第7話 破棄をした側、された側
その他大勢の令嬢のひとりでしかなかったラヴィーナを、ひとりの女性として認識したのは、およそ一年前、晩秋のことだった。
シリルは夜会に積極的に参加する方ではない。それでも、人との繋がりを保ち、情報収集には欠かせない場であるため、要所要所の参加は怠らないようにはしていた。
その日も、付き合いのある家の娘の誕生日パーティとのことで、贈り物を携えて出席した。
そこで親族に出くわしたのが運の尽き、婚約はまだかと懇々と説教され、シリルはうんざりしていた。
シリルとて当主として妻を迎えるべきだという認識はしているが、一度目の婚約で著しくその気力は衰えていたし、親族の中から養子を取るなりしても家の存続には支障はないのではとすら思っていたほどだ。
そんな調子だったから、『婚約』という言葉に少し敏感になっていたかもしれない。聞こえてきたやりとりに、つい意識を向けた。
「お前みたいなのが元婚約者だなんて、恥ずかしい限りだよ」
声の方を見ると、若い男、その隣にはシリルとは旧知の友の娘の姿があった。その向かいに立つのは、切れ長な目が印象的な女性だ。
男にそこまで言わせるなど、いったい何をしでかしたのか。
軽く目を瞠った彼女に男はシルフィーナ嬢を紹介していた。どうやら、元婚約者に新しい恋人を紹介しているらしい。
「あ、おじいさま!」
シルフィーナ嬢は、まだデビュタントを迎えたばかりの少女だ。
『父が目の中に入れても痛くないほどの可愛がりようで甘やかすから、ほとほと困っているんだ』
そうため息交じりに言っていた友の言葉は記憶に新しい。聞いていた通り、ウィステル伯は、会話相手を放り出して駆け寄ってきた孫娘を窘めることもせず、目を細めるばかりのようだ。
「驚きもしないのか。騒ぎたてないところは、褒めてやってもいいがな」
「伯爵家に乗り換えた、という理解でよろしいでしょうか?」
女の言葉は、ともすれば当てこすりにも聞こえる。
けれど、彼女はドレスをきゅっと握りしめ、必死で何かに耐えているように見えた。
「僕が身分で選んだとでも言いたげだな」
対する男のほうが我慢ならないとばかりに声を張ったせいで、ふたりに耳目が集まる。男はその状態に気づいてもいないようだが、女のほうはそっと周囲を窺っていた。
この場は誕生日パーティ、祝いの席だ。元婚約者同士の痴話喧嘩をするような場ではない。
このまま女まで激高するなら、さすがに目に余る。止めに入るか迷うシリルの前で、女はすぐに頭を下げた。
「そのように聞こえてしまったのならお詫び申し上げます。私は、単に事実確認を……」
「この際だからはっきり言っておく。僕がシルフィーナを選んだのは身分じゃない。彼女がお前と違って、女性らしい謙虚さも愛らしさも持ち合わせているからだ」
女性に対して、ましてやこのような公の場でそこまで相手を貶めるなど、よほど腹に据えかねることでもあったのだろうか。
シリルの一度目の婚約が過る。
あの頃は、当主の座についたばかりで、どこまでを人に任せればいいかの匙加減もままならなかった。執務に追われるあまり、婚約者への対応が疎かになっていたといえばそこまでの話だ。
けれど、領民たちが水害で途方に暮れているなか、婚約者との外出を優先すべきだったとは今でも思わない。
『私を放っておいたほうが悪いのよ!』
不貞を理由に婚約破棄を告げると、彼女は手が付けられないほど泣きわめき、まるで自身のほうが被害者だと言わんばかりの大騒ぎで、シリルは心の底から辟易した。
あの男の前に立つ女がどれほどの悪行を重ねたのかわからないが、周囲に気を配る冷静さをなくしていないだけ、シリルの元婚約者よりも遥かにマシというものだ。
「こんな時に泣きも怒りもしないだなんて、つくづく可愛げがないな」
男はなおも追い打ちをかける。
いっそ男のほうが子どもじみて見えてくると思った矢先、シリルは女の次の言葉で、認識がひっくり返った。
「正式な手続きは早急にお願いいたします。では、私はこれで」
掌を握り込んで早口にそう告げた女は、男に背を向けて歩き出した。
『正式な手続きは早急にお願いいたします』
つまり、たった今シリルが目にしたのは、不貞の現場を押さえられた男が、開き直って相手を責めていたのではないか。
女は顔を蒼白にして、それでも気丈に背を伸ばし、シリルの横をすり抜けて行った。
泣きもせず、喚きもせず、自身の感情を抑えきった女の背を、思わず振り返って見送った。
シリルはこの後にパーティの主催者と話し、彼女がバークレイ子爵の娘ラヴィーナであることを知ったのだ。
以来、シリルは少しだけ社交の場に足を運ぶのが楽しみになった。
ラヴィーナと話をしてみたいと思ったからだ。
ようやくその機会を得たのは、彼女を知ってから一ヶ月後のことだった。
シリルが彼女のいる人の輪に近づくと、治水事業について話しているようだった。
男同士であれば領地や事業についての情報交換は珍しくもない。
けれど、年若い男女ともなれば、夜会は出逢いの場であり、話題は自領を通して自身をアピールしたり、ゴシップなどに寄りがちだ。
そんななか、男に混じって対等に議論できるラヴィーナは、シリルにとって興味深かった。
実際の経験という裏打ちのない机上の空論もあったが、発想が伸びやかで面白い。
シリルは話の輪には入らず、近くで彼らの話に耳を傾けていた。
「可愛げないってのはホントだったな」
「カリウスが言っていた通りだ。賢しげで、一緒に居たら疲れそうだ」
「女のくせに、ああでしゃばりだとな」
ほんの先ほどまで一緒に話していた女性の耳に届く場所で、心ない言葉を吐く令息たちをシリルは強く睨み付けた。
シリルの視線に気づいた男たちは、そそくさとその場を離れていく。
ラヴィーナはといえば、少し前まで活き活きと話していた様子がなりを潜めて、しょんぼりと目を伏せている。
彼女のどこが可愛げがないと言うのか。
胸に湧いた憤りを抑え、シリルはラヴィーナに初めて話しかけた。
「私も興味深いと思いました。ぜひ、もう少し話を伺いたいです」
肩をはねさせてこちらを見上げてきたラヴィーナは、すっと背筋を伸ばすと、優雅に膝を折って挨拶を返す。
「歓談のお邪魔をしてしまい申し訳ありません。貴女のお話がとても興味深くて」
「……どの、お話のことでしょうか」
わかっているだろうに、ラヴィーナは目を伏せてそう答えた。
ラヴィーナを貶めた男たちへの怒りがぶり返しそうになりながら、シリルは「水路の話も興味深かったですが、川沿いの土手と、畑の組み合わせの話が面白い発想だと思って。ご迷惑でなければ、お話をさせていただいてよろしいでしょうか?」と尋ねた。
彼女の夜空色の瞳に浮かんだのは、困惑だった。
遠慮がちに口を開いたラヴィーナは「賢しげなことを申しました。お耳汚し申し訳ございません」と再び目を伏せる。
シリルは改めて彼女の傷を目にした心地で「それは違いますよ」と首を振って見せた。
以前耳にした彼女の元婚約者の言葉も酷かったが、今日の彼らも大概だ。
男の言葉をすごいと褒め称えるだけの女を望む彼らになど、ラヴィーナはもったいない。
「そういうのは『賢しげ』でなく『聡明』と言うのです」
微笑みかけても、どこか困ったような笑みを返したラヴィーナは、話し込むうちに少しずつ活き活きとした顔を見せ始めた。
こんなに可愛らしいのに、あの男どもはそれが少しもわからなかったらしい。
わからなくていい。そう考えてしまう自分に、内心苦笑してしまう。
その夜はシリルにとって、久方ぶりに女性との会話を心から楽しんだひとときとなった。




