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11/12

雨の日に泥濘まない道

 石材が来た。


 約束より一日早かった。早朝に荷馬車が二台、埃を上げながら村の南口に止まった。御者が荷台の帆布を捲ると、石が積み重なっていた。灰色の、均一な矩形の石だ。一個一個がきっちり同じ大きさに切り出されている。


 荷降ろしの途中に、職人が二人やってきた。




 一人は背が高かった。三十半ばくらいで、肩幅が広い。首に皮の紐で何かを下げていた。石工の道具入れだと後でわかった。


 「トトといいます」


 声が低かった。挨拶は短かった。


 もう一人はずんぐりとした体格で、腕が太かった。二十代の後半か。石鑿のみを腰の革帯に三本差していた。


 「ルゴです。コルダ親方に言われてきました」


 「ガルドだ。クルト、シオ——こちらが今日から入る石工の職人だ」


 クルトが手帳を開いた。


 「一つ確認してもいいですか。石材の搬入数を確認させてください。路面用中圧石が八百個、小口石が三千個——」


 トトが御者に向いた。


 「帳票を見せてくれ」


 御者が紙を出した。トトが受け取って確認した。数字を読む指の動きが速かった。


 「路面用は八百二十個。予備二十個含め。小口石は三千個ちょうど。二便目が四日後に同数来ます」


 「搬入二便で合計が六千個になる計算ですね」


 クルトが書きながら言った。


 「そうだ」


 (搬入一日前倒し。予備まで入っている。コルダは段取りを理解して発注した。——計画で見込んでいた搬入の一日が消えた。工程日数は変わらない。余裕が生まれた分は仕上げに使う)


 ガルドは石材の一つを手に取った。厚みを指で測る。六分ある。面を撫でる。表面の目が細かい。切り出しが丁寧だ。


 「質は問題ない」


 「コルダ親方の選定です」


 ルゴが言った。誇りのある言い方だった。


 「わかった。石材はここに仮置きしておいてくれ。今日から地盤改良に入る」


 「了解です」


 「シオ、測量紐を持ってきてくれ。北の基点から当たり直す」


 「はーい」


 シオが走った。




 施工の段取りは前日に確認済みだった。


 一日目と二日目が地盤改良。南から五間の軟弱層と、南から二十間の軟弱層を土魔法で締め直す。三日目が排水溝の掘削。四日目から七日目が路面の石材敷設。八日目が仕上げと養生確認。


 「段取り八分、仕事二分だ」


 ガルドは言った。誰に言ったわけでもなかった。


 (言い慣れた台詞だが、意味が変わることはない)


 まず基点を確認した。道の北端、主街道との接続点から杭を一本立てた。シオが測量紐の一端を持ち、南に向けて歩く。五間ごとに印が打ってある。


 「五間、止まれ」


 「はい」


 「踏んでみろ」


 シオが踏み込んだ。足が沈んだ。三分ほど。


 「前回の調査より締まっています。昨日は晴れだったので」


 「それでも緩い。ここが最初の区間だ」


 ガルドは片膝をついた。地面に手を当てる。土魔法を通す。


 地盤の感触が指先から上がってくる。前世の感覚に近いが、違う。土魔法を使う感覚は前世には存在しなかった。土が応える。粘土質の、水分を多く含んだ層が下にある。三合ほどの深さだ。


 (前世なら、機械が振動と数値で教えてくれた。ここでは指先が直接教える。どちらが正確かではない——どちらかしかない、ということだ)


 (ここを締める。圧縮して排水性を高める。上からの荷重を面で受けられる層にする)


 「下がっていてくれ」


 トトとルゴが二歩退いた。




 土魔法は地味だ。


 炎が出るわけでも、光が走るわけでもない。ガルドが地面に手を当てて、黙っている。それだけだ。しかし地面の中では何かが動いている。わずかに土の表面が沈む。内部が収縮しているからだ。それから少し持ち上がる。空気が抜けて、土の粒子が詰まっていくような動き。


 「——動いていますね」


 シオが言った。


 「そう見えるか」


 「表面が揺れています。水が揺れるみたいに」


 トトが腕を組んで見ていた。ルゴは目を細めていた。


 (二人とも石工だ。土魔法を間近で見るのは初めてかもしれない。黙っているのは拒絶ではなく、観察している顔だ)


 十五分ほどかかった。一間ぶん、一尺二分の深さまで締め直した。表面を触ると、さっきより硬い感触がある。シオが踏み込んだ。今度は踵も沈まなかった。


 「全然違います」


 「そうだ。次の一間へ進む」




 一日目が終わったとき、南から五間の区間が完了していた。


 予定通りだ。


 トトが道端に腰を下ろして皮袋から水を飲んだ。ルゴがその隣に立ったまま汗を拭いた。石材の仮置き場所の整理を手伝ってくれていた。言われた仕事ではなかったが、やっていた。


 (石工らしい。段取りを見て、自分がやれることを探す)


 「明日は二十間の区間に入る。段差がなく続けて施工できるように、つなぎ目は俺が最後に整える」


 トトが「了解です」と言った。


 「石材の敷設は三日目から始まる。排水溝の掘削は俺とシオでやる。そこは手を出さなくていい」


 「わかりました」


 「路面の敷設に入ったら、設計図の寸法通りに並べてほしい。カマボコの傾斜が七分/間——分かるか」


 「縦に七分上がるということですね、一間で」


 ルゴが言った。


 「そうだ。中心から端に向けて均等に下がる。一間で七分の傾斜を崩さないように敷いてほしい」


 「傾斜の確認はどうやるんですか」


 「水糸を張る。その糸に対して石の面を合わせて並べてくれ。傾斜の基準糸はシオが張る」


 シオが「私がやります」と言った。


 トトがシオを見た。シオを初めてちゃんと見た、という顔だった。


 「測量ができるのか」


 「数値を読み上げるのが仕事です。基準糸の張り方はガルド様に教わりました」


 「……何歳だ」


 「十六です」


 (トトの顔に何かが過ぎった。驚きか、関心か。言葉にはしなかった)


 ガルドは「今日はここまでだ」と言った。




 二日目は南から二十間の軟弱層に入った。


 こちらの方が状態が悪かった。杭が一尺以上入る場所が三か所あった。先日シオが足首まで沈んだ区間だ。


 「ここが一番死んでいるところか」


 ルゴが地面を踏んで言った。靴が三寸ちかく沈んだ。


 「一番死んでいる区間だ」


 「死んでいる、というのは——」


 「水が抜けていない。路盤が飽和している。荷車が通るたびに潰れて、晴れても戻らない。毎年悪化する一方だ」


 ルゴが「そういう道、ヴァルダに多いですね」と言った。


 「多い。同じ理由だ」


 「なんで今まで誰も直さなかったんですか」


 ルゴが素直に聞いた。


 (答えは簡単だ。直し方を知らなかった。「道が傷んだら石を貼り直す」という発想から出なかった。排水の概念がなかった)


 「根本を直す方法を知らなかった。表面を貼り直しても、下が緩んでいれば結果は変わらない」


 「表面だけじゃ意味がない——」


 「そういうことだ」


 ルゴが足を抜きながら「なるほど」と言った。靴に泥が絡んだ。


 (シオが「うわ」と言った区間を、今度はルゴが踏んだ。しかしルゴは「なるほど」と言った。石工は黙って手を動かすが、理由を聞いたら理解しようとする)




 二日目の夕方に地盤改良が完了した。


 三十間の全区間を歩いた。シオが踏み込みながら確認した。


 「一間ごとに踏んで感触を確認してくれ。以前と違う手応えなら言え」


 「はい」


 シオが歩いた。靴底を意識しながら、丁寧に踏んでいった。


 「……全部、固い。昨日と全然違います」


 「数値で言え」


 「沈みが——ほぼゼロです。せいぜい一分以下」


 クルトが手帳に書いた。


 「全区間、踏み込み深さ一分未満——記録しました。施工前の最大値は一寸三分でしたので、大幅な改善です」


 「よし」


 トトが少し眉を動かした。


 (数値で確認している、と気づいた顔だ。石工の仕事では感触で「いい」か「悪い」かを判断する。数値で追う発想は珍しいのだろう)


 少しして、トトは道具入れから短い鉄棒を取り出した。施工済みの区間の地面に刺した。深さを確かめる動作だ。一間を踏み、また刺した。もう一間で、また刺した。独り言のように「……硬い」と言った。ガルドに言っていなかった。


 「三日目は排水溝に入る。四日目から石材だ」




 三日目は排水溝の掘削だった。


 道の両側に幅八分、深さ五分の溝を三十間ぶん掘る。ガルドが土魔法で掘り、シオが深さを測る。クルトが記録する。トトとルゴは翌日からの石材搬入の準備をする。


 排水溝の方向は、北から南に向けて一間に五分の傾斜で下げていく。水が北から南に流れるように設計している。南端は既存の排水溝に接続する。


 「北端から始める。傾斜を確認しながら掘るから、一間ごとに深さを測ってくれ」


 「はい」


 シオが測量紐の短い方を持った。一間分の紐だ。


 「北端の天端が基準だ。そこから五分下げた深さが一間目の溝底になる。合ってるか」


 「南に行くほど深くなる——ということですか」


 「溝底の傾斜が五分/間だ。道路表面と溝底、二つの傾斜の向きが揃っていないと水が逆に流れる。基準線を持っていく必要がある」


 「……わかりました」


 (一度で理解するようになってきた。以前は二回説明が必要だった)


 午前中に一五間、午後に残りの一五間と南端の出口部分を仕上げた。三日目の作業が終わった。




 四日目から石材が入った。


 トトとルゴが路面石材の敷設に入った。


 まず基準糸を張る。道の中心線に沿って水糸を通し、カマボコの頂点ラインを確認する。そこから左右に向けて七分/間の傾斜で石を並べていく。


 最初の一間をガルドが立ち会って確認した。


 「このラインに合わせて並べてくれ。石と石の目地が一分以内になるように」


 「一分——」


 ルゴが石鑿の柄で目地を確認しながら言った。


 「狭いですね」


 「水が目地から入ると下が緩む。路面石材を並べる意味がなくなる」


 「目地に何か詰めますか」


 「後から砂を入れる。それが仕上げ工程だ。今は面を合わせることを優先してくれ」


 トトが最初の石を置いた。水糸に合わせて傾斜を確認しながら、慎重に位置を決める。石の向きを変えて、また合わせる。調整する動作に無駄がなかった。


 「——合ってるか」


 ガルドが糸との角度を確認した。


 「合っている」


 「じゃあこのペースで行きます」


 ルゴが次の石を持ち上げた。




 トトとルゴの仕事は速かった。


 正確で、速かった。一個を置く動作が短い。次の石を取り、面を合わせ、叩いて固定する。目地の間隔を確認して、次に進む。ガルドが計算した「一人一日四十個から五十個」のペースを上回っていた。


 「二人で一日に百個以上いけそうですね」


 シオが横でそっと言った。


 「いける」


 「七百個が七日計算だったのに——」


 「六日以内に終わる可能性がある」


 (段取りで八日を見込んでいたが、石工の腕がいい。余裕ができた。余裕は仕上げに使う)


 シオが「すごいな」と小声で言った。誰かに言ったのではなく、自分に向けて言った声だった。


 (石工の仕事を初めてそばで見ているのだろう。父親が石工なのに、現場に出たのはこれが初めてかもしれない)




 五日目の午後に、雨が来た。


 前触れなく来た。空が急に暗くなって、大粒の雨が道路の南端から叩き始めた。


 「雨だ。今日の施工はここまでにしてくれ」


 トトが「了解です」と言って石を置いた。敷設済みの石を帆布で覆い始めた。ルゴが反対側の端を持った。慣れた動作だった。


 ガルドは施工途中の区間を見た。路面石材は南から二十二間まで敷設が終わっている。残りは八間だ。排水溝の出口は昨日仮接続した。今は完全に塞がっている区間がある。


 (この雨がどこへ流れるか、確認しておく価値がある)


 「クルト、水の流れを記録しておいてくれ。施工済み区間と未施工区間で水の動きが変わるか見たい」


 「はい」


 クルトが手帳を懐に入れた。雨で濡れないように脇に押し込んで、それでも手帳の端が見えていた。


 シオが「私も見ます」と言った。


 「来い。ただし走るな。濡れた石の上で転ぶな」


 「はい」




 雨は本降りになった。


 施工済みの区間——南から二十二間の路面——では、水が表面を横に流れた。カマボコの傾斜に沿って、中心から端に向けて水が動く。端の排水溝に水が入っていく。溝の中を南に向けて流れていく。


 未施工の区間——残りの八間——では水が路面に溜まった。平坦だから流れない。泥と混じって、灰色の水が表面に広がっていく。


 (施工済みと未施工の差が、雨で一目で分かる。これは使える記録だ)


 「シオ、どう見える」


 「施工済みの方は——水が端に行っています。溝に入ってる」


 「未施工の方は」


 「溜まってます。どろどろになってる」


 「クルトに言ってくれ。施工済み区間で路面水流の方向を確認、排水溝への流入を確認、未施工区間では水が滞留——この三点を記録してくれ」


 クルトがすでに書いていた。


 「記録済みです」


 (前世なら写真を撮るところだ。記録で残すしかない。クルトはそれを理解している)


 雨の中でガルドは少しの間、施工済みの路面を見た。


 水が流れていた。傾斜通りに流れていた。溝の中を水音が立てながら南に向かっていた。


 (……正しく動いている)


 排水溝の中で水音がしていた。設計した通りの音だった。それだけでよかった、と思った。




 六日目は晴れた。


 残りの八間を午前中に仕上げた。


 トトとルゴが石を並べた。シオが基準糸の確認をした。クルトが記録した。ガルドは施工の流れを見ながら、次の工程を考えていた。


 午後に排水溝の仮接続を本接続に切り替えた。南端の出口を開通させた。水が本設の流路に入った。


 「南の調整池まで流れます——ガルド様、確認してください」


 クルトが出口の先を指した。三十間の先、道が折れる角のあたりで水が澄んで流れていた。


 「流量は適正だ。溝の目詰まりはないか」


 「今のところ問題ありません」


 「七日目に排水溝の内壁石材を入れる。それで路面施工は完了だ」




 七日目は排水溝の内壁石材だった。


 小口石を溝の内壁に張っていく。幅三分、高さ五分の小さな石だ。これを溝の両壁に並べて、土が崩れないようにする。


 ルゴが溝に膝をついて内壁に石を当てていた。狭い溝の中で、鑿で石を調整しながら並べる作業だ。器用な指先の動きだった。


 シオが横で見ていた。


 「小さいのに一個一個ちゃんと合わせてるんですね」


 ルゴが「当たり前だろ」と言った。言い方は短かったが、怒った声ではなかった。


 「ずれたら水が石と石の間から入る。隙間から土が崩れる。ここを抜いたら意味がない」


 「……そうか」


 シオが手帳に何か書いた。ルゴが横目でそれを見た。一瞬、文字を読もうとするように視線が止まった。数字が並んでいるのか文章なのか、確かめようとして、やめた。


 「何を書いてるんだ」


 「聞いたことを書いてます。隙間があると土が崩れる——って」


 「……」


 ルゴは何も言わずまた石に向いた。しかしその後、手の動きが少し丁寧になった。見せながら並べている、という感じになった。


 (気づいているのかいないのか。どちらにせよ、シオはきちんと見ている)




 八日目は仕上げだった。


 路面の目地に砂を入れた。乾いた細砂を路面全体に撒いて、箒で目地に押し込む。水をかけて締める。乾いたら余分な砂を掃く。


 三十間の路面が、朝日を受けて並んでいた。灰色の石が、北から南に向けてきちんと傾斜を持ちながら並んでいる。


 ガルドは北端から南端まで歩いた。


 一間ごとに路面を踏む。傾斜の感触を確認する。目地の均一性を見る。排水溝の水流を確認する。


 南から十間ほどのところで、足を止めた。排水溝から、かすかに水の音がしていた。昨夜の雨の残りが、まだ流れているらしかった。数値を確認するまでもなかった。設計通りに動いている音だった。


 問題はなかった。


 シオが後ろからついてきた。同じように一間ごとに踏んでいた。測量紐を持って、時々確認していた。


 「……傾斜、あってます。測定値が全区間、六分から八分の範囲に入ってます」


 声が少し抑えてあった。数値を読み上げるときとは微妙に違う声だった。


 「記録してくれ」


 「はい。クルト様に」


 クルトが受け取った。


 「全区間の施工後計測値を記録します。——七分プラスマイナス一分、全区間クリア。記録完了です」


 「八日で完工。記録にそう書いてくれ」


 「はい。施工期間:地盤改良二日、排水溝掘削一日、路面石材敷設四日、内壁施工一日、仕上げ一日——合計八日、完工と記録しました」


 (計画通りだ。一日の余裕もなく、一日の遅れもなく)


 トトが腕を組んで路面を見ていた。ルゴが靴の裏で路面を踏んで傾斜を確かめていた。


 「——悪くない」


 トトが言った。


 (悪くない。前世で自分が言う台詞だ。だが今日はトトが先に言った)


 ガルドは「ありがとうございました」と言った。


 「認めたわけじゃないですが」


 トトが言った。コルダに似た言い方だった。


 (似てきた。長年一緒に仕事をした人間の口癖は移る)


 「わかりました」




 翌朝、通行止めを解除した。


 クルトが農家五軒に連絡した。農地への道が使えるようになる、と伝えた。


 最初に来たのはトレット爺さんだった。荷馬車を引いてきた。道に入る前に少し止まった。路面を見た。今まで見たことのない道だ、という顔をしていた。


 「入っていいか」


 「どうぞ」


 荷馬車が路面に入った。車輪が石の上を転がった。


 音が違った。今までのぬかるみの中の鈍い音ではなく、石が石を叩く乾いた音だ。荷馬車の揺れが小さかった。馬が戸惑うように首を振った。


 トレット爺さんが手綱を持ったまま前を向いていた。南の農地に向けてゆっくり進んだ。三十間を渡り切ったところで、爺さんが馬を止めた。折れ角のあたりで少しの間そのままでいた。それから振り返った。


 「——なんだこれ」


 静かな声だった。


 「道路です」


 「道路は知ってる。今まであそこを通ってきた。でも——」


 「今までと何が違いますか」


 「揺れなかった。ぬかるまなかった。馬が変な顔をしている」


 「設計が変わりました。水が端に逃げるようになっています」


 トレット爺さんがまた路面を見た。


 「水が逃げる——」


 言葉を繰り返した。理解しようとしているのか、驚いているのか、その両方なのか。




 その日の午後に雨が来た。


 昨日と違って小雨だった。しかし続いた。夕方まで降り続いた。


 翌朝、シオが早くに来た。道の端に立って南を見ていた。


 「ガルド様、来てください」


 声に何かがあった。


 ガルドは現場に行った。


 農地への道を見た。


 路面に泥がなかった。


 夕方まで雨が続いたのに、路面に水が溜まっていなかった。石の表面に朝露が光っているが、泥がない。排水溝の中には水が流れた跡がある。昨日の雨の水が、溝を通って南に流れたのだ。


 「……どろどろしていない」


 シオが言った。


 「そうだな」


 「今まで、ちょっとでも雨が降ったら翌朝はどろどろでした。馬が足を取られて、荷が揺れて、農家のおじさんたちが毎朝ぼやいてた」


 「知っている」


 「それが——」


 シオが路面に足を乗せた。踵で踏んだ。沈まない。泥もない。


 「きれいです。雨が降ったのに」


 (きれい、か。まあ、そういう感想になるか)


 ガルドは路面を端から端まで見た。排水溝の出口から水の跡が続いていた。昨夜の雨水が、設計通りに流れたのだ。


 (正しく動いた。それだけのことだ)


 そこに農家たちが来始めた。




 トレット爺さんが一番最初に来た。次に若い農家が荷馬車を引いてきた。その後ろからまた一人来た。


 三人とも、道に入る前に路面を見た。昨日と同じ顔をした。昨日と違うのは、昨夜に雨が降ったことを知っているという点だ。


 若い農家が路面に足を踏み入れた。


 「——ぬかんない」


 「当たり前だろ」


 トレット爺さんが言った。


 「でも昨日雨が降ったぞ」


 「知ってる。俺も踏んだ。ぬかんない」


 二人で路面を踏んでいた。踵を上げて、下ろして、また上げて。沈まないことを確認する動作だ。


 三人目の農家が「どういう仕組みだ」と言った。


 「水が端に流れるようになっています」


 ガルドが答えた。


 「水が端に流れる——」


 「道の形が変わりました。真ん中が少し高くなっています。水がそこから両側に流れて、端の溝に入ります。溝が水を南に流します」


 「前の道はそうなってなかったのか」


 「平らでした」


 「平らだと水が溜まるのか」


 「行くところがないので」


 農家が「なるほど」と言った。特に驚いたという顔ではなく、合点がいったという顔だった。


 (理屈を聞けばわかる。誰でも理解できる。ただ、その発想が今まで誰にもなかった)


 トレット爺さんが荷馬車を進めた。馬が石の音を立てながら南の農地に向かった。


 残りの農家二人も後に続いた。




 クルトが記録した。


 クルトが手帳を読んだ。「農家からの反応——特記事項あり」の箇所で、少し手が止まった。技術記録の欄に入れるものではない。でもどこかに書く必要があると判断したらしく、書いた。


 「通行開始後の状況——農家五軒中、三軒が初日に通行確認。路面の乾燥状態を確認、問題なし。農家からの反応——特記事項あり。「ぬかんない」という発言を複数名から確認。翌朝雨後の路面状況:水の滞留なし、排水溝への流入を確認」


 「ありがとう」


 クルトが手帳を閉じた。また開いた。


 「一つ確認してもいいですか」


 「どうぞ」


 「この記録は、二区間目・三区間目の施工前に見せる予定ですか」


 「そうだ。一区間の実績を数字で示してから、次の提案をする」


 「コルダ親方にも見せますか」


 「見せる」


 (コルダは一区間の結果を待っている。数字で確認したがる人間だ。記録を持って話に行けば、数字で話ができる)


 クルトが「了解です」と言った。


 「——石工の二人はどうしましたか」


 「今朝、コルダ親方のところに戻りました。完工の報告に行ったと言っていました」


 「そうか」


 (トトとルゴは仕事を終えたら帰った。当然だ。「一区間の仕事」として来ている)


 「コルダ親方が来るとしたら——」


 シオが言った。


 「来る」


 「いつですか」


 「知らん」


 シオが「そうですよね」と言った。


 「でも来ると思います。トトさんが「認めたわけじゃないですが」って言ったから」


 (また観察している。コルダの口癖が職人に移っていることまで見ている)


 「来たら話す。それまでに次の区間の設計を進める」


 ガルドは路面を一度踏んだ。石が硬い感触を返した。傾斜がある。排水溝が機能している。


 (一区間が終わった。次がある。それだけのことだ)




 その日の夕方に、遠くから人の足音がした。


 複数の足音だった。


 ガルドは測量の紐を片付けながら、その方向を見なかった。音だけで聞いていた。大人の足音が三つ。それとも四つ。石工の靴だ。鑿を腰に差した人間の動きがわかる。


 (コルダが来た。職人を連れて)


 シオが南の方向を見た。


 「——あれ」


 「何だ」


 「来てます。コルダさん。後ろに——見たことない人が二人います。トトさんでもルゴさんでもない」


 ガルドは測量紐を腰に差した。


 (若い職人、か。コルダが連れてきた。一区間の結果を見せるためか、それとも——)


 「クルト、記録の手帳を出してくれ」


 「はい」


 「さっきの施工後の数値も合わせて用意してくれ」


 「了解です」


 シオが「どういうことですか」と言った。


 「わからん。来てから聞く」


 コルダが路面に足を踏み入れた。後ろに若い職人が二人いた。二十代前半くらいだ。道具を持って、少し緊張した顔をしていた。一人が路面に足を置いた瞬間、靴底で石を確かめるように踏み直した。傾斜を感じているのだと思った。コルダは路面を踏んで、傾斜を確認するような歩き方をした。黙って端まで歩いた。排水溝を見た。戻ってきた。


 「昨夜、雨が降ったな」


 「はい」


 「この路面——雨の後に見に来た」


 ガルドは何も言わなかった。コルダが路面を踏んだ。靴底で石を確かめるような踏み方だった。


 「ぬかんない」


 「はい」


 コルダが後ろを振り返った。連れてきた若い職人を見た。


 「見たか」


 若い職人の一人が「はい」と言った。もう一人が「……はい」と言った。二人とも路面を見ていた。


 「見ているだけでは分からん」


 コルダが言った。


 「見ていろ。盗め」


 若い職人たちが路面に目を落とした。


 (コルダが職人を連れて来た。若い職人を。路面の完成を見せに来た。——「見ていろ、盗め」)


 ガルドは何も言わなかった。クルトが手帳を開いて待っていた。シオが若い職人たちを横目で見ていた。


 「話がある」


 コルダがガルドに向いた。


 「どうぞ」


 「二区間目——次の話だ」


 (来た。数字を持って来た)


 「わかりました。記録の数値を用意してあります」


 「見せろ」


 「はい」


 石が夕日を受けて、三十間ぶん並んでいた。



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