これを使えば
翌朝、ガルドは一人で現場に向かった。
北農地東端区間——昨日、代替ルートに変更を決めた区間だ。今日の工事は代替ルートの整備からになる。職人はすでに段取りを知っている。自分がいなくても動く。
目的は別にある。
昨日の夜に決めた。まず計測だ。数字なしに設計は変えない。
現場に着くと、シオがすでに来ていた。手帳を抱えて立っている。
「今日は計測ですか」
「そうだ」
「何の計測ですか」
「昨日の土の魔力浸透率だ。実測値を取る」
シオが手帳を開いた。「採取してから計測するということですね。何グラムくらい採取しますか」
「重さじゃない。体積で採る。容器を用意してくれ」
シオが「容器」とつぶやいて手帳に書き込んだ。「工房に粘土の焼き物の小さい壺があります。あれでいいですか」
「それでいい。二個」
「一個は通常の土と比べるためですか」
(察しがいいな)「そうだ」
「……また今思いついた理由がありましたか」
「あった」
シオが「わかりました」と言って工房の方へ走っていった。
縦穴は昨日のままだった。
ガルドはその縁に立って穴の底を見た。昨日掘り出した部分は、また少し土がずり落ちている。人工固化層の上面が薄く見えていた。
土魔法を通してみた。
——やはり、スッと入る。
抵抗がない。粘土の感触ではない。砂質でもない。水を含んでいるわけでもない。ただ——魔力が定着するのが早い。流れていかない。周囲に散っていかない。一定の場所に留まる。
「(……面白いな)」
昨日より明確に感じる。昨日は「違う」と思っただけだったが、今日は数値として把握できる気がした。
シオが壺を二個持ってきた。
「一個に通常の粘土を入れてきました。あとから採取するより、手元に比較用があった方が便利かと思って」
「そうしたか」
「良かったですか」
「問題ない」
ガルドは縦穴の横の土を素手で取った。通常の粘土だ。粘り気があって、じわりと水が滲む。これを触れるとわかる——土魔法が馴染むのに少し時間がかかる。抵抗がある。押し返してくる感触がある。
次に、縦穴の縁——人工固化層の端のすぐ隣の土を採取した。見た目は同じ粘土だ。色も質感も、素手では区別がつかない。
ただ、土魔法を通すと違う。
「容器に入れろ。こっちが通常、こっちが特殊。ラベルをつけておけ」
「はい」シオが壺を受け取って「通常」「特殊」と脇に書いた。「……ラベルって言葉、この世界にありましたっけ」
「俺が使う分には問題ない」
「……はい」
作業場に戻ってから、ガルドは計測を始めた。
方法は単純だ。同量の土を同じ大きさの試験区に用意する。一定の魔力量を投入する。定着速度と定着範囲を測定する。
通常の粘土から始めた。
魔力を投入——広がっていく。横に散る感触。縦に入っていく量が少ない。表面から三分の深さに達するのに、体感で十数えるくらいかかった。
次に特殊土質。
同量の魔力を投入——
指先に感触が走った。手のひら側に流れが返ってくる。反発ではなく、引き込まれる感触だった。
(……速い)
ガルドは手を止めた。
縦に入っていく。横に散っていかない。表面から三分の深さに達するまで、三つ数えたかどうかだった。通常の四倍以上の速さで定着した。
シオが手帳から顔を上げた。穴を見ていた。書き忘れたらしい。「……その反応、どう見ても違いますね」と言った。
「違う」
「四倍くらいですか」
「もう少しある。五倍近い」
「……五倍」シオが手帳を見た。「それって……何かすごいことが起きているということですよね」
「数字が出た」ガルドが言った。「それだけだ」
「「それだけ」って言いますけど——五倍ですよ。通常の五倍の速さで魔力が定着するって、すごいことじゃないんですか」
(……まあ、すごいと言えばすごいが)
「施工の効率が変わりますよね。設計が変わりますよね」
「計算してから言え」
手帳を出して計算を始めた。
現在の外壁設計は、一定の魔力量で一定の厚さを固める前提で組んである。通常の土質を基準にしている。
では——特殊土質を使った場合、どうなる。
魔力定着速度が五倍なら、同じ施工時間でどれだけの厚さを固められるか。逆に、同じ厚さを固めるのに必要な施工時間はどれだけ減るか。さらに、定着した後の密度は変わるか。
計算を進めると——数字が変わった。
(一・五倍……そんな数字が出るのか)
(……思ったより大きい)
外壁の施工速度が、一・三倍から一・五倍になる計算が出た。同じ時間で施工できる区間が増える。あるいは、同じ区間を同じ時間で施工した場合、壁の密度が上がる。
「ガルド様」シオが手帳を覗き込んだ。「何の計算ですか」
「外壁の設計を特殊土質で試算している」
「結果は」
「施工速度が一・三〜一・五倍になる」
シオがしばらく黙った。
「……それって」
「設計が変わる」
「変わるって、どのくらい変わりますか」
「現在の設計より施工面積が増やせる。あるいは同じ面積でより密度の高い壁になる。どちらを選ぶか次第だが——今の想定コストで上位設計が出せる計算になる」
シオがゆっくり手帳に書いた。「……申請書が変わりますね」
「そうなる」
「マルカ様への報告も変わる」
「そうなる」
「……」
シオがペンを止めた。「ガルド様。一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「この素材って、どこから調達するんですか」
ガルドは手帳を閉じた。
(……そこが問題だ)
「現状では、あの縦穴の周辺からしか採れない」
「じゃあ——あの場所を掘る必要がありますね。人工固化層の周辺を」
「そうなる」
「でも工事ルートはもう一間北にずらしましたよね。あの場所は今の工事から外れている。別途、調査として掘らないといけない」
「そうだな」
シオが手帳をパラパラとめくった。「調査許可は——今の申請書の範囲内で取れますか」
「微妙なところだ」ガルドが言った。「現在の申請書は工事の範囲で申請している。調査を加えるなら追記が必要になるかもしれない。それとも別申請か」
「……一つのことで、三つくらい段取りが増えましたね」シオが少し困った顔をした。
「(そういうことだ)」
「ガルド様は計算が出たら嬉しくないんですか。すごい発見なのに」
「嬉しいとか嬉しくないとかじゃない」ガルドが言った。「数字が出たらそれに従う。良い数字が出ても悪い数字が出ても、やることは段取りを組むことだ」
「……なんか合理的すぎて感動が薄いですね」
「感動は後でしろ」
午後の計算で、もう一つ問題が出た。
採取量だ。
今の縦穴で取れる特殊土質は、せいぜい二十桶分程度だ。外壁の設計を大きく変えるには、その十倍以上が必要になる計算だった。つまり——遺構の周辺をもっと広く掘る必要がある。
どのくらい掘れるかは、遺構の広がりによる。
「昨日の計測では、人工固化層は東西二間半以上あった」ガルドが手帳に書きながら言った。「南北の延長は不明。特殊土質の分布がどこまで続くかも不明」
「調査が必要ですね」
「そうだ。ただし——」
「ただし?」
「特殊土質の分布が遺構の範囲と一致するかどうかもわからない。遺構が原因で土質が変化しているのか、それとも別の理由があるのか。その確認が先だ」
シオが「確認の方法は」と聞いた。
「土魔法で広さを測る。実際に掘るのは最小限にする」
「いつやりますか」
「今の工事の段取りがついてから。今月中には一期水路を通す。それが先だ」
「優先順位は、今の工事が上ということですね」
「そうだ。ただ——」
ガルドは少し手を止めた。
「計算はしておく。素材が使えると判断できたら、設計の修正案を作る。マルカへの連絡はその後だ」
「順番が多いですね」
「段取りだ」
夕方、一通りの計算書ができた。
仮定の数字で組んだ設計修正案——特殊土質を組み込んだ場合の外壁改訂設計。施工速度・強度・コストの試算表。今の申請書との差分リスト。
数字は整合していた。
ガルドは手帳を閉じ、シオに言った。「この計算書は仮案だ。素材の調達量と分布が確認できてから正式案に上げる」
「わかりました」シオが写しを取り終えて「一つ聞いていいですか」と顔を上げた。
「なんだ」
「マルカ様、驚きますかね」
ガルドは少し考えた。
「驚くかどうかは知らない」
「でも今の申請書の想定を超える設計になりますよね」
「そうなる」
「……大変そうですね、マルカ様が」
(大変なのは俺の段取りだと思うんだが)
「伝え方、うまくやった方がいいですか」
「そうだな」ガルドが言った。「計算書を見せる。数字で話すのが一番早い」
「ガルド様の「一番早い」って、大体一番時間がかかる気がします」
「計算が合えば時間はかからない」
「そこが問題です」
工房を出るとき、シオが「明日、マルカ様に連絡しますか」と聞いた。
「そうだな」
「してください」シオが手帳を抱えた。「私から先に言うと「なんで副官が」ってなりますから」
「そうか」
「ガルド様が直接言ってください。計算書を持って」
「わかった」
「……本当にわかりましたか」
(……わかってるって)
「ガルド様は「わかった」と言いながら忘れることがあるので」
「ない」
「先日、マルカ様に確認する段取りを三日後回しにしましたよね」
「あれは工事が先だった」
「今回も工事が先、って言いますよね絶対」
「……明日連絡する」
シオが「ありがとうございます」と言って手帳に何か書いた。たぶん、明日のガルドへの確認メモだろうと思った。
沼地の向こうに夕日が落ちていた。一日の終わりだった。
(特殊土質が使えるなら——設計が変わる。設計が変わればまた段取りが変わる。段取りが変われば工事が変わる。それはいいことだ。良い計算が出たのだから)
ただ、マルカの顔を思い浮かべたとき、ガルドは少し複雑な気持ちになった。
(……あの人、設計が変わったって聞いたら、どういう顔をするかな)
以前、外壁の基礎設計を初めて見せたとき——あの人は図面を三秒見て「これが最善ですか」と聞いた。同意でも反論でもなく、確認だった。その顔を思い出した。
それは少し楽しみだった。




