第3話 賢しげと聡明
婚約破棄から一ヶ月。
子爵家の、しかも四女の婚約破棄の話はさして人の口にも上らないまま、すぐに皆の興味は、一年を締めくくるパーティーや年明けに行われる王家主催の舞踏会へと移っていった。
ラヴィーナは、社交の場に出るよりも、家にいて領地やその周辺地域の作物の取れ高を予測したり、庭に作った畑を世話したり、使用人と一緒に鍋をかき混ぜている方がよほど楽しい。
けれど、婚約を破棄された今、新たな出逢いの場には積極的に参加せざるを得ない。
そのため、ラヴィーナはパートナーの同伴がなくても参加しやすい小規模の夜会には、なるべく出席するようにしていた。
貴族の婚姻は、恋愛感情ではなくパートナーシップである。学校で習ったそれは本当だろうか、と最近つくづく疑問に感じていた。
パートナーといえば、どこか対等な響きだ。けれど、様々な人と話してみるほどに、男性は『妻』に、従順さと、鑑賞に耐える容姿を求め、対等な会話などはなからする気がないように思えた。
実際男女の輪に入って話せば、女性たちは口々に男を褒め、男は女の容姿や服を褒める。あとは醜聞や噂話が行き交う。それらはこれといった実りもない会話で、実のところラヴィーナは少しも楽しくない。
もっとも、一番身近にいる両親を見ると、お互いを想い合う愛情こそが大切だとも思えてくる。そうは言っても、父と居る時の母はやはり可愛らしく、女性に必要なものを母もまた確かに持っているからこそ愛されているのだろうとも思った。
この日の夜会では、珍しく、会話が治水事業の話になった。
雪が多い年は春先にも洪水が起こるという話から、洪水対策や水路についてを語る男たちの話に、令嬢たちが耳を傾け、尊敬の眼差しを向ける。
ラヴィーナはちょうど治水について調べていたところだったので、つい口を開いた。
「西の方では、組木による水路の試験が始まったそうですね」
鉄釘を使った水路は、どうしても釘が錆びれば修繕が必要になる。それを根本的に解決する西の地方の新たな試みは、他にも応用ができるものが多いのではと注目を集めているらしい。
「よくご存知ですね。僕もその事業には注目しているんです」
ひとりがラヴィーナの話題に乗り出すと、議論はひとしきり盛り上がった。
中にはラヴィーナの知らない、初めて聞く話もあって、それはとても楽しいひとときとなった。
話題がひと区切りすると、それまで共に語らっていた輪は、三々五々分かれていく。
「ラヴィーナ様、お詳しいのですね。私は半分もわかりませんでした」
仲の良い令嬢が、そう言ってグラスを差しだしてくれた。
「いえ、たまたま最近勉強していたので……」
笑みを返した背後から「可愛げないってのはホントだったな」との声が聞こえ、ラヴィーナはぎくりと固まった。
「カリウスが言っていた通りだ。賢しげで、一緒に居たら疲れそうだ」
「女のくせに、ああでしゃばりだとな」
久しぶりの楽しい気持ちが、みるみる萎んでいく。
ラヴィーナは、ごく普通に、知っている話をしただけのつもりだった。誰かの意見を否定したわけでもないし、自分ばかりがしゃべったつもりもない。
それとも、自分ではそう思っただけで、無意識に何か生意気な言い方をしてしまっただろうか。
グラスを渡してくれた令嬢の耳にも届いたのだろう。ラヴィーナの顔と背後とを交互に見ると、おろおろした様子で「気にすることありませんわ。ラヴィーナ様のお考え、私は興味深いと思いました」と早口で言うと、困ったようにグラスに口をつける。
「ありがとうございます」
曖昧に笑みを浮かべたラヴィーナは、もうこのままこの場からいなくなってしまいたい衝動に駆られながら、令嬢と同じようにグラスのピーチフィズをこくりと飲んだ。
「私も興味深いと思いました。ぜひ、もう少し話を伺いたいです」
ふいにすぐ横から掛けられたバリトンに、思わず肩が跳ねる。
顔を上げると、晴れた空のように澄んだ青い瞳がこちらに向けられている。
「クレアモント卿……」
彼の名を呟いた令嬢とラヴィーナとを交互に見て笑みを深めた男は「シリル・クレアモントと申します」と名乗った。
ラヴィーナも急いで背筋を伸ばすと、丁寧に膝を折る。
クレアモント伯爵。名前だけは聞いていたけれど、それほど積極的に社交の場に参加していないのか、挨拶を交わすのはこの日が初めてだった。
プラチナブロンドに整った顔立ちの彼は、令嬢たちの視線を一身に受けながら「バークレイ嬢を少々お借りしても?」とラヴィーナの隣の女性にお伺いを立てる。
「も、もちろんです。ラヴィーナ様、私は失礼いたしますね」
そそくさと背を向けてしまう彼女は、呼び止める間もなく行ってしまう。
「歓談のお邪魔をしてしまい申し訳ありません。貴女のお話がとても興味深くて」
「……どの、お話のことでしょうか」
治水事業の話だろうとわかっていながら、ラヴィーナは敢えてそう答えた。
たった今、その会話について冷や水を浴びたばかりだ。
目の前の男はわざわざからかいに来たようにも見えないが、その意図も見えない。
ラヴィーナがそう答えると、「水路の話も興味深かったですが、川沿いの土手と、畑の組み合わせの話が面白い発想だと思って。ご迷惑でなければ、お話をさせていただいてよろしいでしょうか?」と改めて尋ねてくる。
ラヴィーナは、また生意気だと思われるのだろうか、それともそんな女をやり込めにきたのだろうかと身構えながらも、恐る恐る口を開いた。
「賢しげなことを申しました。お耳汚し申し訳ございません」
目を伏せると、軽く目を瞠ったシリルは「それは違いますよ」と首を振る。
「そういうのは『賢しげ』でなく『聡明』と言うのです」
そう言って微笑んだ。
彼は、ラヴィーナの考えに丁寧に耳を傾け、時に考察を述べる。それはラヴィーナには思いも寄らない視点で、そこから更にふたりで新たな仮説をたてて話す。
ほんの少しどころか、その日は夜会の終わりまで、シリルとばかり話し続けた。
シリルのように身分も財力もあり、容姿に恵まれた男が、女性としてのラヴィーナを相手にするはずがない。
夜会に参加した本来の目的は果たせなかったなと思いつつ、ラヴィーナは久方ぶりに味わった充実した時間に、満足感を覚えながら帰途についた。




