工事の許可はもらう
「段取り八分、仕事二分」
ガルドは羽根ペンを手に取りながら、机の上の申請書を広げた。
昨日マルカから受け取った正式書類の写しだ。シオが手帳に全文を写しておいてくれた。
シオが隣に座って手帳を開いた。
「どこから書きますか」
「目的欄から。まず何を工事するかを書く。次に範囲、期間、使用魔法の順だ」
「目的欄は『城壁周辺の地形改良および防衛水路の設計・施工』でいいですか」
「ちょっと待て」
ガルドは手帳の写しを確認した。目的欄の書式は「施工の目的を簡潔に記入すること」とある。
(簡潔に、か。俺の設計は簡潔に書ける内容じゃないんだが)
「『防衛を目的とした地形利用施工』でいい。詳細は別紙に書く」
「別紙というのは」
「裏に書く。マルカさんに確認する前に約束した話だ」
シオが「裏に書くという話、あの後マルカさんの顔が少し疲れていましたね」と言った。
「そうか。まあ書くことは決まっているので問題ない」
目的欄を書き終えたころ、マルカが作業場の入り口に現れた。
今日も革の鎧だ。朝の測量の後、装備を外していないらしい。
「申請書の作成を始めると聞いたので」
「今ちょうど目的欄が終わりました」
「一緒にいてもいいですか。様式について確認が必要になるかもしれないので」
「どうぞ」
マルカが机の横に立って、ガルドが書いた部分を覗き込んだ。
「『防衛を目的とした地形利用施工』……これは」
「簡潔に、とあったので」
「簡潔ではありますが」マルカが少し言葉を止めた。「地形利用施工というのは、王都の書類では一般的ではない表現で」
「代わりになる表現がありますか」
「……ないです、今のところ」
(やっぱりないか。この世界の申請書には、水路を防衛に使う工事の分類がそもそも存在しない。初めて書くことになる欄だ)
「では、このまま進めます」
規模欄に入ると、問題が出てきた。
「面積か距離で書くように、とありますが——水路は延長距離で書けます。地形改良は面積になります。両方入れていいですか」
「両方……」マルカが書式を見た。「規模欄は一行です」
「一行に両方書きます」
「入りますか」
ガルドはペンを動かした。「水路延長距離・西側百二十間・北側八十間。地形改良面積・北農地東端三十間区間、以上」
シオが「入りました」と言った。
マルカが「……字が小さい」と言った。
「読めますか」
「読めます。ただ、審査担当者が読めるかどうかは」
「必要なら別紙で補足します」
マルカが「別紙が増えていく……」と小声で言った。
使用魔法の種類欄は、ガルドが一番丁寧に書いた欄だった。
「土魔法Lv5。地盤圧縮・透水性調整・傾斜整形の三種を使用。施工精度は間単位で管理。魔力消費の見積もりは別紙付属」
シオが読み上げ確認をした。「書けました」
「別紙に魔力消費の計算書を添付する。一日あたりの消費量と休憩サイクルも入れておく」
「魔力消費の計算書まで……」マルカが眉を少し上げた。「そこまで書いた申請書を見たことがないです」
「書いた方がいいですよね。審査する側は、どれだけの規模の工事なのかを知りたいはずです」
「……そうですが」
「魔法の種類だけ書いて規模感が伝わらないと、審査できないと思いまして」
マルカが何か言いかけた。止まった。
(この人が止まるのは、大体「正しいけど問題がある」という状況だ。正しいのはわかっているが、前例がないのが問題なんだろう。まあ、前例のない申請書を初めて作っているのだから、全部が前例なしになる)
昼前に、エドワンが作業場を訪ねてきた。
珍しいことだった。いつもは呼ばれた方が動く。エドワンが自分で来るのは、城壁の視察以来だ。
「申請書の話を聞いた。様子を見ようと思って」
「今ちょうど半分まで終わりました」
「見てもいいか」
「どうぞ」
エドワンが机に近づいて、申請書を手に取った。書かれた内容を順に読んでいく。
目的欄。規模欄。期間欄——ここは三年計画で、月ごとの施工予定を別紙にまとめてある。使用魔法の種類欄。
エドワンの顔が少しずつ変わっていった。
驚いているのか、困惑しているのか、読んでいる途中なので判断しにくいが——
「……ガルド」
「はい」
「これを、王都に送るのか」
「そのつもりです」
「王都の書類審査の担当者が……読めるかどうか」
(エドワン様まで同じことを言う)
「読めると思います。書いてあることは全部、図解か計算書で補足します」
エドワンが「図解か計算書で」と繰り返した。どことなく遠い目をしていた。
マルカが「三ページ目から裏面に入ります」と静かに補足した。
エドワンが裏面を見た。そこには水路配置の概略図と、地形改良の断面スケッチが入っていた。
「……ガルド」
「はい」
「これは、申請書か」
「申請書です。別紙付きです」
エドワンがしばらく書類を持ったまま動かなかった。
シオが手帳に何か書きながら「エドワン様の顔が珍しい表情になっていますね」と小声でガルドに言った。
「シオ、余計なことを言うな」
昼を過ぎて、期間欄と工事計画書の作成に入った。
「施工期間は全体で三年。ただし申請を通す最初の段階として第一期——水路第一区間・北側地形改良——を六ヶ月で区切って申請した方がいいですか」
マルカが腕を組んだ。
「……正直に言うと、全体計画で申請した方が後で追加申請が不要です。ただし審査が厳しくなる。分割申請は審査が軽くなるが、毎回手続きが必要になる」
「では一期分で申請して、通ったら二期を申請します」
「その場合、一期の完了を確認してから二期の申請という流れになります」
「完了確認は」
「私が行います。現地で工事の進捗を確認して、王都に報告する形です」
「マルカさんが来るんですか」
「……そうなります。私が辺境の窓口ですので」
シオが「じゃあまた来てもらえる、ということですね」と言った。
マルカが「仕事ですので」と少し困った顔で答えた。
(マルカさんがヴァルダに何度も来ることになる、か。まあ、工事の確認者がいる方が進捗管理の面では都合がいい。問題はない)
「一つ聞いていいですか」
マルカが書類から目を上げて言った。
「どうぞ」
「この申請書の内容——承認されると思いますか」
ガルドはペンを置いた。
「わからないです」
「わからない、とは」
「王都の審査担当が何を基準に判断するかを、俺は知らない。前例がない申請書なので、どう評価されるかも予測できない」
マルカが「……それで、出すんですか」と言った。
「出します」
「根拠は」
「書いた通りのことを書いているので。嘘は書いていない」
マルカが「嘘は書いていない」と繰り返した。少し考えるような間があった。
「……通るかどうかではなく、書いた内容が正確かどうかが基準、ということですか」
「そうです。審査が通らなかった場合は差し戻し理由を聞いて、対応できるなら対応します。書き直しが必要なら書き直す。ただ、内容を曲げるつもりはないです」
「内容を曲げる、というのは」
「審査が通りやすいように実際より小さく書いたり言葉を丸めたりしない、ということです」
マルカがしばらく黙っていた。
シオが「ガルド様はいつもそうなんですよ」と横から言った。「城壁の荷重計算書も、橋の補強計算書も、全部数字そのままで出してました。コルダさんが最初に見たとき『なんでここまで書くんだ』と言っていたくらいで」
「……計算書まで出したんですか」
「コルダが聞いてきたので。根拠がないと判断できないでしょう」
マルカが「なるほど」と小さく言った。今度は遠い目ではなく、何か考えている顔だった。
申請書の本体が完成したのは夕方近くだった。
ガルドは全体を通しで読み直した。
目的欄——地形利用施工。規模欄——水路延長と改良面積、二種。期間——一期六ヶ月。使用魔法——土魔法の詳細記述。別紙——水路配置概略図、地形改良断面図、魔力消費計算書、月別施工計画書。
シオが「枚数を数えると……本体二枚、別紙四枚で合計六枚です」と言った。
マルカが「六枚か……」と呟いた。声がわずかに疲れていた。
「問題がありますか」
「……王都の申請書で六枚というのは、ほとんど見たことがないです。普通は本体のみ、二枚以内で収めます」
「別紙は外せますか」
「……外せなくはないですが、根拠として提出した方が確かに審査はしやすい」
「では六枚で出します」
マルカが「はい、そうしましょう」と言った。諦めたような、しかしどこか落ち着いた声だった。
(この人、最初から全部付き合うつもりで来ていたんだろう。仕事が丁寧だ)
「一度、全部確認してもらえますか」
ガルドが六枚をまとめてマルカの前に置いた。
「内容に問題がないかどうか。形式上まずい箇所があれば指摘してください」
マルカが一枚ずつ読んでいった。
途中で何度か止まった。水路配置の概略図のところで「この記号は何ですか」と聞いた。ガルドが「地盤の硬さを示す記号です。五段階で表示しています」と説明すると、マルカが「……独自の記号ですか」と確認し、「はい」と答えたところで少し考え込んだ。
「別紙に凡例を追加してください」
「凡例?」
「この記号が何を意味するかを、欄外に書き添える。王都の審査担当者は独自記号を知らないので」
「それは抜けていました。書きます」
シオが「凡例というのは……」とガルドの方を見た。
「記号の説明書きだ。凡例を追加する。シオ、別紙の余白に——」
「余白は……ちょっと狭いです」
「じゃあもう一枚追加する」
マルカが「七枚になる」と言った。
「七枚で出します」
「……はい」
凡例を追加した最終版が揃ったのは、日が傾いてからだった。
七枚の書類を並べた。
シオが端から順に確認した。「本体二枚、水路図、断面図、計算書、月別計画書、凡例——合計七枚。全部あります」
「よし」
マルカが最後の一枚を読み終えて、書類を揃えた。
「……正直に言うと」
「どうぞ」
「王都でこれを受け取る担当者は、最初に見て戸惑うと思います」
「でしょうね」
「ただ」マルカが七枚の書類をまとめながら言った。「内容は筋が通っています。反論しようとしても、根拠が全部揃っているので——難しい」
「反論されたら困る内容は書いていないので」
「……そうですね」
マルカが一息ついた。
「この書類を届けた上で、私から口頭で補足説明を添えます。書いてあることの背景を、少し説明できれば審査がしやすくなるはずです」
「それは助かります。お願いします」
(マルカさんが補足してくれるのは、正直言って大きい。書いてあることが正しくても、見たことのない書類は最初に見る人間が戸惑う。説明してくれる人がいれば、差し戻しの確率が下がる)
夕方、エドワンがもう一度顔を出した。
完成した書類を眺めて、少しの間黙って、それから言った。
「ガルド、一つ聞いていいか」
「何ですか」
「この申請書——王都の人間が読んで、どう思うと思う」
「驚くと思います」
「それは」エドワンが苦笑した。「わかっている。その後どうなると思う、という話だ」
「通るか、差し戻されるか、どちらかです」
「差し戻された場合は」
「理由を聞いて、対応します」
「……対応できない理由だった場合は」
ガルドは少し考えた。
「それはそのとき考えます。今の段階で対応できないケースを想定しても意味がない。書類を出さなければ何も始まらない」
エドワンが「そうだな」と言った。疲れた顔ではなく、どちらかといえば安心したような顔だった。
「まあ、お前がそう言うなら大丈夫か」
「大丈夫かどうかはわかりませんが、やるべきことはやっています」
「……それがお前の言う大丈夫、だな」
エドワンが七枚の書類を一度手に取って、また机に置いた。
「送る段取りは、マルカ殿に頼めるか」
「マルカさんが届けてくれると言っています。口頭の補足説明も含めて」
「そうか」エドワンが頷いた。「では任せよう」
マルカが書類を受け取って、封をした。
王都への連絡書と一緒にまとめる作業を、マルカは丁寧にやっていた。
「封をしたら開けられません。最後に確認はいいですか」
「問題ないです」
「……本当にこれで」
「はい」
マルカが「わかりました」と言った。
封蝋が落とされる前に、シオが「ガルド様、七枚全部入っていますよね」と確認した。
「シオが最後に数えたから問題ない」
「入ってますっ」シオが元気よく答えた。「全部確認しました」
マルカが「では」と言いかけて、ガルドを見た。
「一つ確認させてください」
「何ですか」
「この書類——申請書に書いた通りに進める、という話でしたね。王都から変更を求められた場合も同じですか」
ガルドは少し間を置いた。
「設計の根拠は全部書類に書いてあります。根拠に対して反論があるなら聞きます。根拠なしに変えろと言われても変えられない」
「……強い立場ですね」
「嘘は書いていないので」
マルカが短く笑った。今度は口が動いた。さっきよりはっきりと、笑った。
「確かにそうですね」
(この人、笑うとちょっと顔が変わる。まあ、嘘がないという話をして笑うのは——まあ、いい)
封をした書類を、マルカが鞄に収めた。
「明日朝、王都の連絡員に渡します。書類が届くのは、早ければ十日後」
「審査期間は」
「短くて二週間、長ければひと月。この規模だと二週間はかかると思います」
「わかりました」
「その間——工事はどうしますか」
「先月から地盤改良の第二区間を始めています。それは申請書と無関係の工事なので続けます。水路の第一区間の設計を並行して詰めます」
「設計を詰める、というのは」
「計算書をもう一段詳しくします。申請が通ったときにすぐ施工に入れるように」
「……段取りですか」
「段取り八分、仕事二分です」
マルカが「またその言葉ですか」と言った。どことなく、少し親しみのある声だった。
シオが「ガルド様の口癖なんですよ」と補足した。
「知っています」
マルカが帰り際に、入り口で振り返った。
「一つ、申し上げておきたいことがあります」
「どうぞ」
「この申請書は、王都では前例がないと思います。書式も内容も、担当者が見たことのないものになるはずです」
「でしょうね」
「そのため——審査に時間がかかる可能性があります。また、補足の聞き取りが来ることもある。私から連絡が来た場合、速やかに対応していただければ」
「わかりました」
マルカが「よろしくお願いします」と言って、頭を下げた。軍人らしい、真っ直ぐな礼だった。
それから出ていった。
作業場に戻ると、シオが手帳を閉じながら言った。
「マルカさん、最初より話しやすくなりましたね」
「そうか」
「あと、笑っていましたよ。さっき」
「見ていた」
「ガルド様と話して笑う人って、珍しいですよね」
(珍しいかどうかは知らないが、まあ——嘘がないという話で笑える人は、仕事が真面目な人だと思う)
「珍しいかどうかは知らない。ただ、仕事のできる人だ」
シオが「そうですね」と言って、少し嬉しそうな顔をした。
「マルカさんが王都でうまく説明してくれるといいですね」
「してくれなかったとしても、書類は書いた通りに出している。それだけだ」
「それだけ、って——ガルド様、少し心配じゃないですか。王都から差し戻されたら」
「差し戻されたら対応する。今心配しても意味がない」
シオが「……ガルド様は強いですね」と言った。
ガルドは机の計算書に視線を戻した。
(強いとかじゃなく、考えても仕方ないことは考えない、ということだ。王都の判断は俺にはどうしようもない。俺にできるのは、正しく書いて出す、それだけだ)
「計算書の続きを始める。水路第一区間の詳細設計だ。申請が通る前提で詰めておく」
「わかりました。手帳、用意します」
窓の外が暗くなるまで、ガルドは計算書に向かっていた。
水路の延長。地盤の改良区間。月別の施工量。数字が並んでいく。
七枚の書類は今、王都に向かっている。
何が返ってくるかは、まだわからない。
(まあ、返事が来てから考えればいい)
ペンが動き続けた。
翌朝、シオが作業場に来たとき、ガルドはすでに机に向かっていた。
「早いですね」
「計算書の続きだ」
シオが手帳を開こうとして、外から走ってくる足音を聞いた。
クルトだった。
「ガルド様。王都からの連絡書が——」
クルトが入ってきた。手に封筒を持っている。
「早くないですか」とシオが言った。「昨日送ったばかりで」
「これは申請書とは別の便で来たものです。日付は三日前。送るのが遅れていたとのことで」
ガルドは計算書から顔を上げた。
「差出人は」
クルトが封筒を確認した。
「……貴族院建設部門、とあります」
シオが「貴族院から」と声を上げた。
ガルドはペンを置いた。
(申請書を出す前に、向こうから来るか。まあ、段取りが早くなるなら悪くない)
「開けてみろ」




