一度壊す
翌朝、コルダが三人連れてきた。
ニル、オーカ、そしてもう一人——ドンネだった。
ガルドは城壁北側の縦穴の前で段取りの確認をしていた。シオが隣で手帳を広げている。コルダが人を連れて歩いてくるのが見えて、ガルドは頭数を数えた。
(三人か。ドンネが来た。昨日の文には「もう一人」とだけあった。コルダが動かせたのか、それとも計算書を見て動かざるを得なかったのか)
ドンネは五十代、背が太く顎が四角い。腕組みをしたまま、あまり見たくないものを見るような顔でガルドを眺めていた。
「来てやった」
第一声がそれだった。
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことじゃない。コルダが計算書を持ってきた。数字だけ見れば動かないわけにもいかない、というだけだ」
「それで十分です」
ドンネが顎を引いた。何か言いたそうな顔をしたが、口をつぐんだ。
「段取り八分、仕事二分だ」
ガルドが言った。五人の前に立った。コルダ、ドンネ、ニル、オーカ、シオ——クルトが少し離れて手帳を持って立っている。
「今日は解体を始める前に、手順を全部確認する。それが終わってから最初の一撃を入れる」
「手順の確認に半日かけるつもりか」
ドンネが言った。
「そうだ」
「石を積むより解体の方が早い。段取りなんかいらない、壊せばいい」
「壊し方にも設計がある」
ドンネが「何?」という顔をした。
「どこから壊すか、どの順番で崩すか、何を残して何を取り除くか——それを決めてから始める。決めずに始めると、取り除いてはならない石を壊して城壁ごと崩れる」
「それは石工が判断する」
「石工の判断に口を挟むつもりはない。ただし判断の根拠を事前に共有する。根拠を知っていれば現場での判断が速くなる。知らなければ遅くなる」
ドンネが黙った。
コルダが腕を組んで少し下を向いた。
地面に縮尺図を描いた。
城壁北側の断面だ。現在の城壁の厚み、その下の廃墟の石組みの深さ、地盤改良を入れる範囲、新しい基礎石を置く位置——それぞれを線と数字で示した。
「城壁の石と廃墟の石は別物だ。現在の城壁が廃墟の上に乗っている構造を理解してから手をつけないと、どちらを壊しているかわからなくなる」
ニルが地面の図を覗き込んだ。
「一番下の層が廃墟の石、その上が地盤改良する土の層、さらに上が今の城壁基礎ということですか」
「そうだ」
「廃墟の石は全部取り除く——深さはどのくらいまで掘ることになりますか」
「廃墟の底まで。昨日の調査で一尺半から二尺の範囲に石が集中している。ただし全周を確認したわけではない。掘り進めてから変わる可能性がある」
「変わったら?」
「変わった時点で段取りを直す。現場は設計通りに行かないことがある。行かなかった時にどう変えるかを決めておくのも段取りの一部だ」
ニルが手帳にそれを書き込んだ。
「変わった時にどう変えるかを決めておく」と小さく繰り返した。
「どこから壊す」
ドンネが聞いた。
地面の図を見ながら、さっきより少し前のめりになっていた。
「北西の角から始める。ここが最も傾きの大きい区間で、廃墟の崩れ方も進んでいる可能性が高い。最初に壊して基礎の状態を確認する」
「角から始めるのか。角は荷重が集中する」
「そうだ。だから最初に確認する必要がある。状態が想定より悪ければ施工計画を変える。状態が想定通りなら、そのまま進める」
「角を壊している間、そこの防御は」
「隣の区間が残っている。一度に全部を壊さない。区間を分けて進める」
ドンネがしばらく地面の図を見た。
「なんでこんな手順が必要なんだ。壊すのは壊すだけだろう」
「壊し方次第で地盤が崩れる。崩れた地盤の上に新しい基礎を作っても意味がない」
「……」
「壊すための段取りが必要だ」
ドンネが「必要なのか」と言いかけて、止まった。
目線が地面の図に落ちた。
「……必要か」
「必要だ」
短く、断定した。
「いいんですか、本当に壊して」
シオが言った。
「いい」
「本当に?」
「本当に」
「……五十年立ってた城壁ですよ」
「それは知っている」
「でも一回壊すんですね」
「壊すために段取りを組んだ」
シオが「そうですよね」と言って手帳を開いた。
(シオが「いいんですか」と三回聞いた。三回とも肯定で終わった。シオは確認しているのではない。口に出すことで自分の気持ちを整理しているのだろう)
「最初の一撃は誰が入れるか」
コルダが言った。
段取りの確認が終わり、全員が城壁北西角の前に立っていた。朝の光が石壁に当たっている。
「石工の仕事だ」
ガルドが答えた。
「俺がやる」
コルダが言った。
ドンネが横目でコルダを見た。
「……コルダが入れるのか」
「俺が始める。お前が後に続け、ドンネ」
ドンネが黙った。
コルダが石頭を持った。重い道具だ。石工が長年使い込んだ道具で、持ち手が黒光りしていた。
コルダが壁面の一点を見た。ガルドが事前に印をつけた場所だ。城壁の最初の解体点——ここから崩していくことで、廃墟の石組みへのアクセスルートが開ける。
コルダが一度だけ、足を開いた。
振った。
重い音がした。
壁面の石が、内側に沈んだ。
「思ったより早く崩れた」
ドンネが言った。
声が少し変わっていた。
城壁北西角の解体は、午前中だけで最初の区間を開口できた。石工三人が交互に石頭を振るい、ガルドが土魔法で廃墟の石組みの位置を感触で確認しながら指示を出した。
「崩れた石はどこへ運ぶ」
「使えるものは積み直す。使えないものは後で処分する。仕分けはニルとオーカに頼む」
ニルが「わかりました」と言って、崩れた石の山を見た。
「どうやって仕分けるんですか」
「割れているもの、欠けが半分以上のもの、表面が風化しているものは除く。残りは規格に合えば再利用する。確認の方法はコルダ親方に聞け」
ニルがコルダを見た。
コルダが崩れた石の一つを手に取った。表面を親指でなぞった。
「音を聞け。これで叩く」
石頭の柄の先で、崩れた石の表面を軽く叩いた。
「高い音が出るものは密度がある。低い籠った音は内部に亀裂がある。耳で覚えろ」
ニルが自分で一つ持って、叩いた。
「……これは?」
「どんな音だ」
「少し、くぐもっています」
「それは使わない」
(コルダが教えている。「見ていろ、盗め」と言っていた男が、ニルに手順を説明している。方法は変わっていないが、見せ方が少し変わった)
昼過ぎ、廃墟の石組みが完全に露出した。
石を取り除いていくにつれて、その全容が見えてきた。
「でかい」
ドンネが言った。
ガルドも黙った。
廃墟の石組みは、想定より規模が大きかった。幅は三間どころではない。開口部から見えている範囲だけで五間以上あった。深さも、最初の試し掘りで確認した二尺より下に、さらに石が続いていた。
「これ——どこまであるんだ」
ドンネが穴の縁に立って下を覗き込んだ。
「全部取り除くと言ったが、これだけの規模なら——」
「取り除く必要はない」
ガルドが言った。
全員がガルドを見た。
「廃墟の石組みが崩れているから問題になっている。崩れていない部分は、正しく補強すれば基礎として使える可能性がある」
「……さっきと話が変わっていないか」
「変わっていない。全部取り除く、という方針は現状の見積もりに基づいている。実際に見たら規模が違った。だから調査が要る」
ドンネが「調査に何日かかる」と言った。
「今日中に確認できる範囲を確認する。明日また手順を直す」
「また段取りを組み直すのか」
「そうだ」
「いつになったら壊し終わるんだ」
「正しく壊し終わるまでだ」
ドンネが口をつぐんだ。
「いいんですか、段取りを直して」
シオが隣に来た。
「いい」
「また最初からですか」
「最初からではない。見てわかったことを加える。それだけだ」
「でも今日の分がずれますよね、計算が」
「ずれた分を計算し直す。それが仕事だ」
シオが「なるほど」と手帳に書いた。
「段取りは一回決めたら終わりじゃないんですね」
「現場が変わる限り、段取りも変わる。変えることを恐れていると間違ったまま進む」
(段取りを変えることを恐れてはいけない。前世でも同じだった。最初の計画が一番正確だったためしがない。現場が教えてくれる。見ていなければわからない)
夕方、開口部を改めて測量した。
クルトが数字を書き取り、ニルが測量紐を持った。廃墟の石組みの横幅は六間強。城壁の全周に等間隔に並んでいるとすれば——
「これは城壁の下全部に続いているかもしれません」
クルトが言った。
「その可能性がある」
「全周に、ということは——」
「城壁の土台そのものが廃墟の上に乗っている構造になる。一部でなく、全部だ」
クルトが手帳を止めた。
「全部やり直しというのは——本当に全部ですね」
「そうだ」
オーカが口を開いた。
「ガルド様。廃墟の石組みが崩れていない部分を基礎として使えると言いましたね」
「言った」
「崩れている部分と崩れていない部分の判断は、どうやってするんですか。石が見えているだけでは、内部の状態がわからない」
「土魔法で触る」
「土魔法で——石の内部がわかるんですか」
「完全にはわからない。密度の差と、亀裂が入っている場所に感触が変わる。判断は確率の話だ。完全に確かめるには壊してみるしかない。壊さずに推測できる範囲で判断する」
オーカが紙の手帳に何か書いた。
「壊さずに推測できる範囲で判断する——どれくらいの精度ですか」
「七割から八割だ。残り二割から三割は掘ってみてから変える」
「七割の確信で進めるということですか」
「設計とはそういうものだ。百割の確信を待っていたら何も始まらない。七割で段取りを組んで、現場で直す」
ドンネが少し離れた場所でそれを聞いていた。
「何がわかるんだ、壊してみなければ」
ドンネが言ったのは、作業を片付け始めたときだった。
独り言のような声だった。ガルドに向けて言っているのかどうか、わからない言い方だった。
ガルドは道具を袋に入れながら答えた。
「じゃあ壊してみましょう」
ドンネが「……」と言った。
「今日壊してみた。何がわかりましたか」
ドンネが長い間を置いた。
「思ったより、でかい」
「そうですね」
「思ったより、中がやばい」
「そうですね」
「……思ったより、全部やり直しに近い」
ドンネが最後の言葉を、やや小さな声で言った。
ガルドが道具袋の留め金を閉めた。
「それが今日わかったことです。壊してみなければわからなかった」
ドンネが何も言わなかった。
夕暮れに、全員が北西角の開口部の前に集まった。
自然にそうなった。誰が言い出したわけでもない。
廃墟の石組みが露出した断面を、五人が見ていた。コルダ、ドンネ、ニル、オーカ、シオ——そしてクルトも、手帳を持ったまま隣に来ていた。
(この沈黙は珍しい。ドンネもシオも、何も言わない。廃墟を見ている。百年以上前に誰かが積んだ石を、今日初めて見ている)
オーカが小さく言った。
「誰が積んだんですかね」
「わからない」
ガルドが答えた。
「丁寧な仕事ですね。目地がきれいです」
ニルが断面を覗き込みながら言った。
コルダが少し前に出た。廃墟の石の一部に手を伸ばした。
「……石は、悪くない。積み方も、こういうやり方は昔やっていた」
「コルダ親方、知っている積み方ですか」
「百年前の話だ。俺の親方の親方が、そのまた親方から教わったという積み方に近い。今はやらない。手間がかかる」
「なぜ今はやらないんですか」
「早くできる方法が出たからだ。早い方法は、丁寧さで負ける」
コルダが手を引いた。
「これだけ丁寧に積んだものが、百年後に廃墟として出てくる。その上に別の城壁を建てた奴が、設計を考えなかった」
「……そうですね」
「それで傾いた」
「設計を考えなかった奴が悪い」
ガルドが言った。
コルダが少し笑った。珍しかった。
「明日の段取りは」
コルダが帰り際に聞いた。
「今夜計算する。明朝共有する」
「廃墟の状態を見て方針が変わるか」
「変わる部分と変わらない部分がある。北西角の廃墟の崩れ方が想定より軽微だった。全部取り除く必要がない区間が出てくるかもしれない。そうなれば施工日数が減る」
「減れば助かる」
「その代わり、廃墟の石の補強に手間がかかる。どちらが早いかは計算してから」
コルダが「わかった」と言って、ドンネの方を向いた。
「ドンネ、明日も来るか」
ドンネが腕を組んだ。
「……来る。来ないわけにもいかない」
「そうか」
「文句は言う」
「言っていい」
「作業は続ける」
「それで十分だ」
コルダとドンネが歩いていった。ニルとオーカがその後について行った。
一人になってから、ガルドは開口部を改めて見た。
今日露出した廃墟の断面だ。夕暮れの光が斜めに差し込んで、石の表面に影が出ている。
(でかかった。想定の二倍近い規模だった。それが今日わかった。壊してみないとわからないことは、壊してみてわかる。それが今回の仕事だ)
シオがまだ隣に立っていた。
「帰らないのか」
「もう少し見ていたいです」
「何を」
「廃墟を。ガルド様が『一度壊す』と言ったものが、壊れた最初の日を」
ガルドは何も言わなかった。
「今日始まりましたね」
「始まった」
「思ったより——中が大変でしたね」
「そうだ」
「ガルド様は驚きましたか」
「驚きはした」
「そんな顔してなかったです」
「驚いたからといって顔に出す必要はない」
シオが「そうですか」と言って手帳に何か書いた。
「ガルド様。今日のドンネさん、最初と最後で少し変わりましたよね」
「そうだな」
「壊してみてわかった、ということがドンネさんにもあったと思います。廃墟の大きさとか、目地の丁寧さとか」
「あっただろう」
「それはいいことですか」
「いいことだ。わかることが増えれば、判断が変わる」
シオが「なるほど」と書いた。
「測量補助第一号として、今日の記録はばっちりです」
「測量補助だ」
「はい。でも第一号です」
(シオが余計なことを言う。ただしシオが余計なことを言うのは、現場が無事に終わったときだ)
「帰れ」
「はい。でも明日も来ます」
「わかっている」
シオが手帳を閉じて歩いていった。
ガルドは開口部の前にもう少し立っていた。
廃墟の断面に目をやった。百年以上前の石積みだ。丁寧な仕事だった。目地がきれいだ、とニルが言っていた。コルダも「昔やっていた積み方」と言った。
(丁寧な仕事だった。それがこうなっている。壊れたのではなく、上に間違った設計を乗せられた。上の設計が悪かった。丁寧な仕事の上に、考えない設計が乗った。それで傾いた。俺が直す)
ガルドは道具袋を肩に担いだ。
今夜、計算を直す。明日また段取りを話す。そこから先は、また現場が教えてくれる。




