第八話 二度目はなかった
「フレデリック。何があったのか、最初から話してくれ」
兄に言われ、フレデリックは頷いた。
今夜はパーシーから目を離さないよう頼まれていた。
兄はもう一人の息子を連れて挨拶回りをすることになっていたし、フレデリック自身も今夜のデビュタントには出席する予定だった。それならばと、甥のお目付役を引き受けたのだ。
まさか、最後には腕を掴んで止めることになるとは思っていなかった。
「パーシーがコーネリア嬢に気づいて、そちらへ向かおうとした。私は止めた」
「最初から?」
義姉が聞いた。
「ああ。近づくな、戻れと言った。それでも聞かなかった」
そこから先は、話していて気が重くなるようなことばかりだった。
「あそこまで行く前に、無理にでも連れ出すべきだった。すまない」
「お前の責任ではない」
兄はそう言って、次男を見た。
「お前はどう思う」
「兄上が同年代からあまりよく思われていないことは、以前にもお話ししました」
次男はフレデリックのほうを向いた。
「今夜、兄上がコーネリア嬢に近づこうとしたとき、本気で止めようとしたのは叔父上だけではありませんでしたか」
フレデリックは、パーシーを呼び止めたときのことを思い返した。
「ああ」
「以前なら、兄上の軽口を咎める友人もいました。婚約を解消してからは、コーネリア嬢を薄情だと言うこともあって……今は、兄上に関わらずに済ませる者が増えています」
兄は一人掛けの椅子に深く座り、片方の手を肘掛けに置いていた。もう片方の手で目の辺りを覆ったまま、次男の話を聞き終えても動かなかった。
それから、兄は低い声で告げた。
「パーシーは除籍する」
フレデリックは返す言葉を失った。
兄の顔は手に隠れ、その口元だけが見えていた。義姉が声を上げるまで、誰も口を開かなかった。
「あなた」
「明日、王宮へ申し出る」
フレデリックは兄を見た。義姉が何を言おうと、この決定を変えるつもりはないようだった。
「待ってください。あの子はもう跡継ぎから外れているでしょう。今夜のことが許されないのは分かります。でも、除籍までしなくても……領地へ行かせて、誰かに見てもらえば」
「それでは足りない」
「王都へ出さなければいいでしょう。今度こそ、厳しく言い聞かせます」
フレデリックは、義姉が言い終えるのを待って口を開いた。
「義姉上。もう、家の中で叱って済ませられる話ではありません」
「そこまでのことだとおっしゃるの?」
「コーネリア嬢との婚約を解消したとき、兄上は先方に頭を下げ、違約金だけでなく、多額の慰謝料も支払いました。パーシーを跡継ぎから外したのも、あの振る舞いを許さないと示すためだったでしょう」
義姉も、あのときの話し合いには加わっていた。それでも、パーシーが家を出ることにはならなかった。
「それで、ようやく話が収まったんです。ところがパーシーは、陛下も臨席なさる式典で、またコーネリア嬢を侮辱した。今度は婚約者も、何の関係もない令嬢まで巻き込んで」
「ですから、二度と王都へは――」
「今夜も、私がついていました」
義姉は言葉を止めた。
「最初から止めました。それでも聞かなかった。最後には腕を掴んでいました。次はもっと厳しく見張ればいいと言われても、私はもう、大丈夫だとは申し上げられません」
もっと早く連れ出せばよかったと、後悔は尽きない。
だが、領地へ送った先でパーシーを見張る者に、自分より確かな約束を求めることもできなかった。
「貴族のまま領地へ送れば、パーシーは侯爵家の息子として暮らします。あれだけのことをしても、家に置いてもらえるんです」
「でも、あの子は私たちの息子でしょう」
フレデリックは兄を見た。兄は目を覆っていた手を下ろしたが、肘掛けに置いたまま、妻には伸ばさなかった。
「だから、一度は家に残した」
兄の声は低かった。
「私が何のために頭を下げたのか、あれには分からなかったらしい」
「……あなた」
義姉は、それ以上を続けられなかった。
「パーシーに家名を名乗らせることは、もうできん。明日、王宮へ申し出る」
■■■
王宮から戻った兄とともに、フレデリックはパーシーの部屋へ入った。
「父上、昨夜のことですが、僕の話も聞いていただけますか」
「お前の除籍の申請が通った」
パーシーは、用意していたらしい言葉を続けなかった。
兄は扉を背にしたまま告げた。
「今後、ハーグリーヴスの名を名乗ることは許さない」
パーシーはフレデリックを見た。だが、兄の決定を覆すよう頼まれても、応じることはできなかった。
「お前は領地へ送る。王都には二度と連れてこない」
「待ってください。少し言い過ぎたとは思います。ですが、あれはコーネリアが――」
「まだ、あちらのお嬢さんのせいにするのか」
昨夜も、フレデリックが止めるたびに、パーシーは自分の言い分を聞かせようとしていた。王宮から帰った父親にも、同じことをしようとしている。
「私が頭を下げて、ようやく話を収めたんだぞ」
兄の声が強くなった。
「お前も承知したはずだった。それが、陛下の御前であの騒ぎか」
「今からでも、謝れば――」
「先方はお前の謝罪など必要としていない。お前の除籍だけで済まなければ、爵位を返上することになるかもしれん」
「そこまでなさることはないでしょう。僕は誰かを殴ったわけでもありません」
フレデリックは、パーシーの腕を掴んでいた昨夜のことを思い出した。あのときも、ただ話をしているだけだと言って、聞かなかった。
「昨夜はフレデリックがついていた。最初から止められて、それでもやった。これ以上、誰にお前を任せられる」
パーシーはフレデリックへ言った。
「叔父上も、僕が除籍されるほどのことをしたと思っているんですか」
「王宮の者に止められるまで、やめなかっただろう」
「だから、それは――」
兄が話を打ち切った。
「もう、お前を家の者として外へ出すことはできない」
パーシーは扉へ向かった。
「母上に会ってきます」
「部屋にいろ」
兄の命令を無視して出ようとしたため、フレデリックが行く手を塞いだ。パーシーはその肩を押し、腕を掴まれると振りほどこうとした。
「どいてください! 母上と話すだけです!」
兄は廊下の使用人を呼び入れた。
「押さえろ」
二人がかりで両腕を取られても、パーシーは抵抗をやめなかった。
「僕に触るな! 誰に手を掛けていると思っている!」
兄は、もう一人の使用人に縄を持ってくるよう命じた。
「父上、そこまですることはないでしょう!」
「部屋にいろと言った。それさえ聞かないではないか」
縄が運ばれてくると、パーシーは急に抵抗をやめた。
「分かりました。もう暴れません。ですから――」
兄は命令を取り消さなかった。使用人がパーシーの手首を縛ったが、フレデリックも、縄を解くようには言えなかった。
「お前の母にも昨夜、話してある。支度が済み次第、領地へ発たせる」
「……いつまでですか」
「王都へは戻さない」
使用人が出立の支度を命じられ、衣装箪笥を開けた。
「待て。まだ話しているだろう!」
使用人は兄に指示を求めた。
「進めろ」
衣服が取り出されていく。パーシーの命令では、もう支度は止まらなかった。
「父上。跡継ぎに戻してほしいとは言っていません。ただ、家に置いていただくだけでいいんです」
兄の前へ行こうとして、使用人に押さえられた。
「もうしません。言うことを聞きます。約束します」
「除籍は取り消さない」
兄が扉へ向かうと、パーシーはフレデリックにすがった。
「叔父上からも頼んでください。領地にも行きますから、除籍だけは……」
「私から取り消しを頼むことはできない」
「でも、貴族でなくなったら、僕はどうすればいいんです!」
今、パーシーが心配しているのは自分の暮らしだった。兄が爵位を返上するかもしれないと聞かされても、頼むことは変わらなかった。
「父上、お願いします。もう一度だけ、許してください!」
扉の前で、兄が答えた。
「一度は許した」
フレデリックも兄に続いて部屋を出た。
「叔父上! 母上を呼んでください! せめて、母上と話をさせてください!」
扉を閉めても、パーシーの声は廊下まで聞こえていた。
義姉と次男は、昨夜話し合った部屋で待っていた。
「支度が済み次第、発たせる」
兄はそう告げて椅子に座った。パーシーの前では崩さなかった背が、今は丸まっていた。
義姉は何か言いかけたが、言葉にはならなかった。次男も母親の隣で肩を落としている。
フレデリックは、パーシーが最後まで母を呼んでほしいと叫んでいたことを、伝えずにおいた。




