計算で橋が設計できる
ニルとオーカが地面を掘っていた。
二区間目の低地区間だ。南から十二間。昨日測って、今日の朝から入っている。二人の動きは昨日より早かった。ニルが深さを測り、オーカが断面を確認する。シオが隣で紐を持っていた。
(悪くない)
ガルドはその様子を一度見てから、主街道の方を向いた。
「橋の視察に行く」
ガルドがシオに言った。
「今日ですか」
「二区間目の地盤改良は段取りが決まっている。ニルとオーカに任せていい区間だ」
「ニルさんとオーカさんだけで大丈夫ですか」
「ここにクルトが残る。何かあれば判断を仰げばいい」
クルトが「はい、承知しました」と言った。手帳を開いたまま、ニルとオーカの方を見た。
「記録は続けます。設計数値と施工結果の照合も取りながら」
「頼む」
(クルトがいれば現場は回る。数字が全部記録に残る。それが段取りの一部だ)
主街道の橋は、排水路の現場から歩いて十五分ほどだった。昼を少し過ぎた時間で、日差しが川面を照らしていた。雨季の前の、水位がまだ低い時期だ。
石造りの橋だ。単スパン。幅は四間弱。川幅は八間。着任したとき一番最初に渡った橋で、そのときから傾いていた。十年前から傾いているとクルトが言っていた。
ガルドは橋の手前で止まった。
「南側から見る」
橋の脇の土手を下りた。川に近づいた。シオがついてきた。
橋の下から上を見た。アーチではなく、平たい石板を横に並べた構造だ。支点は両端の石組みだけ。スパンの中央に補助柱はない。石の面が湿っていた。川の臭いが低くあった。水の音が橋板の石の間から落ちてくる。
(はじめから設計が心もとない。よくこれで十年持った)
「クルトさんが言ってたひびはどこですか」
シオが聞いた。
「上だ。路面の石の継ぎ目と、南端の支点の上」
「南端の支点、っていうのはここですか」
シオが川岸の石組みを指した。
「そこだ」
シオが石組みの表面を覗いた。川に浸かっている部分に、縦に一本の線が入っていた。
「あ——ひびが」
「雨季に入ったひびだ。水が来るたびに少しずつ広がる。今年の雨季でどうなるかは、これから調べる」
橋の上に上がった。
路面の石は敷き直しの跡があった。何度も補修した跡だ。継ぎ目の詰め物が風化して、所々に隙間がある。ガルドは端から中央まで歩きながら、路面を踏んだ。
微妙な沈みがある。
しっかりとした沈みではない。石板そのものが、荷重を受けて下に逃げようとしている感触だ。
「少し待て」
ガルドが立ち止まった。
「何ですか」
「今測る」
路面に手をついた。土魔法を通す。橋は土ではなく石だが、支点の石組みには土が混じっている。基礎の部分だ。そこから感触が伝わってくる。
支点の圧力が右と左で違う。
「……左の支点が沈んでいる」
「どのくらいですか」
「一分強。南端の方が深い。北端は安定している」
(これは地盤の問題だ。川に面した南端の石組みが水で少しずつ洗われている。基礎が薄い設計だった)
シオが「一分って、どのくらいですか」と手帳を出した。
「路面の水平からの傾き。南に向けてわずかに傾いている。走っていれば気づかないが、荷車を止めれば転がる」
「じゃあ今も動いているんですか、この橋」
「動いている。毎年、少しずつ」
ガルドは橋の中央に戻った。
腰に下げていた測量紐を出した。スパンを測る。南端の石組みから北端まで。
「シオ、北端で紐を持て」
「はい」
紐を張った。八間。正確には七間八分。
「クルトが記録した数字は七間五分だったか」
「そうだったと思います。少し違いますか」
「三分広い。川が少し動いた。これも確認が要る」
シオが手帳に書いた。
「ガルド様」
「何だ」
「今から——橋の計算をするんですか」
「する」
「どんな計算ですか」
「荷重計算だ」
シオが「荷重」と繰り返した。道路で聞いた言葉だ。
「橋にかかる重さを計算する。通る荷車の重量、スパンの長さ、橋板の断面積——この三つから、橋が今どのくらいの力を受けているかが出る」
「それが——計算で、出るんですか」
「出る」
シオが固まった。
「橋の——橋の強さが、数字で出るんですか」
「正確には、橋が受けている力の大きさが出る。それと橋の石材が耐えられる力を比べる。余裕があれば安全。余裕がなければ危ない」
シオが口を開きかけて、止まった。今度は長かった。
(シオが止まった。情報が入りきらなかったか——いや、入ってはいる。意味が繋がっているかどうかだ)
ガルドは路面に座った。
あぐらをかいた。石は硬かったが、構わなかった。測量紐と小さな木の板を出した。木の板には格子が刻んである。計算用だ。
「計算を見ていろ」
「……はい」
シオが隣に膝をついた。手帳を開いた。
「まず橋のスパン。七間八分。荷車の最大積載は——主街道の荷車は農地への道より大きい。千五百スンと見る」
「一区間目が千スンでしたよね」
「主街道は二倍の荷車が来る。石材の運搬車も通る。その前提で計算しないと危ない」
「千五百スン……」
「スパンの長さに荷重をかけて、支点の数で割る。この橋は支点が二つだけだ。荷重は等分されない——中央に来た荷車は支点に対して最も大きな曲げの力を生む」
「曲げ?」
「橋板が、重さで中央が下に曲がろうとする力だ。その力がどのくらいかを計算する」
ガルドが板に数字を刻んだ。指で格子を辿りながら、数字を走らせた。スパンの半分の距離。そこに荷重が集中した場合の曲げモーメント。桁の間に小さな数字が三行並んだ。
計算は速かった。前世でやり慣れた式だ。シオが覗き込んだが、追いつかなかった。
「曲げの力が出た。次に橋板の断面積を見る——」
「ちょっと待ってください」
シオが言った。
「追いつかないですか」
「はい。曲げの力、というのが——橋板が曲がろうとする力、ということはわかりました。でもその数字が、どこに繋がるのかがまだ——」
「橋板の石材が、その曲げの力に耐えられるかどうかに繋がる」
「耐えられる限界が——石材ごとに決まっているんですか」
「決まっている。石の種類と断面積で決まる」
シオが「石の種類と断面積……」と書いた。書いた後で顔を上げた。
「じゃあ——計算すれば、この橋があと何年持つかもわかるんですか」
「だいたいの目安は出る。正確には、劣化・地盤の変化・使われ方が積み重なる。だから数字は目安だ。ただし目安がなければ何も判断できない」
「目安があれば——判断できる」
「そうだ」
シオがしばらく黙って手帳を見た。書いてある文字を確認していた。
「計算で橋が設計できるんですか」
シオが静かに言った。疑問形だったが、驚きの方が大きかった。
「できる。やっていないだけで」
「この世界の人がやっていないだけ、ということですか」
「そうだ」
「——なんで、誰もやってこなかったんでしょうか」
ガルドは少し考えた。
「知らなかったからだ」
「知っていれば、誰でもできますか」
「計算ができれば、できる」
シオが「……そうか」と言った。独り言の声だった。
橋板の断面を確認した。
シオを一端に立たせて、橋板の端を下から見た。厚さがわかる。
「三寸七分か」
「今何を測りましたか」
「橋板の厚さだ。断面積はここから出す」
幅四間、厚さ三寸七分。断面積の計算。この橋の石が何スンの荷重まで耐えられるか。
計算した。
南端の支点に集中する力と、橋板の耐荷力を比べた。
(……余裕が少ない)
「ガルド様、どうでしたか」
「持っている。ただし余裕が足りない」
「余裕というのは?」
「設計では、実際の荷重の一・五倍から二倍の力に耐えられる設計にする。それが安全率だ。この橋の安全率を計算すると——一・一二だ」
「一・一二が——少ないんですか」
「少ない。何か一つ想定外が重なれば、それだけで壊れる可能性がある。石材の劣化。地盤の沈下。荷車の過積載。雨季の水圧」
「今のまま使い続けていいんですか」
「今すぐ崩れるほどではない。ただし安全とは言えない。計算上は持つが、設計として合格とは言えない数字だ」
シオが手帳に書いた。書きながら少し顔を上げた。父の話を思い出したような顔だった。
「ガルド様、こんなことを聞いていいですか」
「どうぞ」
「橋を作った人は、この計算を知らなかったんですか。それとも知っていたけれど、余裕を少なく作ったんですか」
ガルドは少し考えた。
「知らなかったと思う。この世界で荷重計算をしながら橋を設計した人間は——少なくともヴァルダにはいなかった」
「なのに橋は、一応持っている」
「石工の経験と勘が正しかったからだ。数十年の施工実績が、計算に近い答えを出した。ただし余裕が薄い。勘は正確だったが、余裕まで見ることはできなかった」
シオが黙った。手帳を見た。また顔を上げた。
「コルダ親方の三十年が、勘で計算に近づいていた、ということですか」
(それはシオの言葉としては正確な把握だ)
「そうだ」
シオが「……なるほど」と言った。今度は静かな納得だった。
ひびの箇所を再度確認した。
南端の支点の石組み。縦に入ったひびは、指の一本分、深さが二分ほどある。雨季のたびに水が入った跡だ。水が凍れば広がる。水が増えれば圧力が加わる。
ガルドはひびに指を当てた。幅を測った。上から下まで均一ではない。上が広く、下が狭い。
(圧縮側と引張側の差だ。石は引張に弱い。圧縮側のひびではなく、引張側から始まっている。これは——橋板が曲がることで、支点の上部に引張が出た結果だ)
「ガルド様、何がわかりましたか」
「ひびの原因だ。橋板が重さで曲がる。その曲がりが支点に引張の力を生む。石は引張に弱いから、ここからひびが入った」
「石は引張に弱い——それは?」
「石を両側から押す力には強い。石を両側から引っ張る力には弱い。橋が曲がると、上が縮んで下が伸びようとする。下が伸びようとする部分に引張が出る」
「じゃあ——中央が低いこの橋は、下側が引っ張られているんですか」
「そうだ。この橋板は中央部の下側が引張領域になっている。そこが長期的に一番危うい」
シオが路面を見た。自分が立っている石の下を想像しているようだった。
「今、私が乗っている橋板の下側が——伸びようとしているんですか」
「そうだ」
シオが足元を見た。体重をわずかに北端の方に移した。気づかなかったかもしれないが、移した。
シオが「……怖いですね」と言った。声がわずかに小さかった。
「今日明日で崩れはしない。ただし設計として合格ではない」
「はい」
土手の上に戻ったとき、コルダが立っていた。
一人だった。道具も持っていなかった。いつからいたのかはわからなかった。
「——コルダ親方」
シオが気づいて言った。
コルダはガルドを見た。
「見ていいか」
短く言った。
「どうぞ」
コルダが土手を下りてきた。橋の南端の支点の石組みを見た。ひびのある部分だ。しゃがんで指で触れた。深さを確かめるように。
「——これは石の引きじゃない」
コルダが言った。
「引きというのは」
「石を割るとき、割れ目が自然に出る方向を「引き」と言う。石工の言葉だ。このひびの方向は、石の引きとは違う。外から力がかかってできたひびだ」
(コルダが、感触からひびの原因を推定した。計算ではなく、石工の経験から。答えは同じ方向を指している)
「正しい。外から力がかかったひびだ」
コルダが「そうか」と言った。立ち上がった。橋全体を見た。上から下まで。
「こいつは長くはないか」
「今すぐではない。ただし安全率が足りていない」
「安全率」
「設計上の余裕だ。この橋の場合、実際の荷重に対して一・一二倍しか耐荷力がない。通常は一・五以上が必要だ」
コルダが黙った。橋の石組みを見ていた。腕を組んだ。
「三十年、渡っていた橋だ」
「そうだ。石工の勘が正しかった。ただし余裕まで見ることはできなかった」
「……そうか」
コルダの声は低かった。否定でも肯定でもない声だった。
シオが小さく「コルダ親方も……わかるんですね」と言った。
コルダが「石のひびはわかる。ただ、数字は持っていなかった」と言った。
その後は三人とも黙った。橋の上を荷車が一台通った。石板が少し鳴った。
「架け替えるか、補強するか」
ガルドが言った。
コルダが振り向いた。
「どちらを先に考えているか」
「計算だと、補強で対応できる可能性がある。南端の支点を石で巻いて断面を増やす。同時に地盤を安定させれば、安全率が一・五以上に上がる計算だ」
「補強で二十年持つか」
「設計通りに施工できれば、十五年から二十年は見込める。ただし橋板の石の劣化次第だ。それは掘って確認しないとわからない」
「架け替えは」
「完全な架け替えなら安全率を二・〇以上で設計できる。ただし工期が長くなる。その間、主街道が使えない」
コルダが「それは困る」と言った。
「補強から入って、次の段階で架け替えを検討する、という順番もある」
「補強の施工は——石工の仕事か」
「支点の石組みを増やす部分は石工の仕事だ。地盤を安定させるのは土魔法の仕事だ。この橋も分業になる」
コルダがまた黙った。橋の南端の石組みを見た。さっきひびを確かめた場所だ。
「……計算を見せてもらえるか」
コルダはそう言ってから、橋の石組みから手を離した。川を少しの間見た。水音だけがあった。
「数字でいいか」
「今すぐじゃなくていい。計算が出たら」
「明日にはまとめる」
コルダが「わかった」と言った。橋の上を一度見てから、土手を上がっていった。
シオが後ろ姿を見ながら小さく言った。「道具、持ってなかったですね」
(見に来ただけだ。計算を見たがった。三十年の石工が、数字を見たがった——これは最初の頃とは違う)
帰り道、シオが隣で歩きながら言った。
「ガルド様」
「何だ」
「計算で橋が設計できる、って——計算が出たとき、なんか変な感じがしました」
「どんな感じだ」
「橋ってすごく大きくて、重くて、ずっとそこにあるものじゃないですか。それが——数字で分解できる、っていう」
「できる」
「はじめてそれを見たから——変な感じがしました。よくわからないけど、変な感じが」
ガルドは少し間を置いた。
「数字は道具だ。道具があれば、大きいものでも分解できる」
「道具……」
「橋の形は変わらない。でも数字があれば、どこが弱いかがわかる。わかれば直せる」
シオが「わかれば直せる」と繰り返した。
「手帳に書いたか」
「書きました。計算式は全部は追いつかなかったですが——考え方は書きました」
「それでいい。式は後で見せる」
シオが「ありがとうございます」と言った。
少し間があった。
「橋の計算式——シオにあげますか」
クルトが後ろから言った。いつの間にかついてきていた。
「いつ来た」
「橋の上から戻ったときです。二区間目の確認が終わったので来ました。ニルさんとオーカさんは今日の分を終えて帰りました」
「そうか」
「計算式を記録に残しておいてもいいですか。今後の橋の設計記録として」
「残せ」
「承知しました」
クルトが手帳を開いた。歩きながら書き始めた。
シオが「クルトさんも全部書くんですね」と言った。
「全部書かないと忘れます」
「……私も全部書きたいですが、追いつかないです」
「追いつかなくていい。大事なものだけ書けばいい。ガルド様のを後で借りればいい」
「借りていいんですか」
クルトがガルドを見た。
「いいか」
「記録は全部クルトのところに入る。必要なものは見ていい」
シオが「よかった」と言った。手帳をもう一度開いた。「道具があれば直せる」と書いた。手が少し速かった。
(シオが「変な感じがした」と言った。変な感じ——それは正しい反応だ。計算で橋が設計できるということは、前世では当たり前だった。この世界では、まだ当たり前ではない)
橋が夕日を受けていた。石の表面がわずかに赤かった。
(安全率、一・一二。明日、補強の計算を詰める)




