも、したい」
少しだけ遠慮がちの声。
甘えたいけど、甘えん坊のままではいられない。でも――。
そんなことでも考えているのかな?
「いいよ。おいで」
ま、掃除もできているようだし、そこまで厳しくする必要もないな。
手招きすると、シエラは嬉しそうに掃除用具を片付ける。そして俺の隣にやってきた。
二人して、もぞもぞとベッドへ入ると、当たり前みたいに俺の腕の中へ収まった。
シエラは少しだけ肉がついたかな?
ちゃんとした飯が出るようになって、顔の色艶も良くなった。衛生環境もあるだろう。
そんなことを考える程度には、親気取りか? ――結構なことだと苦笑する。
シエラを抱き寄せて目を閉じる。
そうすれば、すぐに規則正しい寝息が聞こえ始めた。
……朧気な思考、今にも寝入りそうな中で浮かぶのはアレンとシエラのことだ。
俺一人なら、もっと身軽に立ち回れる。もっと良い部屋に移ることも可能だろう。
でも、この温もりと比べてどうだって話だ。
綺麗ごとだな、と自分でも思う。
こんな考えができるのは、腹が減ってなくて、寝床があって、死ぬような目にあっていないからだ。
余裕があるから、もっともらしい理屈が浮かぶ。
それを自覚してなお――この感情は捨てない。捨てるわけにはいかない。
ただし、それが綺麗ごとに過ぎないってことも、頭の中に置いておく。自分が良い人間だと言い張る一線はとうに過ぎた。
しかも、ハリスに認められたら、次はどうなる? 確実に人殺しをさせられるだろうさ。
――その時に心を壊さないための、言い訳でも、楔でも、逃げ道でもいい。俺には必要なんだ……。
眠ったシエラを、もう少しだけ強く抱きしめた。
それこそが、身体の震えを止める唯一の手段だと信じるみたいに――。




