第4話 可愛げないのは知っています
ラヴィーナが外の渡り廊下に出ると、冷たい空気はキンと張り詰めていた。
室内の明かりが淡く届く場所で軽く上向いて息を吐けば、白いそれはたちまち夜へと溶けていく。
今日の夜会にシリルの姿がない。それだけで、もう今日の夜会に意味がないように感じてしまう自分にラヴィーナは小さく苦笑する。
本来の参加目的を思えば、シリルがいないのは好都合なのだ。
シリルとラヴィーナは先月初めて話して以来、週に一度、多ければ二度のペースで夜会で顔を合わせ、そのたびに会の終わりまで話し込むことが続いていた。
前回はシリルに誘われ、初めて彼とのダンスを楽しんだ。
ラヴィーナは、社交の場は好きではないけれど、ダンスは好きだったし、どちらかといえば得意なつもりでいた。ただ、カリウスはあまりダンスを好まなかったし、なによりラヴィーナのダンスを下手だと評した。実際カリウスとのダンスは時折ちぐはぐしてしまい、相手の足を踏みそうになることも度々あったから、ラヴィーナは自身のダンスは下手だと思っていた。
けれど、シリルとのダンスは違っていた。足が軽やかに動き、床を滑るような心地で踊ることができた。
初めこそ、異性と体を寄せて踊ることへの緊張感が先だったラヴィーナも、すぐに夢中になって、休みなく四曲踊り、「そろそろ少し休憩しませんか?」とシリルに苦笑されて赤面する羽目になったほどだ。
その時のことを思い出して笑みを浮かべたラヴィーナは、雲に覆われた夜空を仰ぐ。
シリルもいないのだから、会場に戻り、たくさんの男性と話して自身を気に入って貰わなくてはいけない。わかっているのに、どうしてもそれをするのが億劫に思えてしまう。
ふと視界に白いものが舞った。雪だ。
ラヴィーナは思わず手を伸ばすと、白く小さなそれはひらりと躱すように落ちていく。
なんとなく悔しくなってもう一度手を伸ばすと、今度は冷たい感触が指に触れる。掴まえたそれはあっという間に溶けて、残ったのは濡れた感触だけだった。
何をしているんだろう。子どもじみた振る舞いが恥ずかしくなって、指先を胸の前で握り込む。
今夜はもう帰ろう。室内に戻って、退屈な話に興味があるふりで頷くのも、すごいですね、と思ってもいない世辞を連ねて微笑むことも出来そうにない。
どう頑張ったって、『可愛い女性』というものがわからないラヴィーナには、男に気に入られるだなんて無理難題としか思えない。
「ラヴィ?」
ハッとして顔をあげると、カリウスがシルフィーナの腰を抱いて廊下の向こうからやって来た。
カリウスと歩く時、ラヴィーナはそんな風に腰を抱かれて歩いたことはない。彼の歩調に合わせて、転ばないようにしっかりと足元を確認しながら歩いていたことしか覚えていない。
「こんばんは、ラヴィーナ様。このような場所で、寒くはございませんか?」
心配そうなシルフィーナの声に、ラヴィーナはようやく自身がひどく冷えていることを自覚した。
雪片に夢中で寒さを忘れていたなど、いよいよ子どものようで恥ずかしい。
「……お気遣いありがとうございます。ちょうど、室内に戻ろうと思っていたところです」
「フィーナは本当に優しいな。どこかの誰かと違って、ちゃんと人を思いやることができる。……お前も見習ったらどうだ?」
随分な言われようだな、とラヴィーナは思う。
こんな風に言われるほどの何かを、カリウスにしてしまっただろうか。
自身の行いを省みても、そこまでのことは思いつかない。けれど、賢しげで可愛げがないと評したくなるほどに、無意識に嫌な思いをさせてしまったのかもしれない。
ラヴィーナは目を伏せると、「おっしゃるとおり、シルフィーナ様はとてもお優しいのですね。私も見習わなくてはなりません」と薄く笑みを刷く。
「不服そうな顔だな。嫌みったらしい。そういうところが可愛くないんだよ」
きっと、何をどう言ったところでカリウスは気にくわないのだろう。
そう判断したラヴィーナは、「ご不快にさせてしまったのであれば、大変申し訳もございません」と謝って終わらせようと頭を下げた。
「ああ。せっかくのいい気分が台無しだよ。だいたい……」
「私のパートナーに、随分なおっしゃりようですね」
ラヴィーナの背後からバリトンが割って入った。シリルだ。
彼が来た。たったそれだけで、沈み込むばかりだった胸に、穏やかな安堵が広がる。
振り向くと、一目で不機嫌だとわかる表情のシリルがこちらに向かってきた。
「失礼」と断って手の甲でラヴィーナの頬に触れたシリルは、眉間に皺を寄せると、着ていたジャケットを脱いで、肩に着せかけてくれた。
外気が遮断され、じんわりと伝わるぬくもりに、ラヴィーナは緩く息を吐いた。
「パートナー? まさかラヴィーナと付き合っているんですか?」
「いいえ」
すかさず否定したシリルに、カリウスは「でしょうね」と鼻で笑った。
ラヴィーナも、当然だ、と内心頷く。シリルとラヴィーナが付き合うなど、身分以前の問題だ。それなのに、なんとなく胸が塞ぐ心地がして、自身の腕をそっと抱き寄せた。
「何か勘違いされているようですね。私がラヴィーナ嬢に、ぜひお付き合いいただけないかとお願いしているところですよ。なかなかうんとは言っていただけませんが」
え、と思ってシリルを見上げると、気遣うようにこちらを見る青い瞳と目が合った。
「……どこかの誰かの不貞のせいで、ひどく傷ついたせいかもしれませんね」
そう言うとシリルはラヴィーナの肩を抱き、暖めるようにジャケット越しに二の腕をそっとさする。
「傷つく? ラヴィにそんな可愛げがあれば……」
「ベルコート君」
シリルの呼びかけは低く怒気を滲ませて、カリウスを黙らせるのに充分すぎる迫力があった。
「言葉に気をつけられよ。彼女ほど魅力的で聡明な女性を、私は他に知りません。それと、貴殿とラヴィーナ嬢は既に婚約を解消されたはず。いつまで愛称で呼ぶつもりですか?」
絶句したカリウスに、シリルは「彼女が冷えてしまっている。失礼する」と冷たく切り捨てるような声音とは裏腹に、暖かく優しい掌をラヴィーナの背に添えて、そっと押し出すように足を踏み出した。
「……物好きがいてよかったな」
捨て台詞に反応する気もおきなかったラヴィーナに反し、シリルがすかさず振り返る。
「シルフィーナ嬢」
「はいっ」
呼ばれるとも思わなかったのだろう。シリルの呼びかけに、シルフィーナが裏返った声で返事をした。
「男を見る目は養われたほうがいい。ウィステル伯が悲しまれますよ」
絶句したカリウスたちに、「では、失礼。よい夜を」とシリルは再びラヴィーナの肩を守るように抱いて歩き始めた。
冷え切ったはずの頬が熱くなった気がして、ラヴィーナは自身の頬に両手で触れる。
ひどく火照って感じるラヴィーナの頬は、やはり冷たいままだった。
室内に戻り、壁際の椅子にラヴィーナを座らせたシリルは、飲み物を取りに行った。
ラヴィーナは、冷えて強ばる指先で彼のジャケットにそっと触れてみる。
早く返さなくては、と思うのに、もう少し羽織ったままでいたい気もする。
ほどなくしてカップを手に戻ってきたシリルの姿に、ラヴィーナは思わず立ち上がった。
「どうぞ、座っていてください。ホットワインです」
そう言ってカップを手渡したシリルは、同じものを手にラヴィーナの隣に腰を下ろした。
肩が触れそうだ。そう意識しながら、ラヴィーナは慎重にカップに口をつけた。
思ったよりも遥かに体が冷えているらしい。酷く熱く感じるワインが、体の内で滑り落ちていくのまで感じられる気がする。一口分のそれを感じてから、ラヴィーナはそっとシリルを窺い見た。
「助けてくださって、ありがとうございました」
シリルが来なければ、あの寒い中、今もねちねちとカリウスに掴まっていたかもしれない。
「……なぜ、言い返さなかったんですか?」
固い声で問われ、ラヴィーナは手の中のカップに視線を落とした。
言い返してもよかったかもしれない。けれど、ラヴィーナには自分に本当に非がなかったと言い切れるだけの自信もなかった。
「……それだけ嫌な思いをさせていたのかもしれませんし……きっと彼にとって、それが概ね事実なのだろうな、と。まあ、何かを言って、あれ以上長引くのが嫌だっただけっていうのもあるんですけど」
笑みを浮かべて、二口目のワインをこくりと飲む。少しは体が温まってきたのか、先ほどよりは熱く感じなくなっていた。
「きみは……いえ、ところで先ほどの件、いかがですか?」
「先ほどの件? というと?」
「お付き合いの件です。本当にしてしまいませんか?」
「お付き合い……」
先ほどのあれは、どう考えても方便だ。それなのに、それを本当にするなど意味がわからない。
つい復唱してしまったラヴィーナの鼓動が、遅れて大きく駆け出した。
「いろいろ話してみて、思ったんです。領地について相談するのに、ラヴィーナ嬢ほどの適任はいない」
付き合い、とはそういうことかと腑に落ちて、ラヴィーナは勘違いしそうになった自身に内心苦笑する。
夜会で偶然顔を合わす以外にも、もっといろいろと話したい。そういう意味だろう。
ラヴィーナは自分が若輩者だということは自覚している。それでも、シリルとふたりで話していると、それまでふわふわしていた思考がどんどん固まり、彼の案と合わさって、実現可能な案へと昇華していく感覚を幾度となく体感していた。
もしかしたら、シリルも同じように感じてくれていただろうか。
私でも、少しくらいは役に立てるのかもしれない。そう思うと、ラヴィーナの心は明るく浮き立ち、自然と笑みが浮かんだ。
「私でよければ、喜んで」
そう返事したのが、今年の初雪の夜。
まさか翌年の初雪の日には、自分が平民となってパンを売っているなどと、この日のラヴィーナは知るはずもなかった。




