ヴァルダ・ノヴァ
補修三日目の朝、外壁の東面が仕上がった。
コルダが最後の石を押さえて、隣のコルダ仕込みの大柄な援軍兵が位置を固定した。コルダが鎚で角を一度叩いた。音が詰まっている。問題ない。
「終わった」コルダが言った。
「確認する」ガルドは石段を上がった。継ぎ目を指で押した。動かない。据わっている。
「合格だ」
「知ってる」コルダが言った。「俺が据えた石は動かない」
「そうだな」
コルダが鎚を腰に差した。援軍の二人が石材の端材を脇に片した。三日間で覚えた手際だ。コルダの無言の指示を読めるようになっていた。
「西面の継ぎ目は」ガルドは言った。
「今日の昼に入れる。二箇所、石の角が欠けている箇所——充填するだけだ。据え直しじゃない」
「半刻で終わるか」
「一刻あれば充分だ」
ガルドは外壁の上を端まで歩いた。城壁の天端から外側を見た。沼地が広がっている。朝の光が水面に当たっている。北の丘陵の稜線が霞んでいた。旗はない。三日前と同じように、静かだ。
(持った)
城壁は傷んでいるが、崩れていない。継ぎ目が緩んでいた箇所は据え直した。欠けた角は充填した。石のずれは直した。防衛戦の負荷に耐えて、補修で戻った。
設計通りだ。それ以上でも、以下でもない。
中庭に戻ると、エドワン老がいた。
石段の下の縁に腰を下ろして、城壁を見ていた。白い顎髭に朝の光が当たっている。七十に近い体だが、今日は背筋が伸びていた。横にシオが手帳を持って立っていた。シオが気づいて、小さく手を上げた。
「エドワン様が——朝からここに来て、城壁を見ていらっしゃいます」シオが小声で言った。「ガルド様を待っているようです」
「そうか」
ガルドはエドワン老の前まで歩いた。エドワン老が顔を上げた。
「ガルド殿」エドワン老が言った。声は静かだった。感情が抑えられた、落ち着いた声だ。
「補修三日目が終わった。東面は今朝仕上がった。西面は今日の昼に終わる」
「そうか」エドワン老はゆっくりと頷いた。「……よく守った」
「設計通りに機能した」
「そう言うかと思った」エドワン老が言った。かすかに笑みが混じっていた。「ガルド殿はいつもそう言う」
「事実だから」
「うむ」
エドワン老が城壁をもう一度見た。東面の石壁、据え直した継ぎ目が朝の光を受けている。北面は補修済みだ。西面は今日終わる。南面は損傷が少なかった。
「三日間の緊急施工で水路を作った」エドワン老が言った。「マルカから聞いた。ゼルカの本軍が引いたのは、その水路があったからだと」
「水路と斜面の地形が合わさって機能した。どちらかだけでは足りなかった」
「それでも——お前が設計した」
ガルドは答えなかった。事実だが、答える言葉がなかった。
シオが手帳を開きかけた。ガルドが視線を向けた。シオが手帳を閉じた。正しい判断だ。
エドワン老が縁から立ち上がった。ゆっくりと、石段に手をついて体を起こした。ガルドが一歩近づいた。エドワン老が手を軽く振った。「自分で立てる」
「分かった」
エドワン老が城壁の方を向いた。外壁の全体が見える位置に立った。南面から北面まで、石壁が連なっている。水路が城壁の根元を沿っている。門が石造りで立っている。
「ガルド殿」エドワン老が言った。
「何だ」
「この要塞に、名前をつけよ」
静かな言葉だった。命令でも懇願でもない。当然のことを言う口調だ。
ガルドは一拍、間を置いた。
名前。
設計図には「ヴァルダ沼地防衛要塞・北端水路接続区間」と書いた。施工記録には「外壁東面三区間・継ぎ目修正済み」と書いた。城壁を見るとき、ガルドの頭の中にあるのは寸法と荷重と石の種類だ。名前をつけることは、仕事の範疇の外だった。
だが——
(ここはヴァルダだ)
沼地の名前だ。最初に来たとき、この名前しかなかった。役に立たない土地、貧しい辺境、水害の多い湿地帯——そういう意味で呼ばれていた名前だ。
その名前のまま、ここは変わった。水路が通り、城壁が立ち、水が制御されるようになった。防衛戦を経て、ゼルカの本軍が引いた。
新しくなった。
「ヴァルダ・ノヴァでいい」ガルドは言った。
「……ヴァルダ・ノヴァ」エドワン老が繰り返した。「新しいヴァルダ、か」
「そうだ」
「よい名だ」エドワン老は言った。今度の声には、少し重みが入っていた。「——よい名だ、ガルド殿」
シオが手帳を開いた。「書いていいですか」
「書け」
「要塞名——ヴァルダ・ノヴァ。ガルド・クロスウェル命名」シオが書きながら言った。「日付は今日。補修三日目の朝。エドワン様の前で——あの、エドワン様に証人として入れていいですか」
「好きにしろ」ガルドは言った。
「エドワン様、証人として記録にお名前を入れさせていただいていいでしょうか」
エドワン老が頷いた。「入れなさい」
「ありがとうございます」シオが書いた。丁寧な字で、ゆっくり書いた。記録の中でも特別な一行だと思っているのが、書き方で分かった。
ガルドはその横で城壁を見ていた。
マルカが来たのは、昼を少し前に回った頃だった。
右脚をまだかばいながら歩いているが、昨日より足の運びが安定していた。左腕の布は薄くなっていた。包帯を巻き直したらしい。中庭の縁に来て、ガルドの横に立った。
「東面が終わったと聞いた」
「今朝仕上がった」
「西面は」
「今日の昼に終わる。コルダが入っている」
マルカが城壁の方を見た。遠くで、コルダと援軍の二人が西面の作業をしているのが見えた。コルダが鎚を持っている。
「……腕は」ガルドは言った。
「昨日より軽い。巻き直してもらった。薬師の見立てでは、あと五日も使わなければ普通に動くと」
「使うな」
「使わないつもりだ。そのために指揮をとる」マルカが言った。「無駄な動きをしなくていい役目が指揮だ」
「そうだな」
二人で少し黙っていた。
「エドワン様が来たと聞いた」マルカが言った。
「来た」
「何か言ったか」
「名前をつけろと言った」
マルカが振り返った。「要塞に?」
「そうだ」
「お前がつけたのか」マルカが言った。「何と」
「ヴァルダ・ノヴァ」
マルカが少し間を置いた。「……ヴァルダ・ノヴァ」
「新しいヴァルダだ」
「知ってる」マルカが言った。「——よい名だな」
ガルドは答えなかった。よい名かどうかは分からなかった。短くて覚えやすい。どこから来た場所か分かる。今がどういう場所か分かる。それだけだ。
「計算師らしい名前だ」マルカが言った。「余計なことが入っていない」
「余計なことを名前に入れる必要はない」
「そうだな」マルカがかすかに笑った。「——俺は気に入った」
シオが石段を駆け下りてきた。手帳を持っている。
「マルカさん、ヴァルダ・ノヴァという名前——聞きましたか」
「今聞いた」
「どう思いますか」
「よい名だ」
「私もそう思います」シオが言った。「記録にもう一度確認で入れておきたいのですが——マルカさんに証人として入れていいですか」
「エドワン様に入れたんじゃないのか」
「エドワン様にも入れました。でも、施工責任者と自警団の方にも——」
「好きにしろ」マルカが言った。
「ありがとうございます」シオが書いた。「……あの」
「何だ」マルカが言った。
「腕の具合はどうですか」
「昨日より軽い」
「そうですか」シオが少し顔をほころばせた。「よかったです」
マルカが視線をガルドの方に向けた。ガルドは城壁を見ていた。
「……シオは正直だな」マルカが言った。
「はい」シオが言った。「心配していたので」
「心配なら聞けばいい」
「聞きました」
「まあ、そうだな」マルカが頷いた。
昼過ぎ、コルダが西面から戻ってきた。
鎚を腰に差して、手帳を閉じながら歩いている。中庭に入ってきて、ガルドのところに来た。
「終わった」コルダが言った。「西面の二箇所、充填完了だ」
「確認する」
「する前に言っておく」コルダが言った。「——この壁は持つ」
「そうだな」
「三日間の施工で作った北端水路も、防衛戦中に外壁にかかった荷重も——全部持った。俺の目で見て、そう言える」
ガルドはコルダの顔を見た。コルダの目は真剣だった。感情が混じっていない。職人の目だ。
「三回目か」ガルドは言った。
「最初の二回とは別に数えていい」コルダが言った。「——今回のは、俺が積んだ石についての話だ」
「分かった」ガルドは言った。「確認してくる」
石段を上がった。西面の充填箇所に手を当てた。動かない。指で押した。固い。コルダが充填した石材は、表面の温度が他の石と揃っていた。乾きが均一だ。
(悪くない)
声には出さなかった。
城壁の上から中庭を見た。コルダが待っている。シオが手帳を開いている。マルカが縁に腰を下ろして城壁を見ている。
ヴァルダ・ノヴァ。
名前がついた。設計の六割だ。まだ仕事がある。水路の延長計画がある。農地の排水改修の続きがある。門の増設がある。全部、段取りが要る。
だが今日、この城壁は立っている。
(持った)
夕方になると、風が変わった。
北から来ていた風が南回りになった。湿り気が少ない。乾いた夕方の風だ。城壁の上に立っていると、遠くの沼地の水面が光を反射しているのが見えた。
シオが石段を上がってきた。「補修記録の整理が終わりました」
「見せろ」
シオが手帳を開いた。補修箇所の一覧、施工者、確認者、日付——全部入っている。ヴァルダ・ノヴァ命名の記録も、一ページ使って丁寧に書かれていた。
「これでいい」
「ガルド様」シオが手帳を持ったまま言った。「あの——今回の防衛戦が終わって、名前がついて……ガルド様は、どう思っていますか」
「どう思う、とは」
「設計した場所が、人を守りました。それについて」
ガルドはしばらく、北の方向を見ていた。旗はない。丘陵の稜線に夕方の光が当たっている。
「段取り通りだった」ガルドは言った。
「それだけですか」
「……守れると計算して、守れた。計算が合っていた、ということだ」
「じゃあ、うれしいですか」
ガルドは答えを少し考えた。
「計算が合ったとき、俺はそういう感覚になる」
「書いていいですか」シオが言った。「記録に」
「書くな」
「……分かりました」シオが言った。「でも、覚えておきます。またガルド様が書くなと言っても」
「好きにしろ」
シオが手帳を閉じた。ガルドの横で、城壁の方を向いた。二人で少し黙っていた。
「ヴァルダ・ノヴァという名前」シオがまた言った。「私、好きです。ここがどこから来たか、どこに向かっているか、両方分かる名前だから」
「そういうことだ」ガルドは言った。「余計なことが入っていない」
シオが頷いた。
城壁に夕方の光が当たっていた。東面も、北面も、西面も——補修が終わった石が並んでいた。傷んでいたが、直した。設計より荷重がかかったが、持った。
ヴァルダ・ノヴァ。
新しいヴァルダ。
まだ六割だ。残りを作る。仕事が残っている。
それで——十分だ。
あとがき
アーク4、最終話です。「ヴァルダ・ノヴァ」という名前をガルドが口にする瞬間のために、EP31から積み上げてきたアークでした。派手な名付けではなく、短くて余計なものがない——それがガルドらしい命名だと思います。コルダの「俺が積んだ石は持つ」という言葉も、今回書きたかった場面のひとつです。城壁に名前がつくことで、「建てたもの」が「守ったもの」になる。そのことをガルドがどう受け取るか、次のアークへの橋渡しとして静かに置いておきました。




