4-11 ジャン・バルジャンの終わる事のない旅
世間を震撼させたジャン・バルジャン事件から数週間後、世間は早くも飽き始め街頭ビジョンには短く続報を伝えるテロップが流された。
『土師仁太容疑者 一連の抗争事件にも関与か』
『海老名史郎さんの行方は未だわからず』
『発見された水死体は土師仁太容疑者のものと断定』
暴力団構成員の土師仁太はヒットマンとして活躍していたが、最終的にヤクザに殺され死体となって発見されたらしい。
仲間を失いながらも真相を暴くきっかけを作ったジャベリン刑事こと蕪木鈴は一躍脚光を浴び時の人となったが、その日を境にチャンネルを閉鎖してしまった。
「凄いですよね。土師仁太ってこんなに悪い人だったんだ」
「そうだね。彼は救いようのない悪党だ」
駅のベンチに座った蕪木鈴は隣に座っていた男性に語りかけ、彼は短くそう返事をした。
男は大きなキャリーバッグを持っており、これからどこかへ旅に出かけるのだろう。
決して終わる事のない、当てのない旅を。
「レ・ミゼラブルではジャベール刑事は川に身を投げて死にましたけど、この世界ってお話とは違って勧善懲悪じゃないんですね」
「僕はジャベール刑事が悪人とは思っていないよ。彼は彼の正義を貫いただけだから。それにこっちのジャン・バルジャンはレ・ミゼラブルとは違って極悪人だ」
蕪木鈴は不条理極まりない世界を嘆くが、男は理不尽な運命を甘んじて受け入れた。
彼女は何故彼がそんな選択が出来たのか理解出来なかった。
「あたしもジャベール刑事みたいに死ねばよかったのかな」
彼女にとっては生き続ける事が罰だった。
かつて土師仁太がそう思っていたように、蕪木鈴は耐え難い罪の意識にもがき苦しんでいた。
「僕も若い頃は苦しかった。家族とも上手くいかず社会にも馴染めなかった。だけどその悲しみはいつか忘れてしまうものなんだ」
男が過去に抱いていた絶望はありふれたものだった。
けれどその結果取り返しのつかない過ちを犯してしまった。
「この無情な世界は辛い事ばかりだけど、報われなくても人は案外幸せに生きていけるものなんだ。だからどうか君は道を踏み外さないでほしい」
そんな彼にとって蕪木鈴は映し鏡の様な存在だった。
だから彼は何としてでも救いたいと願ってしまったのだ。
「これをあげるよ。もう店で出す事は無いけど、君にちゃんとしたものを食べさせてあげたかったから」
旅立つ男は別れの餞にマドレーヌの入った紙袋を渡し、蕪木鈴は唇を噛みしめて受け取った。
「さようなら。僕はもう行くよ」
やがて別れの時が訪れ、男は改札口へと向かった。
名も無き男と自分の人生が交わる事は今後もう二度とないのだろう。
「君は生きるんだ」
だが男はジャン・バルジャンが不俱戴天の仇であるジャベール刑事を救った時の様に告げる。
レ・ミゼラブルを踏襲するのならば自分はここで『君は自由だ』、とジャン・バルジャンに激励の言葉を言い返すべきだろうか。
「……っ」
けれどそんな無責任な言葉を到底言えるはずなどなかった。
蕪木鈴は俯いて涙を流し、声をしゃくりあげて顔を覆い隠してしまう。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
蕪木鈴は彼が去り行く姿を見送る事も出来ず、いつまでも赦しを請いながら泣き続ける事しか出来なかった。




