千日手? 望むところ!(その1)
「あいこでしょ!」
「あいこでしょ!」
「あいこでしょ!」
「あいこでしょ!」
異界のレストラン・デルフィーノの入り口付近で、先程からずっとこの言葉が繰り返されている。ジェーニョ兄弟による、いつまで経っても終わらないじゃんけんだ。少し離れたテーブルでは、すっかり手持ちぶさたになったあかねが長々とあくびをしている。
双子がかけ声と共に繰り出す手は、常に図ったように同じ形をしている。ランダムなところを見ると、申し合わせて八百長をしているわけではないようだ。延々とあいこが続き、いっこうに勝負がつかない。何回かに一度、ちらりと双子はハグロの方を見る。彼女が興味を失わないか、しびれを切らさないかうかがっている目つきだ。
このじゃんけんが、双子の答えだった。要するに、負けた方がハグロについていく。勝った方が、ファミリーに残る。そういう決まりになっているのだろう。だが、既に十分を過ぎようとしているにもかかわらず、未だに決着はつかない。二人が狙っているのは勝ち負けではない、千日手による勝負そのものの放棄だ。
二人はこう願っているのだろう。いつまでも続くじゃんけんに、飽きっぽいハグロがついに匙を投げる。そして、
「もういいわ。興が冷めた。私は帰るから後は好きにしていいわよ」
という、とてつもなく都合のいい言葉を。だから、二人はちらちらとハグロの方をうかがう。奇跡のような言葉を期待して。
「もういいわ」
しかし、まさにそのあまりにもご都合主義の権化とも言うべき言葉が、ハグロの口から発せられた。待ってましたとばかりに、二人は構えた右腕を降ろす。全身から金粉のようなオーラを漂わせて、双子は待ち受けている。ハグロがすべてを投げ出す言葉を、その両耳で聞くために。
だが。
「趣向を変えましょう。こっちの方が面白いわ」
ハグロがそう言うと、細長い右手の人差し指を立てる。周囲の空気に、香水の芳香が混じった瞬間、兄のマルコの胸元がもぞもぞと動いた。
「んっ? なんだよこれ?」
スーツの胸ポケットに、生きたハツカネズミを入れていたような動きだ。
とっさに手をやるマルコの動きよりも速く、何かがひとりでに彼のスーツの内側から飛び出すと、弧を描いてハグロの右手に収まる。それは、マテバと呼ばれるイタリア製のリボルバーだ。トリガーガードにちょうど立てた人差し指を引っかけ、ハグロはそれを重量などないかのような動きでくるくると回してから手に握る。
「か、返せっ! それは俺のだっ! 俺の銃だぞっ!」
得物を勝手に取られるのは神経に障るのか、血相を変えてマルコはハグロに駆け寄る。あるいは、裸一貫とまではいかないまでも、武装解除された状態で外に出ているのが怖いのか。双子がかつていたローマは、それだけネコたちの勢力争いが盛んだったのだろう。
「分かっているわよ。すぐに返すわ。ちょっと待ってね」
ハグロに対する恐怖よりも、得物を取られた不快感が上回っているマルコを軽くあしらい、ハグロはもう片手をリボルバーに伸ばす。と、次の瞬間魔法のようにその指が動き、テーブルに六発の弾丸が金属音を立てて落とされる。弾倉に収まっていた弾丸を抜いたのだ。
そして、ここからが本番である。ハグロはテーブルに転がる弾丸の内一発をつまみ上げると、それを弾倉に収める。次いで、他の五発の弾丸を握りしめ、何かの文言を小さく呟いてから同様に装填していく。そして勢いをつけて弾倉を回転させてから、音を立てて元の場所に収める。
ハグロが手を開くと、中から手品のようにして真っ白な粉のようなものがこぼれ落ちる。見る間にそれは形を変え、色が付いていく。それは、真っ赤な花を咲かせたケシだ。だが、数秒でそのケシは再び形と色を失い、やがて白い粉に戻るとうっすらと消えていく。
「一発はそのまま麻酔弾。けれども残りの五発はダミーよ。言っている意味、分かる?」
「……ロ、ロシアンルーレットじゃねえかよ…………」
顔色を失うマルコに、ハグロは笑顔でマテバを渡す。
「はい。どうせ麻酔弾でしょ? 当たっても死なないから大丈夫。さあ、この方が確実で分かりやすいわ。遠慮なくどうぞ?」
「マ、マジかよ…………」
近くで弟のアントニオも、兄と同様に青ざめている。
何らかの法術で、ハグロは麻酔弾に込められた睡眠の効果を取り除いてしまったのだろう。おかげで弾丸は不発となる。あの白い粉とケシは、取り除かれた睡眠の効果が目に見える形となって具現したに違いない。こうなると、もはや千日手は通用しない。早ければ一回で、遅くても六回目には勝負はつく。麻酔弾を当てた方が、勝負の敗者だ。
がたがた震えながら、マルコは自分のこめかみに銃口を突きつける。目が恐怖で見開かれているのが、サングラス越しでもよく分かる。ぎゅっと目をつぶると、マルコは引き金を引いた。カチリ、と音がして弾倉が回転する。不発だ。同時に、マルコは大きく息をついて肩を落とす。
「さあ、次よ」
ハグロの言うままに、操り人形のようなぎくしゃくした動きで、マルコは弟にリボルバーを渡す。それを同様の動きでアントニオは受け取ると、こちらも兄とまったく同様にこめかみに突きつけて引き金を引く。やはり不発だ。残り四回。死神の足音が着実に近づいてきたことを理解し、二人は冷や汗を垂れ流している。
あかねとノリトは一部始終を、じっとファミリーのネコたちと一緒に見守っている。あかねは固唾を呑んでそれを見つめ、ノリトもやや関心を示している。ネコたちも同様だ。普段はその場で思い思いの形で寝そべったり転がったりひっくり返ったりしているネコたちも、今だけは彫像のように身動き一つしない。
三回目の挑戦も不発だった。そして四回目も。手にした自分のマテバを見つめ、マルコはもはや削岩機と化したかのように震えが止まらないでいる。確率は二分の一。死ぬか生きるか。究極の選択を突きつけられて、平静でいられるわけがない。仮に生き残ったとしても、そうなると確実に弟が敗者となるのだ。
ここで当たりを引けば、自分が廓に連れされられる。しかし、生き残ったとしても弟が廓に連れて行かれるのだ。それを心安らかに受け入れることなど、どうしてもできない。しかし、だからといって自分が廓に行く気にはどうしてもなれない。あんなブートキャンプでしごかれるよりも、ファミリーで自堕落に生きる方が素晴らしいに決まっている。
何度も生唾を呑み込み、何度も指を引き金から滑らせ、それでもマルコはマテバをこめかみに押しつける。指と同じく、こめかみも冷や汗でじっとりと濡れていて、何度となく銃口は滑ってしまう。こうなれば、口を開けてそこに銃身を突っ込んだほうが確実かもしれない。
それでも、何とかしてマルコはロシアンルーレットの体勢を取る。その痙攣している指がまさに引き金を引こうとしたその刹那――――――
「やめるニャァアアアアア!」
緊迫一色だった空気を切り裂いて、ネコの叫び声が上がった。その場にいる全員の視線が、声のする方向に集中する。
そこで弁慶の如く仁王立ちしていたのは、まだ若いアメリカンショートヘアのネコだった。そう、かつてあかねたちをバッティングセンターで監視していて、あっさりとノリトに捕まったコタローだ。ほんの少し脅されただけで泣き始め、あっさりとファミリーの内情を暴露しようとした腰抜けのコタローは、しかし今は使命感に燃えていた。
二本の足で地面をしっかりと踏みしめ、両手を腰に当て、尻尾を真上に立て、コタローは火花の出そうな目つきで自分たちのボスを見つめる。そしてコタローは、次の瞬間驚くべき行動を取った。
「ニャンニャンニャンニャアアアア!」
わけの分からない気合いの入った叫びと共に、コタローは四つ足になるとマルコに向かって突進する。
一気に距離を詰め、コタローはマルコの足元でジャンプした。空中を飛ぶ鳥を捕まえる、ハンティング中のネコの動きそのものだ。全身のバネを使ってコタローはジャンプすると、前足を伸ばしてマルコの手にあったマテバに抱きつく。常ならば、それくらいでマルコが得物を手放すことはなかっただろう。
しかし、今マルコの手は冷や汗でぐっしょり濡れていた。突然のコタローの動きに反応できず、彼の手からマテバは滑って離れる。コタローはそのまま全身でマテバを捕らえると、なおも高度を上げていく。人の背丈をさらに超え、誰もが見上げる程にコタローの体が達した時。
「ニャアアアア!」
さらにもう一度、やけっぱちのようなコタローの声が響く。同時に、その全身から爆発音と共に白い煙が立ちのぼる。そして一瞬の後、その場にいる全員が聞いた。爆発音と煙幕を貫く、乾いた銃声を。すべてが終わり、ぽとりとコタローは地面に落下する。その両手が、マテバを手放した。今や、たった一発だけあった麻酔弾を撃ち終えたマテバを。




