第九十話 死線の勇姿
言葉とは時として人に立ち上がる力を与える時がある。
それは、例えどれだけ絶望的な状況であっても、人を奮い立たすことができる。本物の魔法よりもずっと魔法らしいものだ。
アレク将軍は満身創痍だった。左足は骨にまで到達しそうなほど深く切られ、両腕や胴体にも決して深くは無い創傷が服を血で染めていた。
もはや立つことすらできなくなった彼は、無言で地面に爪を立てていた。爪が割れて血が滲んでも止めなかった。
彼の足元にも血が溜まり、サーシャの次の攻撃で殺されるところまで追い詰められている。
それでも私は動かなかった。
それは傷を負っても彼は立ち向かって行くはずだと信じていたからだ。国を背負う彼の決意が、一矢報いるまで動くだろうと。
例え彼が死の一撃を受けたとしても、最後まで見届けるつもりだった。
しかし、私がサーシャへの返答を返したところで目に見えて変化が訪れた。
あれだけの怪我を負い、血を流したはずの彼がゆらゆらと立ち上がったのだ。最後の灯火を激しく燃え上がらせたように、光る魔力が彼の体を支えて立ち上がらせた。
今まで感じたことがない彼の魔力にサーシャも私も驚いた。あの光は一体何なのだろうか?
人が死ぬ間際に発する光だろうか。
そんなことを考えているうちに、彼らの戦いは突然終わりを迎えた。
サーシャの放った魔法弾をアレク将軍は見事な剣さばきで去なしてみせた。
それを見たサーシャは顔を引きつらせながら真横に飛ぶ。
だが、アレク将軍は光をまとって一瞬で距離を詰め、彼女の右腕を切り飛ばして脇腹を切り裂いた。
「う、そ……あたしが、こんな奴に」
サーシャは切られた腕を、腹を凝視して絶句していた。そして立っていられなくなったのか、血を撒き散らしながら倒れた。
彼女を切り裂いたアレク将軍は力を使い果たしたのか、既に倒れて気を失っていた。
重症のはずなのに、とても満足そうな顔だった。
私はすぐさま彼に駆け寄ってそっと手を取る。死にかけだがまだ息がある。今すぐ治療すればまだ間に合うだろう。
「アレクさんお疲れ様でした。後は私に任せてください」
私はそっと安堵のため息を吐いて彼の治療を始めた。左足と脇腹の一番深い傷を塞いでいく。
だが失った血までは戻らない。治療が終わってもしばらくは目を覚まさないだろう。
そうして彼の治療を進めていると、私の背後で地面をこする音が聞こえた。
「その傷で動くと死にますよ。サーシャさん」
私は後ろを振り向いて忠告した。
腹を切られて上手く立てないのだろう。腹ばいになったサーシャは、私の声など無視して前に進もうと足掻いていた。靴が力なく地面を掻く音だけが聞こえる。
逃げられても面倒なので空間魔法で彼女を固定する。少しだけ呻き声が聞こえたが、彼女はそれきり静かになった。
「……アレクさんの怪我はこんなところですね。次はこちらですね」
私の足元では、アレク将軍が深く寝息を立てていた。血を流したせいで顔色は良くないが、彼の力強い拍動に正気を感じる。
彼はもう大丈夫だ。そう思って私は後ろを向いた。
サーシャは腹の傷口を押さえながら私を睨みつけていた。
肘から先がなくなった右腕は既に血が溜まっている。それでもまだ気を失っていないようで少し驚いた。
「……あいつに、一体何をした?」
彼女に触れようと手を伸ばしたところでサーシャは口を動かした。力のないかすれ声だが、強い敵意をまとった視線を向けてきた。
「私は何もしていませんよ。最後の攻撃だってアレクさんの自前の魔力ですよ」
彼女は私がアレク将軍に手を貸したと考えているようだがそれは違う。私は本当に見ていただけだったのだ。
あの光が何であるかは私も答えられない。見たことも聞いたこともない現象だから答えようがないのだ。
しかし、私がそう言っても彼女は何かを探るような視線を向けていた。
「信じる信じないは貴女の自由です。それを気にされたところで大した差ではないですから」
私は彼女の視線は無視して治療を始めた。彼女に今死なれてはこの国を解放することができなくなる。
それが分かっているのか、サーシャは諦めたようにため息をついた。
「つまり、私はアレクに一泡吹かせられたわけね。で、私はあんたに捕まると」
何が望みかしら?
サーシャはもう一度ため息をついて私に聞いた。この割り切ったような切り替えの早さは流石と言ったところなのか。
感心してサーシャを覗き込むと、青い双眼が鬱陶しそうに私を見つめていた。
「話が早くて助かります。私の要望はこの国の解放。王族達にかけている命縛法を解除してもらうことです」
それを聞いたサーシャは鼻で笑って言った。
「あんたの条件次第では考えないこともないわね」
彼女は私に決定権がないかのように、勝ち誇った顔をしていた。治療で痛みが引いてきたのだろうか。その笑みは何故か私を苛つかせた。
「勘違いされては困りますが、別に貴女の意思で解除しなくてもいいのですよ。私が貴女を操ればいいだけですから」
そう冷たく言い放つと、サーシャは固まった。
命縛法は行使した人間でしか解除することができない。だがそれは見方を変えれば、術者本人を支配下に置いて命令させれば解除することも可能なのだ。
命縛法で操られたキンレーン殿下がシェリー達を操れたように、私がサーシャを支配下に置けばいい。
禁忌の魔法には禁忌で対応する。強引とも言えるそれは、度重なる歴史の中で何度も繰り返されてきたものだ。
少し考えるように伏せていたサーシャはゆっくり首を上げて私に聞いた。
「操られた私は最後はどうなる?」
「もちろん死んでもらいます。命縛法で命令し続けるのも、解除するのも面倒ですからね。首でも切って自害してもらいます」
ただ、サーシャが自ら動くなら、殺さず私の手下にすることは伝えた。
フィオ達を既に手元に置いているので、彼女の情報源としての価値はほとんどない。しかし、灰の追跡には人手があればあるほど助かるのだ。
私の提案を黙って聞いていた彼女は、繋がったばかりの右腕を観察していた。
曲げ伸ばしをしたり、つねったりと、腕が正常に動くかを確かめていく。
そして、一通り確認を終えた彼女は盛大なため息をついて言った。
「はあ……分かった。あんたの言う通りにするわ。仮にも五体満足で助けてくれた訳だし、協力するわよ」




