第九話 同じ馬車で帰れたら
エリオットが訪ねてきたのは、夜会の翌日の午後だった。
婚約した頃は、彼が来ると聞くたびに、何を話そうかと考えていた。昨日までは、次に会ったら話したいことが、彼の訪問を待つ間にいくつもできていた。
けれど今日は、昨夜のことを話さなければならない。
コーネリアは、彼を庭へ誘った。昨夜のことを話すにしても、応接間で向かい合うより、歩きながらのほうがよかった。
けれど、庭へ出て最初に話したのは、エリオットだった。
「昨夜、ご一緒した方のお名前を、半分も覚えられていない気がします」
「一度にあれだけ紹介されたら、そうなりますわ」
「父にも、何度かお会いすれば覚えると言われました。でも、次にお会いしたとき、こちらだけ覚えていなかったらと思うと」
コーネリアにも覚えがあった。初めての夜会では、挨拶を終えたばかりの相手を、母にもう一度尋ねたものだった。
「私もご一緒しますから。お名前を呼んでご挨拶すれば、思い出せるでしょう?」
「お願いします」
エリオットは続いて、昨夜、帰ってからもなかなか眠れなかったと話した。
「私たちの婚約のことを、考えていたんです」
コーネリアも同じだった。自分との婚約のために、彼まで侮られる。昨夜は、そのことが気になって眠れなかった。
「……私も、考えておりました」
「では、お話が早いですね」
早いのだろうか。コーネリアはまだ、どう切り出せばよいかも決めていなかったのに。
「貴方には、まだお時間がありますものね」
「僕は、もう十分待ったつもりなのですが」
そう言われると、返す言葉がなかった。婚約を結ぶ前に、自分がもっとよく考えておくべきだったのかもしれない。
「もっと早く、お話しすればよかったわ」
「今からでも遅くはないと思います。今朝、父にも少し相談しました」
父親には、もう話してあるらしい。
コーネリアは、隣を歩くエリオットに尋ねた。
「お父様は、何と?」
「貴女のお気持ちを確かめてからにしなさいと」
彼の足取りは軽かった。コーネリアは、少しだけ恨めしくなった。こちらは昨夜から、彼に相応しいのは自分ではないのかもしれないと悩んでいたのに。
「私は、貴方のためになるのなら……」
「僕のためだけでは困ります」
そこで初めて、エリオットの声から弾みが消えた。
「貴女にも、早く結婚したいと思っていただきたいんです」
コーネリアは足を止めた。エリオットも隣で立ち止まり、返事を待っている。
「……結婚を?」
「はい。少し早められないかと。貴女は、何のお話を?」
答える前に、ここまでの会話を思い返した。彼は一度も、婚約を考え直したとは言っていなかった。
「私が、貴方の妻になるのに相応しいかどうかを」
「僕のほうが、貴女に相応しいかではなくて?」
コーネリアは聞き返しかけて、やめた。同じことを互いに尋ねていては、いつまでも話が進まない。
「昨夜、あんなことを言われたでしょう。私と婚約しなければ、貴方まで嫌な思いをせずに済んだのではないかと」
「僕が頼りなく見えるから、貴女にまで嫌な思いをさせたのではないかと。それは気になりました」
彼も気にしていたのだ。ただし、コーネリアとは反対のことを。
「では、どうして結婚を早めたいというお話に?」
「昨夜、貴女と会場に入ったときは、とても嬉しかったんです。帰りも一緒ならよかったのにと思いました」
「途中までは、ご一緒だったでしょう?」
馬車に乗るまでは、隣にいたはずだった。
「はい。でも、そのあともです。同じ馬車に乗って、同じ家へ帰れたらと思ったんです」
そこまで具体的なことを考えていたとは思わなかった。
「それで、お父様にご相談を?」
「はい。ただ、結婚すれば毎日一緒に帰れるとは限らないと言われました」
コーネリアは笑ってしまった。彼の父親も、相談にはきちんと答えてくれたらしい。
エリオットはまだ、彼女の返事を待っていた。
「貴女は、早めるのはお嫌ですか」
「いいえ。私も、楽しみにしておりますわ」
コーネリアが手を差し出すと、エリオットはすぐに取った。
二人でまた歩き始めてから、彼が尋ねた。
「では、父にそう伝えても?」
「私も、お父様にお話ししてみます」
今度こそ、同じ話をしている。そう思うと、コーネリアはもう一度笑いたくなった。
「私たちの結婚を、少し早められないかと」
■■■
五年後、夜会の広間で、ローデリックはハーグリーヴス侯爵父子の姿を見かけた。
跡継ぎとなった次男は、父親とは別の客と話していた。あの騒ぎで落ちた家の評判を立て直すため、父子は今も努めている。以前なら気安く声を掛けていた者が、侯爵への挨拶を後回しにすることもあった。
パーシーは、今も領地の屋敷から出してもらえないらしい。
コーネリアの友人たちを安心させるため、彼女の父が折に触れて知らせてくれていた。ローデリックが知るのは、それだけだった。
あの侯爵夫妻なら、多少なりとも反省していれば、領地内の外出くらいは許しそうなものだ。それすら許されないのなら、今も変わっていないのだろう。
「ローデリック、こちらにいたのか」
友人に呼ばれ、ローデリックは侯爵父子から離れた場所へ向かった。そこには、コーネリアとエリオットもいた。
挨拶を交わすうちに、以前からの友人たちが揃った。皆、結婚や家の用事で忙しくなり、こうして集まるのも久しぶりだった。
エリオットも父親から任されることが増えたという。領地との往復が多いと話す彼に、友人の一人が尋ねた。
「では、今夜も長くはいられないのか」
「いえ。今回はしばらく王都にいます。妻との約束も溜まっていますから」
「約束?」
コーネリアが指を折って数え始めた。
「観劇と、お買い物と、それから――」
「全部ここで言わなくても」
夫の声には笑いが混じっていた。コーネリアも途中で数えるのをやめた。
「忘れていらっしゃらないか、確かめただけですわ」
「覚えていますよ。留守の間の手紙にも書いてあったでしょう」
ローデリックは笑いながら、エリオットを見た。
初めて会ったときは、まだ十六だった。今は背も肩幅も増し、声にも物腰にも落ち着きがある。
「立派な男になったな」
エリオットは礼を言い、冗談めかして付け加えた。
「初めてお会いした頃の話は、もう勘弁してください」
「あのときは、コーネリアに相応しい男になると、なかなか熱心だったからな」
「今も、そのつもりです。ただ、ここで繰り返すのは少し恥ずかしいですね」
隣のコーネリアは、夫をからかうでもなく、嬉しそうに聞いていた。
パーシーは本当に、馬鹿な男だった。
彼女が自分から離れるはずはないと思い込み、自分で婚約を壊した。手放したあとには、薄情だと恨んでいた。
「次は踊りましょうか」
曲が変わると、エリオットが妻を誘った。
「ええ。今夜はまだ、あまり踊っておりませんもの」
二人を送り出したあと、友人の一人が言った。
「コーネリアも、いい相手を選んだな」
「ああ」
ローデリックも同意して、広間の中央へ進む二人を見た。
■■■
馬車に乗り込むと、コーネリアは隣に座ったエリオットに言った。
「立派になったと、褒められましたね」
「いつまでも十六の頃と比べられるのは、少し困りますけれど」
そう答えながらも、夫は嬉しそうだった。
「私には、あの頃から素敵な方でしたよ」
「それは初めて聞きました」
コーネリアが手を重ねると、彼はその手を握った。
「早くお話しすればよかったわ」
「今からでも遅くありません。ほかにもあれば、ぜひ」
聞き覚えのある返事に、コーネリアは笑った。あの庭で、二人はまるで違うことを考えながら、結婚の話をしていた。
「続きは、帰ってから」
「まだ先があるんですか」
「貴方が聞きたいとおっしゃったのでしょう?」
エリオットは笑い、つないだ手を自分の膝へ載せた。
「では、ゆっくり聞かせてください」
馬車が動き出した。
帰ったら、まず子どもたちの寝顔を見に行こう。乳母たちに今夜の様子を聞いて、それから夫と話の続きを。
コーネリアはエリオットの肩に寄り添った。
「同じ馬車で帰れるのは、やはりいいですね」
彼の言葉に、コーネリアも答えた。
「ええ。私もそう思います」
END




