第6話 想定外のプロポーズ
プロポーズしてから一ヶ月。もうあと一週間ほどで、ラヴィーナの誕生日だ。
本当ならプロポーズは、彼女の誕生日に、花束やプレゼントを用意して、準備万端で行うはずだったのに、とシリルは深いため息を落とした。
あの日は、朝のうちからラヴィーナがシリルの元を訪れていた。
ここ最近は彼女がシリルの邸を訪れ、冬支度や領地の采配にと積み上げられた書類を手伝ってくれることが多かった。
女性は買い物や歌劇に連れ出したほうが喜ぶだろうと思っていたシリルだが、付き合い始めてすぐ、ラヴィーナはそうではないと考えを改めた。
ドレスや宝飾品を贈ろうと選びに行ってもどこか困った顔をするし、歌劇などに連れて行くと、公演自体は楽しんでも、「お仕事のお手伝いはしなくていいのですか?」と小首を傾げる。
結局、ふたりの逢瀬はラヴィーナがシリルの邸を訪れ、午前中は彼女と執務にあたり、午後にはのんびりとお茶や散歩を楽しむというのが常となった。
こんな日がずっと続けばいい。そう思ったからこそ、求婚することを心に決めたシリルだったが、その思いがあんな風にまろびでてしまったのは、自身でも思いも寄らぬことだった。
「きみを、妻に迎えたい」
夜空色の瞳が驚いたように軽く瞠られ、シリルはそこで初めて、自身の願望が口から漏れ出したことにハッとした。
花の準備はまだだ。彼女のために用意した特注のネックレスも、まだ届いてはいない。それなのに、言葉だけを差し出してしまったシリルは内心かなり動揺していた。
「お返事の前に、ひとつお尋ねしてよろしいでしょうか」
「なんだい?」
「なぜ……私だったんでしょうか。婚約破棄された女など、シリル様の、ひいてはクレアモント家の評判にも関わりますでしょうに」
婚約破棄された女など、とラヴィーナは言うが、今となっては、シリルにとっての僥倖でしかない。
「……絆されたんだ」
聡明さだけではなく、他の貴族令嬢とは違う彼女の価値観を知り、先に好きになったのは間違いなく自分のほうだとシリルは考えていた。だから、なかば丸め込むように付き合いに持ち込んだ自覚もある。
それでも、ラヴィーナに想われているはずだと自負もしていた。
だから。
「一度持ち帰って、家族と相談させていただいても?」
すぐには返事がもらえなかったことに、少なからず動揺した。
きみはどう思うのか。そう詰め寄りそうになり、危うく言葉を呑み込んだ。
なんの段取りもなく、こんな執務室で唐突に求婚しておいて、すぐに返事を迫るなどあまりに狭量な振る舞いだ。しかも、彼女は相手の不貞で、しかもその不貞を働いた側から婚約破棄されている。求婚に慎重になるのは、当然のことだ。
シリルは、この一ヶ月、彼女の返事を待ちながら、少なくとも断られることはないだろうと楽観視もしていた。
仮に迷いがあっても、ラヴィーナならばそう相談してくれるだろうと考えていたし、不安要素があれば全力で解決しようと心に決めていた。
そのため、婚約披露パーティーや、そのためのドレスの手配もしなければ、いやそこはラヴィーナと一緒に選ぶ方がいいだろうか、などと、そわそわと落ち着かないままに過ごしていた。
最初の二週間はじっと待ち続けたシリルも、次第にあとどれほど待てばいいのかと焦れだした。手紙を書きかけて、これでは急かしているも同然だと屑箱に丸めて捨てたこと五回。
そうこうするうちに一ヶ月が経ち、いよいよ我慢も限界に達した。返事は後回しでもいい。せめてラヴィーナの顔くらいは見たい。
シリルは、バークレイ家に出した先触れの返答に愕然とした。
『娘のラヴィーナとはお別れしたと聞いております。今更どのような御用か存じませんが、ラヴィーナの所在は私どもも探しているところです。
クレアモント伯がもしもなにかご存知であれば、どうぞお知らせください。』
使いの男が持ち帰ったバークレイ家の回答に、シリルは一瞬頭が真っ白になった。
「バークレイ家に向かう。戻ってすぐで悪いが馬車を……いや、馬で行く。そのほうが早い」
シリルは即断でバークレイ家に馬を走らせた。
バークレイ家では、家族の誰もが破局したと思っていたらしい。
とんでもない誤解だ。
そして、なによりシリルを慌てさせたのが、彼女の消息だ。
家を出て二週間後、彼女は元気に過ごしていると手紙で連絡をよこしたという。
バークレイ家では、さすがしっかり者のラヴィーナだ、他国でも問題なく過ごせているのだと胸をなで下ろしたという。
問題はその手紙が届いたすぐ後に、ラヴィーナの働き口を紹介したはずの親類から、ラヴィーナの所在を尋ねる手紙が届いたことだ。
両親は大慌てで彼女を探し始めたが、一向に手がかりが見つからない。
そうして昨日、彼女から二通目の手紙が届き、一通目と同じように元気で過ごしていること、家族の健康を気遣う言葉、そして、もうすぐ仕送りもできそうだという内容が綴られていた。
「どこにいるかわからないのは親として心配ですが、あの子ならばひとりでどうにかやっていけそうな気もしているのです」
バークレイ子爵の言葉に、その妻も頷いた。
「随分悠長ですね。彼女はたしかにしっかりしていますが、だからといってひとりで平気というわけでもないでしょう」
「……娘を気に掛けてくださることには感謝いたします。しかし、娘とはすでに別れたのでは?」
「ラヴィが……ラヴィーナ嬢がそのように言ったのでしょうか?」
シリルの問いかけを正面から受けて、バークレイ子爵の視線が妻に向く。自然、シリルも同じように視線を向けた。
ふたりの男の視線を受けて、ラヴィーナの母は、困ったように頬に手を当てる。
「……また嫁にも行けず申し訳ない、と。だから私てっきり」
そう言って、ほぉとため息を落とす女を前に、シリルは怒りと困惑がない交ぜになった感情を必死に胸の内に抑えていた。
シリルは別れを告げたわけではない。妻に迎えたいと、はっきりそう告げた。
それが、何がどうなって『嫁にも行けず申し訳ない』となるのか。
断るつもりだったからだろうか。それならそれで、到底受け入れられはしないが、シリルにそう言えば済む話だ。何も他国に行く必要もなければ、行方をくらませる必要もない。
「どんな行き違いがあったかはわかりませんが、私は少なくともお別れしたつもりはありません。私は、ラヴィーナ嬢に求婚しました」
「は?」
「え?」
向かいに座ったバークレイ夫妻が、目を丸くした。
「それでは……娘がお断りしたということですか?」
「返事は、ご家族と相談してからいただく約束でした」
そう口にはしたものの、状況だけ考えればラヴィーナはシリルの求婚を全力で拒み、家族には求婚の事実すら伝えることなく他国に去った、としか見えないだろう。
「それは……娘がクレアモント伯をふった側、と?」
その確率は高そうだ、とシリルは思う。同時に、ラヴィーナらしくないとも思うのだ。
彼女は丁寧に言葉を尽くす人だ。
それに、少なくともラヴィーナには好かれていると感じていたし、だからこそ、もう手放す気はないと、閨まで共にした。求婚もなくそのような振る舞いに至ったのは、順番に難があったことは否めないが。──もしや、それが彼女の不興を買っただろうか。
「クレアモント伯?」
黙り込んだシリルに、バークレイ子爵が遠慮がちに声をかけてくる。
ここで話し合おうと、考えを巡らせようと答えは出ない。それを持っているのはラヴィーナだけだ。
「ラヴィーナ嬢の行方は、クレアモント家が総力をあげて探します。なにかわかったら、すぐにお知らせいただけますか? 私のほうも、すぐにご連絡いたします」
そう言って、シリルはソファーから立ち上がった。
その日から、シリルのラヴィーナ探しが始まった。




