数字で比べましょう
コルダは約束通り来た。しかも一人で。
ガルドは断面図の清書の途中だった。シオが数値を読み上げ、ガルドが紙に引いていく。コルダの足音が聞こえたとき、ガルドは計算の途中だったので顔を上げなかった。
「一間七分、溝深さ六分——続けてください」
朝の仕事は断面図の清書から始まった。朝の光が東窓から差し込んで、清書の紙に白く落ちていた。
三区間分の設計値を清書用の紙に起こす作業だ。ガルドが計算しながら数字を出し、シオがそれを読み上げ、ガルドが罫紙に書き込む。単純に見えるが、数値一つの読み違いが設計全体に響く。
「北区間、道幅五間半。中央高から西端排水溝天端まで——七分かける二間七分五厘で、差し引き一分九厘二毛。書けたか」
「……いちぶきゅうりんにもう、書けました」
「次。東端は同じ数字だ」
シオが「同じ、はい」と手帳に書いた。クルトはすでに自前の手帳で先回りしており、ガルドが言い終わる前に次の欄を開けていた。
(連携が整ってきた。先週はシオが数値を言い間違えて三回やり直した。今日は今のところ一回もない)
三区間のうち二区間が終わった頃、足音がした。
一人分だった。
コルダは昨日と同じ石工の装いで来た。が、後ろに職人はいなかった。
ガルドは清書の筆を置いた。
「来ましたね」
シオが言った。小声で、特に緊張した様子もなかった。
(シオにとってはコルダは「石工の親方さん」だ。昨日の「認めていない」を気にしていない。あっけらかんとしている。まあ、それでいい)
「続けていてくれ。三区間目が残っている」
ガルドはシオに言って、コルダに向き直った。
「来てくれた」
「言ったからな」
コルダは清書の紙を見た。それから筆を見た。それからガルドを見た。
「話がある」
「どうぞ」
「正式に言う。魔法に頼った工法は認めない。石工の仕事を奪うつもりなら、ギルドとして黙っていない」
声は穏やかだった。昨日の大声とは違った。準備してきた言葉だとわかった。
(正式な異議だ。向こうの立場からすれば当然の話だ。石工ギルドが何十年も請け負ってきた仕事に、外から魔法使いが入り込んでくる。疑うのは合理的だ)
「わかった。そちらの懸念は理解できる」
「理解できると言うが——」
「数字で比べましょう」
コルダが黙った。ガルドが筆を手に取ると、コルダの視線がその手元に落ちた。
ガルドは清書の紙の端、まだ何も書いていない余白に筆を走らせた。
「今の平らな道が何年持つか。カマボコ型排水溝付きに変えた道が何年持つか。この二つを並べます」
ガルドは余白に縦二段の計算式を書いた。
「今の道の状況を確認させてください。北区間、今の路面はいつ敷いたものですか」
コルダが腕を組んだ。
「十二年前だ。俺の親父の代から数えると、三回目の敷き直しになる。俺が職人になった年に最初の大がかりな補修をした」
「十二年で何回補修しましたか。水没後の補修も含めて」
「……大きいのが三回。小さいのは毎年雨季の後に一回は入る。計算しろというのか」
「はい」
コルダが少しの間、考えた。
「大きい補修で三回。小さい補修を十二年で十一回。合わせて十四回だ」
ガルドが書いた。
「補修の間隔が縮まっているか、それとも一定か」
「縮まっている。最初の四年は補修が入らなかった。今は毎年だ」
(予想通りだ。水が逃げないから路盤が緩む。路盤が緩むから補修頻度が上がる。補修しても根本が変わらないから、また緩む)
「では今の道の実際の耐用年数は、最初の敷き直しから四年です。その後は毎年補修が必要な状態になっている。石材と職人の手間を含めた費用は、十二年で何回分かかっているか」
「……石材は三回の敷き直しと毎年の補修で——」
コルダが指を折って計算を始めた。
ガルドは待った。
(急かす必要はない。コルダが自分で数字を出す方が、人の話を聞くより頭に残る)
「大きいのが三回で、小さいのが十一回。石材を含めた手間なら——」
コルダが顔を上げた。指折りをしていた手が、空中で止まっていた。節張った指が、そのまま静止した。
「そんな計算をするやつを見たことがない」
静かな声だった。驚きを押し込めているような声だった。
「補修をしてきた。それだけだ。何年持つかなど、考えたことがなかった」
シオが三区間目の読み上げを止めていた。
クルトは手帳を開いたまま、ペンを持ったまま、コルダを見ていた。
ガルドは紙の計算を続けた。
「カマボコ型排水溝付きの道の場合です。地盤を正しく締めて、中央の傾斜を確保して、排水溝から低地に水を逃がす設計にすれば、路盤への水の影響はほぼゼロになります。石材の耐用年数は、水の影響を除いた摩耗と荷重だけで考えられる」
「それが何年だ」
「道幅に荷車の重量と通行量を当てはめた計算なら、二十年から二十五年が現実的な数字です。大きな補修なしに」
コルダが腕を組んだまま動かなかった。
「今の道が四年で補修が必要になる。カマボコ型なら二十年持つ、と言っているのか」
「今の道の路盤が弱いのは排水の問題が主因です。排水が解決すれば、石を置く石工の仕事の質が直接耐用年数に効いてくる」
ガルドは紙から目を上げた。
「俺の設計で道を作れば、あなたの腕で何年維持できますか」
コルダが動かなかった。
(問いかけとして正しい。石工の技術を否定していない。設計と施工を分けて話している。向こうがどう取るかは向こう次第だが、感情の話にはならないはずだ)
「……」
コルダは長い間黙っていた。
(「石工が要る」という言葉が引っかかっているのかもしれない。三十年の仕事を否定されたのではなく、「必要だ」と言われたことに、まだ慣れていないのだろう)
「俺の腕で、と言うか」
「あなたの職人の腕で石材を並べれば、設計通りの耐用年数が出る。俺の設計だけでは道は作れない。石工が要る」
コルダが地面を見た。足元の土を踏むような仕草をした。それから顔を上げた。
「魔法は地盤の下だけか」
「地盤の締め固めと、地中排水の設計に使う。路面には使わない。路面の石の並べ方は石工の仕事だ」
「……表層は石工、ということか」
「はい。それとも土魔法で表層まで作った方がいいですか」
「いらん」
コルダが即座に言った。
ガルドは「わかりました」と言った。
しばらく沈黙があった。
シオがそっとクルトに何かを耳打ちした。クルトが小さく頷いた。
コルダが断面図の清書に目を向けた。昨日地面に描いてあったものが、今日は紙の上に整えられていた。傾斜の数値が丁寧な字で書いてある。
「数値を書いたのは誰だ」
「シオです」
シオが顔を上げた。
「私です。ガルド様が言った数字を書き取りました」
コルダがシオを見た。
視線がシオの顔に止まった。
しばらくの間、何かを確認するように見ていた。
「……お前、名前は」
「シオです」
「苗字は」
シオが少し間を置いた。
「レイネンです。シオ・レイネン」
コルダが眉を動かした。
「レイネン——ルーダの娘か」
「はい。ルーダ・レイネンは私の父です」
コルダが「そうか」と言った。短い声だった。
(コルダはシオの父を知っている。石工ギルドの職人か、あるいは同じ世代の親方か。昨日は若い職人を連れてきていた。今日は一人で来た。何かを確認しに来たのかもしれない)
ガルドはシオを見た。シオは緊張を見せていなかった。コルダに対して自然に話している。
「父の同僚の方ですか」
シオが聞いた。
「同僚ではない。同じギルドで先輩後輩になる。ルーダは俺より三年後に入った。腕は良かった」
シオが一瞬、手を止めた。目が細くなった。それからまた顔を上げた。
「父もそう言っています。コルダさんに石の角の出し方を教わったと」
コルダが少し顔をほぐした。ほんのわずかだったが、ガルドにはわかった。
「今は何をしている」
「今も石工です。北の採掘場の方に行っています」
「そうか」
コルダが再び断面図に目を戻した。
「一つ聞く」
コルダがガルドに向いた。
「この設計で作った道で、実際に二十年持った例があるか」
「あります。ただし別の土地の話なので、ここの地盤や気候に当てはまるかは別で確認が必要です」
「別の土地で実際に作った、ということか」
「はい」
「……お前は何者だ」
ガルドは少し考えた。
「道を作る人間です。今ここで仕事をしています」
コルダが「そういうことを聞きたいんじゃない」と言ったが、続けなかった。
(何者かという問いに正確に答えるのは難しい。転生者です、と言える状況でもない。「道を作る人間」は嘘ではない)
「俺の親父の代から、この辺りの石工はギルドで請けてきた」
コルダが言った。静かな口調だった。
「魔法使いが来て、一夜で排水路を作って、次は道路だと言う。俺には——そういうやり方が信用できない。早すぎる」
「わかります」
ガルドは頷いた。
「速く作ることと、長く持つことは別の話です。俺が急いでいるように見えるなら、急いでいる理由を聞いてください」
「聞こうか」
「農地への道が毎年雨季に二日から三日使えなくなっている。農作物の搬出が止まる。今年の雨季が来る前に直したい。それだけです」
コルダが腕を組んだ。
「今年の雨季は——あと二ヶ月ちょっとだ」
「はい」
「石材を揃えて、施工の段取りを組んで、三区間を二ヶ月で終わらせると言っているのか」
「三区間全部は難しいかもしれません。農地への道の一区間を優先します。そこが一番損失が大きい」
コルダが黙った。
視線が宙に向いた。石工の指が、小さく折れ始めた。一本、二本——材料の種類か、それとも人手か日数か。コルダの口が微かに動いたが、声にはならなかった。
「一区間なら——」
コルダが言いかけて、止めた。
「石材の規格を持ってくる」
ガルドが「ありがとうございます」と言おうとしたとき、コルダが続けた。
「認めたわけじゃない。数字の話は——まだ俺の頭で追いつかないところがある。石材の規格と数量の計算が必要だ。それで話が合うかどうか、見極める」
「明後日、来てもらえますか」
「明後日来る」
コルダが言った。それから断面図の紙をもう一度見た。
「その紙——写してもいいか」
ガルドは「どうぞ」と言った。
コルダが懐から自分の手帳を出した。職人の手帳だった。使い込まれて角が丸くなっていた。
傾斜の数値のところを、指でなぞりながら書き写した。
コルダが帰った。
シオが大きく息を吐いた。
「……緊張しました」
「見えなかったが」
「見えないように頑張りました。父の知り合いだと思うと——なんか変な感じで」
「父親の同僚は怖いか」
「怖いというか、ちゃんとしなきゃって感じがします。見られているみたいで」
シオが苦笑した。
「でも面白かったです。ガルド様が数字を出したとき、コルダさんの顔が変わりました。感情じゃなくて——考え始めた顔になった」
「そうだった」
「あそこで怒鳴ったりしたら、あの顔にならなかったと思います」
(シオは見ている。教えた覚えがないことを自分で拾っている)
「クルト、記録できたか」
「はい。コルダ親方来訪、正式異議の内容、ガルド様との応答、石材規格の件、明後日再来訪予定——記録しました」
「ありがとう」
クルトが手帳を閉じた。それからもう一度開いた。
「一つ確認してもいいですか」
「どうぞ」
「今の道が四年で補修が必要になる、カマボコ型なら二十年持つという計算は——どこから出た数字ですか。コルダさんに聞かれなかったので気になりました」
ガルドは少し考えた。
「コルダが補修十四回と言った。十二年で十四回は、最初の四年は無補修で、残りの八年は年一回以上になる計算だ。それが四年という数字の根拠だ。二十年の方は路盤強度と水の影響を抜いた計算だ。後で計算式を見せる」
「……わかりました。見せてください」
クルトが手帳にまた書いた。
(クルトは言われなくても確認しに来る。それはいい習慣だ)
午後は三区間目の清書に戻った。
シオが数値の読み上げを再開した。クルトが記録する。ガルドが紙に引く。作業は午後の四の刻には終わった。
「三区間、清書完了です」
シオが言った。
「明後日コルダが来る。それまでに石材の数量を仮計算しておく。シオ、明日の朝——六の刻に来られるか」
「来ます」
「農地への道の地盤調査を先にやる。荷車の通行頻度と重量を聞いておいてくれ。クルトに農家への確認を頼む」
「わかりました」
クルトが手帳に書いた。
「段取り八分、仕事二分だ」
ガルドは清書の紙を筒に丸めた。
「今日の作業はここまでだ」
シオが「はーい」と言って道具を片付け始めた。クルトが「お疲れ様でした」と言った。
「コルダが来たとき——」
ガルドがふと言った。
「シオ」
「はい」
「よくやった」
シオが手を止めた。
「……私、読み上げただけですけど」
「緊張して読み間違えなかった。今日一回も訂正しなかった」
シオが少しの間、黙った。
「——じゃあ、弟子第一号らしい仕事ができたということで」
ガルドは「そういうことにはならない」と言った。
シオが「そうですか」と言いながら笑った。
帰り際、クルトがひとつ言った。
「コルダ親方が石材の規格を持ってくると言いました。あれは——」
「続けてくれ」
「あれは数字を持ち込むということだと思います。コルダ親方が石材の規格という数字を出してくる。ガルド様が設計の数字を出す。二つが合えば、話が進む。そういうことですよね」
「そうだ」
「コルダ親方は今日まで、数字で話をしたことがなかったかもしれません。三十年の仕事で、補修を何回したか、一度も計算していなかった。それが——」
クルトが言葉を選ぶように間を置いた。
「少し、かわいそうだと思いました。知らなかっただけなので」
ガルドは特に何も言わなかった。手に持っていた清書の筒を、脇の台に静かに置いた。
(かわいそう、か。そういう見方もある。向こうが知らなかったことを責める気はない。向こうに教える立場でもない。ただ——コルダが「そんな計算をするやつを見たことがない」と言ったとき、怒っていなかった。知りたそうにしていた。それが大事なことだ)
「明日また来てくれ。石材の数量計算を手伝ってほしい」
「はい」
クルトが手帳を閉じた。
「ガルド様」
シオがまだそこにいた。
「なんだ」
「コルダさん、明後日絶対来ると思います」
「なぜ」
「石材の規格を写していったから。数字を持って帰った人は、次に来るときも数字を持ってきます」
ガルドは「そうかもしれない」と言った。
(シオはよく見ている。教えた覚えがないことを拾ってくる。まったく、どういう素性の子供だ)
「明日は六の刻だ」
「はい。弟子第一号、参ります」
「補助だ」
「はい、補助の弟子第一号、参ります」
ガルドは返事をしなかった。
(……まあ、来る。来ることはわかっている)




