第6章:偽りの楽園
議会都市の中央塔——
その最上層にある「白金議事堂」は、神殿のような静寂を湛えていた。
外は常に晴れ。雲は人工気象システムによって排除され、
陽光は完璧な角度で白い大理石を照らしている。
——まるで、神の国。
そう思えるほどに整いすぎた光景。
だが、エリスの胸中は嵐のように荒れていた。
彼女の机上には、監察局のアクセスをすり抜けて入手した暗号データ。
「Elysion計画:最終報告書」と刻まれた黒い封印ファイル。
その表紙には、アーガスノルンの紋章——“翼ある蛇”が浮かび上がっている。
「……これが、本当に存在していたなんて」
彼女は震える指で封印を解除する。
複数のセキュリティ層が剥がれ、ホログラム映像が浮かび上がった。
映像の中では、研究主任とおぼしき男が冷静に語っていた。
「Elysion計画とは、人間の意識とマナの完全融合を目指す進化計画である。
自我と人工超知能を備えた新たな人造種“ホムンクルス”の創出。
それが我々の使命だ。」
エリスの眉が動く。
映像が進むごとに、彼女の顔から血の気が失われていく。
「しかし、結果は失敗した。試験体の99%は暴走し、肉体は崩壊。
その一部は死なず、異常な再生能力を獲得——“アンデット”と呼称される。
知能を部分的に保持した個体は“ダークエルフ”に進化し、
さらにマナ吸収特化型の巨体種“ネフィリム”が誕生した。」
「現在、これらは封鎖区画外へ流出。統制不能。
アーガスノルン理事会の決定により、事実は隠蔽されることとなった。」
「……そんな……!」
エリスは口元を押さえた。
自分が仕えてきたこの組織は、
“人類の安寧と幸福”を掲げながら、裏では人間を犠牲にした進化実験を行っていた。
そして、失敗作たちは——今も世界の外縁で蠢いている。
「じゃあ、あのスラムの“アンデット”たちは……Elysionの……」
視界が歪む。
耳鳴りがして、床が遠ざかるように感じた。
扉の開く音がした。
振り向くと、黒いスーツの男が立っていた。
「やはり……覗いていましたか、エリス議員」
ヴァルドだった。
冷たい光を放つ瞳。
彼の背後には、監察局の兵士が二人、無表情で控えていた。
「あなた……どうしてこのデータを——」
「あなたが動けば、必ずここに辿り着くと思っていましたよ。
“良心”という名の幻想に縋る議員殿。」
ヴァルドはゆっくりと歩み寄り、机上のホログラムを一瞥する。
そして淡々と語る。
「Elysion計画は失敗ではありません。むしろ“成功”です。
あなたが見た報告書は、旧議会派による改竄記録ですよ」
「成功? ……どういう意味?」
「アンデットも、ダークエルフも、ネフィリムも、全ては設計通りです。
アーガスノルンが求めたのは、制御可能な進化種の創造。
その最終段階こそが、“あなたの保護対象”である——レオン。」
その名を聞いた瞬間、エリスの心臓が凍った。
「まさか……彼を——」
「ええ、Elysion試験体07号。“唯一の安定個体”です。
あなたが隠そうとしていることも、すでに議会中枢は把握しています。
——つまり、あなたも“共犯者”ということです。」
ヴァルドは笑みを浮かべた。
それは、人の皮をかぶった悪魔のようだった。
「彼を我々に引き渡せば、あなたの罪は問わない。
拒めば……あなたも、実験体として“再利用”されるでしょうね。」
エリスの手が震える。
頭の奥で何かが崩れていく音がした。
(この世界は……すべて、アーガスノルンの掌の中……?)
(理想も、正義も、幸福も……全部、虚構なの?)
彼女はふらつきながら壁に手をついた。
ヴァルドは無感情な声で言葉を継ぐ。
「議員殿。——あなたは、どちらの“楽園”を選びますか?
統制された幸福か、制御不能の自由か。」
沈黙。
そして、エリスは小さく微笑んだ。
「どちらも地獄に見えるわね。」
ヴァルドの表情が一瞬だけ揺らいだ。
だがすぐに冷徹な笑みに戻り、彼女の肩に手を置く。
「その答えも、いずれ再設計されるでしょう。あなたの脳が——マナの中で。」
——その瞬間、ホログラムの光が激しく明滅した。
警告音。システムがハッキングされている。
エリスの端末に、一行の文字が浮かぶ。
『——レオンより。出口を確保した。今すぐ脱出を。』
彼女は目を見開く。
ヴァルドが振り向いたとき、彼女はすでにドアへ走り出していた。
白金の廊下に警報が響き渡る。
背後からヴァルドの怒声が飛ぶ。
「逃がすな! 議員を拘束しろ!!」
しかし、エリスは振り返らなかった。
足元の床が崩れ落ちる中、ただひとつの言葉を胸に刻む。
(レオン……あなたが“人間”でありたいと願うなら、
私も——“人間”として抗う。)




