人工的に固められた何か
朝、ガルドは工事現場に立った。
北農地東端区間——一期水路の着工だった。地盤改良から入って、水路の掘削に進む。今月完了させる予定の区間だ。
「段取りは」
「確認済みです」シオが手帳を開いた。「地盤改良が五日、掘削が十日。合計で今月中に一本目の水路が完成します」
「よし」
空気が湿っていた。秋の終わりの朝で、農地の向こうに霧がうっすらかかっている。職人が二人、道具を持って待っていた。コルダの職人——ニルとオーカだった。
「今日から地盤改良に入ります」ガルドが二人に言った。「俺が先行して土魔法で地盤を締め固める。石工の仕事は水路の内壁施工です。それは掘削が終わってから。今日は俺の作業を見ていてください」
ニルが「わかりました」と言った。オーカが手帳を出した。
「先に記録しておくことがある」とガルドが言った。「この区間の東から十三間付近——昨日の日付で地盤異変の記録をとってある。工事を進めながらその地点を通る。通ったときに状況が変わる可能性がある。その場合は施工方法を変える」
「変えるというのは」とニルが聞いた。
「掘り進む深さを変える。通常は地盤改良で終わらせるが、異変地点の状態によっては縦穴を入れる判断をする可能性がある」
シオが「掘り調査ですか」と言った。
「可能性の話だ。今は工事を進める」
ガルドは手帳を腰に戻した。
地盤改良は、最初の数間は問題なかった。
表層の粘土を土魔法で締め固めながら進む。含水比が高い。水がじわじわと横に出てくる。計算通りだった。
「水が出てますね」シオが言った。
「出る計算だ。仮設の誘導路に流してくれ」
「はい」
シオが職人と一緒に出てきた水を誘導し始めた。ニルが「あっちの古い農業用水路に流せばいいですか」と確認した。
「そうだ」
作業は続いた。
五間、八間、十一間——
十三間に差しかかったとき、地盤の感触が変わった。
(……ここだ)
昨日、手帳に書き留めた地点だった。土魔法を通すと、抵抗感が返ってくる。魔力が跳ね返される感触——昨日と同じだった。いや、昨日より明確だ。昨日は地盤改良の深さで確認した。今日は作業として土に触れているから、より直接に感触が来る。
ガルドは手を止めた。
(形がある。下に何かある。これを通り越して地盤改良を続けるか、掘るか)
手帳を出した。昨日の記録を確認する。北農地東端から十三間。深さ二尺以下。東西一間半程度の広がり。南北方向に長い形状。
「止まりましたね」シオが言った。
「ここだ」ガルドが言った。「昨日の地点だ」
「どうしますか」
「掘る」
(工事の段取りは変わるが——掘った後に施工方法を決める方が確実だ。今の時点でこの上に地盤改良を被せたら、後で問題が出たときに戻れなくなる)
ガルドはニルを見た。
「縦穴を一本入れます。幅は一間。深さは三尺を目安に。掘削の手伝いを頼めますか」
「わかりました」ニルが道具を持ち直した。
掘り始めて、しばらくは普通の粘土だった。
一尺、一尺半、二尺——表層の粘土が続く。水が少し出た。シオが誘導した。
二尺を過ぎたあたりから、感触が変わり始めた。
シャベルが止まった。
「……あれ」
ニルが顔を上げた。シャベルの刃先が何かにぶつかっていた。石ではない——石にぶつかる感触とは違う。
「どうした」とガルドが言った。
「硬いものがあります。でも石じゃないみたいで……」
ガルドがニルの横にしゃがんだ。手を伸ばして、穴の底の感触を確かめた。
指先に当たるのは——滑らかだった。
指が止まった。穴の底の冷たさと、湿った土の匂いが途切れた。
自然の石ではない。石の表面にはもっと凸凹がある。これは均一すぎる。粘土でも岩でもない。何か別のものが、層になっている。
(……形が、きれいすぎる)
「道具を変えてくれ」ガルドが言った。「細いノミを使え。崩さないように周囲を少しずつ削っていく」
「はい」
オーカが道具を手渡した。ニルが慎重に作業し始めた。
少しずつ、周囲の土が取り除かれていった。
出てきたのは——石でも普通の土でも岩盤でもなかった。
均一な密度で固められた、何かだった。表面が平らで、形が規則的だった。自然の地層には出ない「直線」があった。
「……」
ニルが声を出さなくなった。道具が穴の底に置かれたまま、動かなかった。
オーカが前屈みになって穴を覗き込んだ。「これ、なんですか」と言った。
「ガルド様」
シオが穴に近づいてきた。覗き込んで、しばらく黙っていた。
「……人が作ったものじゃないですか、これ」
「そうだろうな」
「もっと掘ってもいいですか」
「ニル、横方向に少し広げてみてくれ。周囲がどうなっているか確認したい」
ニルが横に掘り始めた。オーカが土を外に出した。
出てきたものは、続いていた。
平らな表面が、横に延びている。単発ではなかった。広がりがある。境目が見えない。
「——これ、広いですね」ニルが言った。
「うん」
(幅は少なくとも三間以上ある。昨日の感触では東西一間半と見たが、それより広いかもしれない。南北に長い形状というのは合っている)
「ガルド様」
シオが少し興奮した声で言った。
「これ、古代の遺構じゃないですか」
「かもしれない」
「かもしれないって——これは明らかに人の手が入ってますよ。こんなにきれいに固められた面が、地下二尺のところにあるんですよ。自然にはなりません」
「そうだな」
「すごくないですか」
「人の手が入っていることは確認できた。何のためのものかはまだわからない」
ニルが追加で横を掘った。オーカが側面を確認した。
その報告を聞きながら、ガルドは穴の中の「何か」を手で触っていた。
(……均一すぎる。石を積んだわけでもなさそうだ。石を積んだなら継ぎ目がある。これには継ぎ目がない——全部が一体で固まっている。何かを流し込んで固めたのか、それとも土魔法のようなものを使って形成したのか)
「ガルド様」オーカが言った。「石工の仕事ではないですね、これは」
「どういう意味だ」
「石工なら石を積みます。石材の形が揃っていても継ぎ目が出ます。これは——継ぎ目がないです。一体成形か、それとも……」
「そうだ」ガルドが言った。「石積みではない。別の方法で固めてある」
コルダが近くまで来ていた。いつの間にかシオの作業の確認で来ていたらしく、穴の端に立って覗き込んでいた。
「なんだこれは」コルダが言った。
「今調べています」
「石じゃない。俺が触った石材でこういう感触のものはない。密度が違う。なんかこれは——」
「コルダさん」シオが割り込んだ。「これ、古代遺構だと思いませんか。地下に古い文明の——」
「うるさい」コルダが言った。「俺に聞くな。ガルドに聞け」
シオが「ガルド様」と振り向いた。
「わからない」ガルドが言った。「今の段階では判断できない。ただ——」
「ただ?」
「人の手が入っている。人工的に固められた何かだ」
昼になる前に、掘れる範囲を確認し終えた。
縦穴の規模は、幅一間半、深さ三尺弱。「何か」の上面は、確認できる限り少なくとも東西二間半以上に広がっていた。南北の延長は不明——それ以上掘り広げると工事区間との兼ね合いが出てくる。
「とりあえず今日の調査はここまでにします」ガルドが言った。
「もっと掘りますか?」シオが聞いた。
「今日はここまでだ。工事の段取りがある」
「でも——」
「シオ」
シオが口を閉じた。
「今は工事優先だ」ガルドが言った。「調査は後でいい。ただし、この部分の工法を変える。この上に地盤改良をそのまま被せると後で戻れなくなる。この区間は一度工事を止めて、別のルートを検討する」
「水路を迂回させますか」
「検討します。今日午後に代替ルートの測量をする。明日以降で判断する」
ニルが「わかりました」と言った。
コルダが穴の縁に立ったまま、黙っていた。
昼を挟んで、ニルとオーカが穴の縁に立って「何か」の一部をもう少し確認していた。
シオが近くで手帳に記録を書いていた。
「古代遺構ですよ、これは絶対」
シオが手帳に書きながら言った。
「何百年前のものですかね。この固め方は石工でもできないって、コルダさんも言ってましたよね」
「言ってない」とコルダが横から言った。
「「俺が触った石材でこういう感触のものはない」って言いましたよね」
「それは言った」
「つまり石工では作れない」
「言葉を足すな」
ニルが「でも確かに——古代の文明とかって聞いたことあります。王都の学者が大陸の遺跡について書いた本があって」と言った。
「読んだことあるの?」シオが顔を上げた。
「いや、見たことがあるというか……コルダさんの仕事場に一冊あって」
「コルダさん」シオがコルダを見た。「古代の遺構について知ってますか」
「知らん」コルダがぶっきらぼうに言った。「ただ、この感触はこの三十年で触ったことがない。それだけだ」
「ですよね! だから古代の——」
「シオ」ガルドが言った。
シオが止まった。
「記録に「古代遺構」と書くな。「人工的に固められた層。形状が規則的。石積みでない一体成形の可能性あり」と書いておけ」
「……なんでですか。どう見ても——」
「証拠がない。古代かどうかもわからない。何の遺構かもわからない。書けるのは確認できたことだけだ」
シオが「……はい」と言って、書き直した。
午後、代替ルートの測量に入った。
ニルとオーカが一緒に歩いた。シオが距離を測った。
一間北にずらせば、「何か」の端から外れる計算だった。水路の向きを少し変える必要があるが、勾配の計算上は問題ない。多少の延長が出るが許容範囲内だった。
「ここですね」シオが地面に印をつけた。「一間北にずらした場合の水路ラインです」
「勾配は」
「測定値で……三分六厘から三分八厘の間に収まります」
「問題ない」
シオが「じゃあ、異変地点を避けて進めますか」と言った。
「そうなる。ただ」
シオが顔を上げた。
「この代替ルートの地盤を確認してから決める。今から二点で地盤の感触を取る」
シオが「わかりました」と手帳に書き込んだ。
ガルドは代替ルートの地面に土魔法を通した。
粘土の含水比は似たようなものだった。軟弱な区間はなかった。地盤改良の手順は変わらない。問題はなかった。
(よし。ルートを変えて進める。「何か」はこのまま埋めておく。触れないで工事を続ける。後で改めて調査の段取りを組む)
「ルート変更で進めます」ガルドが言った。「明日、修正した施工図を引き直します。明後日から再開できます」
「一日のロスですね」シオが言った。
「今月中の完了には影響しない」
夕方、帰りかけのところでシオが「ガルド様、一つだけ聞いていいですか」と言った。
「なんだ」
「さっきの「何か」——触りましたよね。どうでしたか」
「どう、とは」
「感触です。石工のコルダさんが知らないと言った。ガルド様は土魔法で触れましたよね。どういう感触でしたか」
ガルドは少し止まった。
「……気になることがあった」
「どんな」
(話してもいいか。まだ確認できていない。ただ——シオには言っておく方が段取りが楽になる場合がある)
「土魔法を通したとき」ガルドが言った。「抵抗が少なかった」
「少なかった」
「通常の地盤に土魔法を通すと、ある程度の抵抗がある。粘土なら粘土の、砂ならそれなりの。でもあの「何か」の周辺の土は——魔力が入る感触がいつもと違う。抵抗がない。スッと通っていった」
シオが「それって——いいことですか、悪いことですか」と聞いた。
「わからない」
「わからないんですか」
「初めての感触だ。原因もわからない。ただ——」
「ただ?」
「(……これは)」
ガルドは少し黙った。
「記録しておいてくれ。「異変地点周辺の土、土魔法の魔力浸透率が通常より高い」と」
シオが手帳に書き込んだ。
「魔力浸透率——そんな言葉があるんですか」
「今作った」
「……ガルド様が今作った言葉を手帳に書いてしまいましたね」
「書いといてくれ。あとで整理する」
作業場に戻ってから、ガルドは一人でしばらく手帳を見た。
昨日の記録、今日の記録、代替ルートの測量値。
数字を並べながら、頭の中でもう一度今日の感触を確かめていた。
あの土の性質。
土魔法が素直に入った。抵抗がなかった。これは——地盤改良で使う「抵抗を感じながら締め固める」感触とは全く違う。締め固めるとき、土は必ず押し返してくる。多少なりとも抵抗がある。それがなかった。
まるで、土側から魔力を引いているような感触だった。
(……いや。正確に言うと——魔力の通りが良すぎた。ただ通すだけなら普通の地盤でもできる。でもあれは通すと同時に、何か別の感触があった。魔力が絡んでいくような、定着していくような)
沼地の夜の音が作業場の外から聞こえた。水鳥の声と、草の揺れる音。それだけだった。
手帳に式を書き始めた。
地盤改良で必要な魔力量は、土の含水比と密度から算出する。それが施工精度を決める。今の施工では、一定の魔力を投入して一定の改良効果を得ている。
では——あの土を使った場合、どうなる。
魔力の浸透率が高いなら、同じ量の魔力でより深く、より広く効果が出る可能性がある。逆に言えば、少ない魔力で同じ効果が出る。
(精度が上がる。制御の幅が広がる)
手帳に数値を書き込んだ。仮定の数字だった。実際に計測しないとわからない。ただ——仮定として置いてみると、数字の並びがきれいになった。
施工速度が上がる。材料としての活用ができれば——
(この素材を使えば——)
ガルドは手を止めた。
(……使いたい)
頭の中でそう思ったのは、計算より前だった。計測より前に、根拠より前に——それはいつもの順番ではなかった。
(使えるかどうかは、まず計測しないとわからない。仮定の上に仮定を積むな。ただ——方向として、確認する価値はある)
手帳に一行書き加えた。
「異変地点周辺土・魔力浸透率の実測値を取ること。施工素材としての適性を評価する」
書いてから手帳を閉じた。
(今日の工期への影響は一日だ。修正図を引いて、明後日から再開する。調査の段取りは別途組む。今は工事を先に動かす)
段取りが整っていた。
ただ、手帳を閉じた後も、しばらく計算書の余白を見ていた。
あの「何か」の素材。
形が規則的すぎる、人工的に固められた何か。その周囲に滲み出してくるような土の性質——
(これを使えば——いや。まず計測だ)
外はもう暗くなっていた。




