第七十七話 灰頭の帰還
あれだけ巨大だった魔法弾が雲散霧消と消えた。
王都を眩い光で照らした光景は、今は城下の明かりで彩られていた。そのいつも通りの光景が何とも憎たらしかった。
三日もかけて準備しておいた仕掛けだった。それがこうもあっさりと攻略されるのは、清々しくもあるが腹が立つな。
「……やれやれ、保険のつもりが一番役に立つとは。やはり彼女は侮れないね」
ジストヘール荒原へ抜ける森を進みながら悪態をつく。
あたりに生物の気配はなく、木々が揺れる音だけが聞こえる。うっそうと生茂る木々は星明かりを通さないので視界はほぼ暗闇に近かった。
だが、常に日陰者として生きてきた僕にとって、この森は歩きやすい。空からの僅かな星明かりでもしっかり周囲を見ることができた。
「さて、これくらい離れれば気付かれないかな?」
森の中ほどまで進んだあたりで立ち止まった。
僕の独り言に答える者はおらず、静かな森の中へと吸い込まれていく。
風が木の葉を揺らす音を背に、僕は少し長めの息を吐いて近場の木に寄りかかった。
足が棒のようになって上手く立っていられなかったのだ。
「ふふふっ。この僕ともあろう者がここまで疲れるとはね。しばらく怠けていた代償かな?」
僕は自嘲気味に笑った。
思えば今日は一日中気を使うばかりだったな、と今日のことを振り返る。
敵の要注意人物と日中を共にし、一度別れてからもう一度彼女と死闘を交わした。
それだけでも疲れると言うのに、彼女から逃げるため、大量の魔力を消費した。あの魔法弾で僕の魔力は殆ど空になってしまったのだ。
そんな中、僕は暗い森の中を突き進んだ。もはや体力的に限界が近い。
早いこと移動してしまおう。
恐らくリジーの探索範囲からはまだ抜け出せていないはずだ。決して彼女のことは侮ってわならない。
下手を打てば鋭敏な探知力を持つリジーにすぐに捕捉され、この場で再戦もあり得る。
疲れ切っていいる今、それだけは避けなければならない。
足の震えが収まったのを確認した僕は、急いで脱出用の魔法を構築する。
足元に展開された魔法陣は静かに森を照らす。
数年ほど前、成人してもいない少女が作り上げた空間魔法。離れた土地を結んで瞬時に入れ替える魔法だ。
「転移魔法、こいつは本当に便利な魔法だね」
因果なものだな。まさかリジーが作った魔法で逃げられることになるなんてね。
目を閉じて転移先を決定し、魔法を発動する。それと同時に体が引っ張られる感覚を覚えた。
次の瞬間には木々の揺れ動く音は聞こえなくなり、代わりに水の流れる音が聞こえてきた。うっすら目を開けるとそこは見慣れたアジトの入り口だった。
山の中にひっそりと佇む一軒家で、隣には小さな川が流れている。どこからどう見ても隠居した人間が住む家にしか見えない。
ここが灰の本拠地だとは誰も思わないだろう。
とは言えこの場所までたどり着く人間もいないだろうが……
ここはアトシア大陸の北辺に並ぶパテオ山脈。その中でも一際標高の高いベルネリア山の麓だ。
この山の南側は広大なジストヘール荒原が広がり、北側も海岸が並ぶ。そのため、この麓には人が滅多に立ち入らない。
おまけにジストヘール荒原には大量の魔力が漂っているので、魔力探知の精度を程よく乱てくれる。人探しには不向きな場所だ。
人が寄り付かず、形成された自然が全てを覆い隠す。ここは僕のような人間が姿を隠すにはもってこいの場所でなのである。
僕はしみじみとした気持ちで我が家を見つめた。
ここに居座るようになってもう十数年も経つ。それまでは各地を転々として、泥水を啜るような生活を送っていたものだ。
実はこの家は僕が建てた物ではない。隠居生活を送っていた老人に譲ってもらったのだ。
ぼろ雑巾みたいな僕にでも手を差し伸べる人物がいるのだと。その時は、老人の優しさに珍しく温もりを感じたものだ。
そんな老人は、僕をこの家に招いた翌日に旅立って行った。自分にはもう必要ないからと言っていたか。
その人が今どうしているのかは分からない。
世界を壊す前に、あの方にはもう一度会って見たいものだ。
「まあ、もう亡くなっている可能性が高いな。あの顔は死期を悟った顔だった。今頃はどこかの地で骨になっているだろうね」
僕はそう言って老人への思いを振りほどき、いつもの住まいへと足を踏み入れた。
中に入ると木の独特な香りが出迎えてくれた。
森林の中は葉の深い香りが充満しているが、それとは違う。だがそれは、僕を心地よく包んで安心させてくれた。
絶望の日から初めて得た安息の地ということもあるのだろう。ここは僕の第二の故郷。秘密基地だ。
「あっ、おっかえりー。案外早かったのねー」
家の奥へ進んでゆっくり深呼吸したところで、壁際のソファーから間延びしたような仲間の声が聞こえてきた。




