361.レシピは独占するものじゃない
「素材の良し悪しだけではなく、その特性に合わせた調理が必要になるんです」
私が挙げた注意点を、フレイヤ様は指を折りながらひとつひとつ確認し――やがて顔を上げた。
「ありがとうございます。
いただいたアドバイスを、料理人たちにも共有してみます」
その表情は、いつもの明るさを取り戻していた。
……良かった。
胸の内でそう呟きながら、私はそっとオリバーへと視線を向ける。
「私が思いついた注意点はこれくらいなんだけど――」
ひと呼吸置いて、続けた。
「他に何か、気づいたことはあるかしら?」
自分に話が振られると思っていなかったのか、オリバーは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせた。
けれど、すぐに姿勢を正す。
「私も、ティアナ様がお気づきになられた点が、原因である可能性は高いかと存じます」
そう前置きし、静かに続けた。
「ただ――ひとつ、大きな違いがございます」
場の視線が自然とオリバーへ集まる。
「基本的に料理人は、他の料理人が料理を作るところを直接見て、その技術を学びます」
“料理人は見て覚える”。
日本でもそんな言葉を聞いたことがあったが、この世界では、それが当たり前だった。
うちの料理人たちは、皆文字を読める。レシピを読み、必要であればメモも取る。
だが、この世界の料理人は――文字の読み書きができない者も多い。
だからこそ、見て覚えるしかないのだ。
そして、覚えた技術は【調理】スキルによって再現される。
「ティアナ様のレシピは……特殊でございます」
わずかに言葉を選ぶように、オリバーは続けた。
「慣れている私どもでさえ、戸惑うことがございます。
それを――見たことも、食べたこともない料理として、初めて触れる料理人が再現するのは……容易ではないかと」
――なるほど。
オリバーの言葉を聞きながら、私は小さく息をついた。
レシピを渡しただけでは、伝わらない。
“見て覚える”のなら――見せるしかない、ということか。
「……でしたら」
私は顔を上げ、皆へと視線を巡らせる。
「一度、グレスフォード家の専属料理人に、実際に作るところを見ていただき、味も確かめてもらうのはいかがでしょうか?」
「え……?」
フレイヤ様が、驚いたように目を見開いた。
「百聞は一見にしかず、と言いますし」
そこで、ふと考えが浮かぶ。
「――あ、いっそのこと」
少しだけ口元に笑みを浮かべながら、続けた。
「一週間ほど、副料理長や見習いをお互いに交換する、というのも面白そうですね」
「料理人の交換……!?」
突然の提案に、場がざわめく。
「そんなこと……可能なのですか?
料理人にとってレシピは、とても重要なものです。フレンチトーストのレシピひとつでさえ、うちの専属料理人たちは“こんな貴重なものを”と驚いていたのですが……」
戸惑いを隠せない様子で、フレイヤ様が言葉を続ける。
その言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。
――それは、この世界において“当たり前”の感覚だからだ。
そんな中、オリバーが一歩前に出るようにして、静かに口を開いた。
「おっしゃる通りでございます」
穏やかな声で肯定する。
「それが、料理人にとっての“常識”であり――また、誇りでもございます」
だが、と。
ほんのわずかに間を置く。
「ティアナ様のお考えは、少し異なります」
その一言で、視線が一斉に集まる。
「レシピを独占するよりも――」
オリバーは、はっきりとした声音で続けた。
「大切な方々に、美味しいものを召し上がっていただきたい。
そのためであれば、技術や知識を惜しむことはなさらない――そうお考えです」
静かに、しかし確信をもって言い切る。
その言葉に、場が一瞬、静まり返った。
まるで――今までの“常識”が、ゆっくりと揺らいでいくかのように。
ふぅ……と、ミランダお姉様のため息が沈黙を破った。
「まあ、こういうことなのよ。普通じゃありえないと思うけれどね」
呆れたような口調。
けれど、その声音にはどこか楽しげな響きが混じっている。
ヴィオレッタ様が頬に手を当て、静かに問いかけた。
「とても有難い提案ですが……本当に、よろしいのでしょうか?
ティアナ様のレシピは、どれも貴重なものばかりだと聞いておりますが」
皆の視線が、静かに私へと向けられる。
少しだけ肩の力を抜いて、私は小さく笑った。
「そんなに大げさなものじゃないですよ」
そう前置きしてから、続ける。
「確かに、レシピは大事なものだと思います。
でも――それって、本当は“美味しく食べてもらうための手段”ですよね?」
指先で軽くテーブルをなぞりながら、言葉を選ぶ。
「それを独り占めしてしまって、美味しいものを食べられる人が増えないなら……少し、もったいない気がしてしまって」
顔を上げ、皆を見渡す。
「せっかくなら、たくさんの人に美味しいって思ってもらえた方が、私は嬉しいですし」
ふっと肩の力を抜くように、息を吐く。
「それに――」
ほんの少しだけ、いたずらっぽく笑う。
「美味しいものって、広まった方が楽しいじゃないですか」




