改訂設計
マルカへの連絡は、翌朝に済ませた。
「計算書ができた。見てもらえるか」
それだけ言うと、マルカは三秒黙ってから「わかった、今から行く」と言った。余計なことを聞かない。この人はそういう人だった。
詰所の卓に計算書を広げた。
仮案とは言え、数字は整合していた。通常土質と特殊土質の魔力定着速度の比較から、外壁施工速度の試算まで。施工速度一・三倍から一・五倍。同コストで上位設計が出せる計算が並んでいる。
マルカが椅子を引いて向かいに座った。計算書に目を落とす。
シオは部屋の隅で手帳を開いていた。記録係として来ていた。
「これは」マルカが言った。「先日の人工固化層の周辺から取れた土の話か」
「そうだ。昨日、通常の土と比較計測をした。特殊土質は魔力定着速度が通常の五倍近い」
「五倍」
「実測値だ。仮定ではない」
マルカが計算書のページをめくった。手が止まった。
「外壁の施工速度が変わるということか」
「そうなる」ガルドが言った。「同じ工期で施工できる面積が増える。あるいは同じ面積ならより密度の高い壁になる。どちらを選ぶかは設計判断だが——今の申請範囲のコストで、当初より上位の外壁が作れる計算だ」
マルカが顔を上げた。
(……どういう顔をするかな、と思っていたが)
驚いていなかった。眉が少し動いただけだった。
「素材の調達量は」
「問題がある。今の縦穴で取れる特殊土質は最大で二十桶程度だ。外壁の設計を大きく変えるには、その十倍以上が必要になる」
「では追加で掘る必要がある」
「そうなる。人工固化層の周辺をもっと広く調査しながら採取する。ただし——今月の一期水路工事が先だ。水路が完成してから本格的な調査に入る段取りを組む」
「順番があるわけだ」
「段取りだ」
マルカがまた計算書に目を戻した。しばらく読んでいた。
シオが隅で「……聞いてた通りです、数字で話してます」と小さく書き込んでいた。たぶん手帳だろうと思った。
「申請書の修正が必要か」マルカが言った。
「そうなる可能性がある。設計変更の規模次第だ。素材調達の調査結果が出てから判断する」
「いつ頃出る」
「一期水路が完成してから。今月末か、来月の頭だ」
マルカが手を卓に置いた。「それまでは現行設計で進めるということか」
「外壁の一部を特殊土質で試験施工する。小さい規模で精度を確認する。設計変更の判断はその後だ」
「試験施工に追加の許可は必要か」
「現行申請書の工事範囲内に収める。追加申請は不要なはずだ」
マルカが少し考えた。「わかった。試験施工の結果が出たら報告してくれ。申請書の修正が必要になったとき、手続きを早く回す段取りは俺が組む」
(……この人は仕事が早い)
「助かる」
「こちらも利害がある」マルカが言った。「良い設計で建てられる方が、守りやすい」
シオが「そうですよねえ」と隅から言った。
マルカが「お前はなんで常にそこにいるんだ」と聞いた。
「記録係です」
「記録係がそんな感想を言うのか」
「補足感想です」
ガルドは計算書を折りたたんだ。「よし。では今日から外壁の試験施工に入る。一区間、三間分だ」
「今日から?」とシオが言った。
「今日からだ。段取りは昨日のうちに組んである」
試験施工の区間は、北側外壁の西端三間だった。
現行設計で一区間の施工が一日かかる場所だ。特殊土質を混ぜた場合に、どのくらいの速度と密度が出るか——それを確認する。
ガルドは朝から一人で土魔法を通した。
特殊土質を通常の粘土に混ぜた状態で、魔力を入れる。
——入った。
昨日の計測通りだった。魔力が定着していく速度が、通常土質だけの場合より明らかに速い。横に散っていかない。縦に入っていく。密度が均一になっていく感触が、指先に返ってくる。
ガルドは手を土から離した。指先に余熱が残っていた。魔力を大量に通した後の、じんとする感触だ。
(……計算通りだ)
施工精度が上がる。施工速度も上がる。体感では一・四倍前後——計算の一・三〜一・五倍の範囲に入っている。
シオが距離棒を持って立っていた。
「どうですか」
「計算通りだ」
「……ガルド様が計算通りと言ったの、初めて聞いた気がします」
(そんなことはない。設計通りに施工が進めば計算通りと言う)
「二区間目に入る」ガルドが言った。「次の三間の準備をしてくれ」
「え、もう終わりましたか」
「三間分は終わった」
シオが振り返って、施工した区間を見た。
何か言おうとして——止まった。
一区間、三間分の外壁が立っていた。高さ一間半。乾燥した表面は粘土が固まって白みがかっている。ガルドの腰の高さより少し上、見上げるほどではないが、壁としての存在感が出ていた。土魔法で固めた壁だ。通常の施工では一日かかる区間が、半日で終わっていた。
(……シオは何が起きたか気づいたか)
「……これ、もう終わってるんですか」シオが言った。
「そうだ」
「半日かかってないですよね」
「かかってない」
「……」
シオが手帳を取り出した。急いで何か書き始めた。たぶん時刻の記録だろうと思った。
マルカが現場に来たのは、昼過ぎだった。
試験施工の区間が三区間、九間分立っていた。ガルドが設計では二日かかると見ていた区間だった。
マルカが壁に近づいた。手のひらを壁面に当てた。面積を確かめるように、少し押した。
「……硬いな」指先が表面の細かい粒子をなぞった。「粘土だが——普通の粘土と違う感触がある」
「通常の施工より密度が上がっている。手触りで分かるかどうかは」
「分かる」マルカが言った。「これは——何が違うんだ」
「特殊土質を通常の粘土に混ぜた。魔力の定着率が上がって、固まり方が変わった」
マルカが壁から手を離した。九間分の外壁を、端から端まで見た。
「二日分の施工が、半日で終わったということか」
「正確には一日と少しだ。昨日の段取りの時間も含めると」
「それでも半分以下だ」マルカが言った。「こういう壁を、水路と組み合わせるわけか」
「そうだ」
「水路が動線を潰して、壁が守る。どちらか片方ではなく両方が揃って機能する設計だ」
「理解が早い」
「設計図で何度も確認した」マルカが言った。「あのとき覚えた」
(……確かに、設計図の説明に半日かけたな。その甲斐はあった)
マルカが外壁の端から沼地の方向を見た。
水路の掘削が始まった区間が遠くに見えた。地形を利用した堀の計画線が、測量杭に印をつけて並んでいる。
「……」マルカが少し長い間、それを見ていた。
「何を見てる」ガルドが聞いた。
「全体像を、頭の中で組んでいる」マルカが言った。「外壁、水路、堀。三つが並んだら——」
「そうなる」
「こんな要塞、王都にもないぞ」
(……そうか)
(水路と壁と地形が揃えば、そうなる計算だった。計算が正しかったということだ)
「王都の要塞は?」
「城門が強固で、石壁が高い。地形は使っていない。平地に建てるから地形が使えないという事情もあるが——ここは沼地全体が防衛地形になる」
「平地の要塞は無駄が多い」ガルドが言った。「壁で全方向を囲まないといけない。ここは地形と水で囲まれている。壁は重要な区間だけでいい」
「それが設計書に書いてあった「防衛の効率化」か」
「そうだ」
マルカが沼地から視線を戻した。壁をもう一度見た。
「……ガルド、お前は」
「なんだ」
「この設計、自分でも良いと思っているか」
ガルドは少し間を置いた。
「計算が合っている。設計に穴はない。それが良い、ということだ」
マルカが「そうか」と言った。何かを言いかけて、やめたようだった。
シオが「わかりやすくすごいって言えばいいのに」と小さく言った。
「聞こえてるぞ」とマルカが言った。
「聞こえてもいいです」
ゼルカ公国の偵察騎馬三頭が、ヴァルダ沼地の西端に差しかかったのは夕刻だった。
先月も同じ場所を通っていた。あのときは、ただの湿地だった。水が多く、霧が出ていて、農地がぽつぽつとある。要塞と呼べるようなものは何もない。辺境の、誰も気にしない沼地だった。
今回は違った。
沼地の東縁——以前は何もなかった場所に、壁が立ち始めていた。まだ数間分だが、素人が見ても「何かが変わった」とわかる。測量杭が規則的に並んでいる。水路の掘削が始まっている。
「……なんだあれは」偵察の一人が言った。
「工事だ。なんか作ってる」
「壁か?」
「壁みたいだな。でも——なんかおかしい」
「どう、おかしい」
「あの水路の向きを見ろ。沼に繋げようとしてるのか?」
三人が沼地の方向を見た。遠目に見える掘削区間は、沼地の端と繋がる方向に向かっていた。
「……囲おうとしてるんじゃないか」一人が言った。「水と壁で。あの沼地全体を」
「冗談だろ。あんな沼を?」
「でも——あの壁の立て方は、そういう位置だ」
三人の間で少し沈黙があった。
「……帰ってから報告する」一人が言った。「工事が始まっている。想定より進んでいる。そう伝える」
「それだけか」
「……脅威になる前に、動くべきかどうかも合わせて聞く」
誰も反論しなかった。
馬が向きを変えた。霧がかかり始めた沼地の夕暮れの中、三頭の影が西に動き出した。
先頭の一人が、一度だけ振り返った。
壁はまだそこにあった。夕霧の中でも、白い輪郭だけははっきりと見えていた。
その一人は何も言わず、馬を急かした。
日が落ちる前に、ガルドは翌日の施工範囲を確認した。
手帳に明日の段取りを書く。外壁施工の続き——四区間目から六区間目。特殊土質の配合比率を少し変えて、密度と定着速度のバランスを確認する。来週から水路施工と並行して進める計画だ。
シオが帰り支度をしながら言った。「今日、マルカ様が「こんな要塞、王都にもない」って言いましたね」
「聞こえてた」
「嬉しくないですか」
「計算が合ってることは確認した」
「……それが嬉しいということですか」
「そうだ」
シオが「相変わらずですね」と言った。不満そうではなかった。どちらかというと、少し笑っているような声だった。
「一つ聞いていいですか」シオが続けた。
「なんだ」
「次は何をやりますか」
ガルドは手帳を閉じた。
「正門の設計だ」
「……また始まった」シオが言った。「外壁がまだ全部終わってないのに」
「段取りだ。正門の設計を今のうちにやっておかないと、外壁が終わったときに次が詰まる」
「詰まりませんよ、普通は」
「詰まってから焦るより、詰まる前に動く方がいい」
「……それが「段取り八分、仕事二分」ってやつですか」
「そうだ」
シオが手帳に書いていた。「また新しい段取りが増えましたね」と言った。
(そういうことだ)
ガルドは手帳を腰に戻した。
外はもう暗くなっていた。沼地の向こうから水鳥の声が来ていた。施工した外壁の区間が、夕暮れの中に静かに立っていた。
(外壁の一部が立った。水路の掘削が始まった。設計は正しかった——それは今日の施工で確認できた)
(ただし、特殊土質の調達量はまだ問題がある。今の採取量では外壁全体を特殊土質で仕上げるには足りない。調査を早める必要がある)
(次は正門だ。正門の設計が決まれば、要塞の骨格が揃う)
ガルドは現場を背にして歩き始めた。




