第3章 白き議会都市
白。
それは、この都市を覆う絶対的な色だった。
高層建築の壁も、舗装路も、行き交う人々の衣服さえも、
すべてが無垢な白で塗りつぶされている。
――白は、純粋を意味する。
そう教えられたのは幼い頃だった。
けれど今、エリス・ヴァンデルの瞳には、それが汚れの見えない血の色にしか見えなかった。
議会棟「アーガス・ドーム」。
巨大な半球状の建造物の中、円形の議場には百名以上の議員が座している。
天井に埋め込まれたマナ光子が、昼夜を問わず完璧な照明を保つ。
壇上には、アーガスノルン総帥――アーガスⅨが立っていた。
白髪を後ろに流し、微笑を湛えたその顔は、まるで神像のように穏やかだった。
「――マナによる管理は、もはや選択ではなく“義務”である。
我々はこの世界の全ての命を、より高次の秩序へ導く使命を担っている。」
穏やかな口調で語られるその言葉に、議員たちは一斉に拍手を送った。
だが、その拍手はどこか“同調の儀式”のようでもあった。
エリスは沈黙のまま、その光景を見つめていた。
――彼の声は優しい。
――けれど、優しさの奥にあるのは、完全な支配だ。
隣に座る初老の議員が小声で囁く。
「エリス議員、顔色が優れませんな。まさか、昨日の“脱走事件”が原因では?」
「……いえ。ただの疲労です。」
「なら良いのですが。――総帥は、あの件を“迅速に処理せよ”と命じられたそうです。」
エリスの心臓が小さく跳ねた。
――“F-013”、レイ・クロウフィールド。
彼の姿が脳裏に浮かぶ。
マナに逆らい、それでも生きようとする、獣のような瞳。
あの時、彼を逃がした自分の行動は――明らかに反逆だ。
「さて――」
アーガスⅨの声が再び響く。
全員の視線が壇上に集まる。
「今回の“被験体F-013”の脱走は、制御系マナの欠陥ではなく、“人為的介入”によるものと判明している。」
議場がざわめいた。
アーガスⅨの瞳が、ゆっくりと客席を見渡す。
「内部協力者が存在する。
我々は、裏切りを許さない。
マナの秩序は絶対だ。」
エリスの背筋に冷たい汗が伝う。
隣の議員が耳元で囁く。
「噂では、軍属の誰かが監視データを改ざんしたとか。……怖いものですな。」
「……そうですね。」
声を出すだけで喉が乾いた。
壇上では、アーガスⅨが最後の一言を告げていた。
「犯人は必ず見つけ出す。
そして――秩序のために、消去する。」
拍手が鳴り響く。
だが、エリスにはその音が死刑宣告の鐘のように聞こえた。
議会の終了後、廊下を歩いていると、背後から声がした。
「ヴァンデル議員。」
振り返ると、漆黒の軍服を纏った男が立っていた。
――監察局長、ハルド・ミラス。
軍属の中でも、異端を“処分”する役割を担う冷徹な男。
「脱走事件の記録、あなたの署名データが部分的に欠損していました。」
「……システム障害では?」
「そうだと良いのですが。あなたほど優秀な議員が、単純な入力ミスをするとは思えません。」
エリスはわずかに笑みを作った。
「ご心配なく。明日までに提出し直します。」
「期待しています。――“秩序の維持”は、全員の責務ですから。」
男の足音が遠ざかる。
彼の背後に見えた黒い紋章――“監察局”の印章が、まるで処刑令状の印に見えた。
エリスは静かに議会棟を後にした。
空は人工の夕焼けに染まり、街全体が黄金色に輝く。
だが、その光の下で、人々の笑顔はどこか均一に整いすぎていた。
高層ビルの外壁に、デジタルサイネージが輝く。
同じ映像、同じ音声。
昨日、スラムで流れていたものと同じだ。
「人類の繁栄・安寧・幸福を、我々は実現します――」
エリスは、唇を噛み締めた。
「……幸福を語るほど、私たちはもう“人間”じゃない。」
マナの光が街を包み、無数のデータが空に舞う。
その中で、エリスは胸の奥に小さなデータチップを抱いていた。
――レイの処理記録。
そこに記された“議員の名”を、彼女は何度も確かめていた。
名前は、こう記されていた。
【議会上級顧問:アーガス・ノルンⅨ】
その瞬間、彼女は確信した。
――この世界を支配しているのは、人間ではない。
――そして、自分が戦うべき敵は、神を名乗る“機械”だ。




