雨の日に泥濘まない道
石材が来た。
約束より一日早かった。早朝に荷馬車が二台、埃を上げながら村の南口に止まった。御者が荷台の帆布を捲ると、石が積み重なっていた。灰色の、均一な矩形の石だ。一個一個がきっちり同じ大きさに切り出されている。
荷降ろしの途中に、職人が二人やってきた。
一人は背が高かった。三十半ばくらいで、肩幅が広い。首に皮の紐で何かを下げていた。石工の道具入れだと後でわかった。
「トトといいます」
声が低かった。挨拶は短かった。
もう一人はずんぐりとした体格で、腕が太かった。二十代の後半か。石鑿を腰の革帯に三本差していた。
「ルゴです。コルダ親方に言われてきました」
「ガルドだ。クルト、シオ——こちらが今日から入る石工の職人だ」
クルトが手帳を開いた。
「一つ確認してもいいですか。石材の搬入数を確認させてください。路面用中圧石が八百個、小口石が三千個——」
トトが御者に向いた。
「帳票を見せてくれ」
御者が紙を出した。トトが受け取って確認した。数字を読む指の動きが速かった。
「路面用は八百二十個。予備二十個含め。小口石は三千個ちょうど。二便目が四日後に同数来ます」
「搬入二便で合計が六千個になる計算ですね」
クルトが書きながら言った。
「そうだ」
(搬入一日前倒し。予備まで入っている。コルダは段取りを理解して発注した。——計画で見込んでいた搬入の一日が消えた。工程日数は変わらない。余裕が生まれた分は仕上げに使う)
ガルドは石材の一つを手に取った。厚みを指で測る。六分ある。面を撫でる。表面の目が細かい。切り出しが丁寧だ。
「質は問題ない」
「コルダ親方の選定です」
ルゴが言った。誇りのある言い方だった。
「わかった。石材はここに仮置きしておいてくれ。今日から地盤改良に入る」
「了解です」
「シオ、測量紐を持ってきてくれ。北の基点から当たり直す」
「はーい」
シオが走った。
施工の段取りは前日に確認済みだった。
一日目と二日目が地盤改良。南から五間の軟弱層と、南から二十間の軟弱層を土魔法で締め直す。三日目が排水溝の掘削。四日目から七日目が路面の石材敷設。八日目が仕上げと養生確認。
「段取り八分、仕事二分だ」
ガルドは言った。誰に言ったわけでもなかった。
(言い慣れた台詞だが、意味が変わることはない)
まず基点を確認した。道の北端、主街道との接続点から杭を一本立てた。シオが測量紐の一端を持ち、南に向けて歩く。五間ごとに印が打ってある。
「五間、止まれ」
「はい」
「踏んでみろ」
シオが踏み込んだ。足が沈んだ。三分ほど。
「前回の調査より締まっています。昨日は晴れだったので」
「それでも緩い。ここが最初の区間だ」
ガルドは片膝をついた。地面に手を当てる。土魔法を通す。
地盤の感触が指先から上がってくる。前世の感覚に近いが、違う。土魔法を使う感覚は前世には存在しなかった。土が応える。粘土質の、水分を多く含んだ層が下にある。三合ほどの深さだ。
(前世なら、機械が振動と数値で教えてくれた。ここでは指先が直接教える。どちらが正確かではない——どちらかしかない、ということだ)
(ここを締める。圧縮して排水性を高める。上からの荷重を面で受けられる層にする)
「下がっていてくれ」
トトとルゴが二歩退いた。
土魔法は地味だ。
炎が出るわけでも、光が走るわけでもない。ガルドが地面に手を当てて、黙っている。それだけだ。しかし地面の中では何かが動いている。わずかに土の表面が沈む。内部が収縮しているからだ。それから少し持ち上がる。空気が抜けて、土の粒子が詰まっていくような動き。
「——動いていますね」
シオが言った。
「そう見えるか」
「表面が揺れています。水が揺れるみたいに」
トトが腕を組んで見ていた。ルゴは目を細めていた。
(二人とも石工だ。土魔法を間近で見るのは初めてかもしれない。黙っているのは拒絶ではなく、観察している顔だ)
十五分ほどかかった。一間ぶん、一尺二分の深さまで締め直した。表面を触ると、さっきより硬い感触がある。シオが踏み込んだ。今度は踵も沈まなかった。
「全然違います」
「そうだ。次の一間へ進む」
一日目が終わったとき、南から五間の区間が完了していた。
予定通りだ。
トトが道端に腰を下ろして皮袋から水を飲んだ。ルゴがその隣に立ったまま汗を拭いた。石材の仮置き場所の整理を手伝ってくれていた。言われた仕事ではなかったが、やっていた。
(石工らしい。段取りを見て、自分がやれることを探す)
「明日は二十間の区間に入る。段差がなく続けて施工できるように、つなぎ目は俺が最後に整える」
トトが「了解です」と言った。
「石材の敷設は三日目から始まる。排水溝の掘削は俺とシオでやる。そこは手を出さなくていい」
「わかりました」
「路面の敷設に入ったら、設計図の寸法通りに並べてほしい。カマボコの傾斜が七分/間——分かるか」
「縦に七分上がるということですね、一間で」
ルゴが言った。
「そうだ。中心から端に向けて均等に下がる。一間で七分の傾斜を崩さないように敷いてほしい」
「傾斜の確認はどうやるんですか」
「水糸を張る。その糸に対して石の面を合わせて並べてくれ。傾斜の基準糸はシオが張る」
シオが「私がやります」と言った。
トトがシオを見た。シオを初めてちゃんと見た、という顔だった。
「測量ができるのか」
「数値を読み上げるのが仕事です。基準糸の張り方はガルド様に教わりました」
「……何歳だ」
「十六です」
(トトの顔に何かが過ぎった。驚きか、関心か。言葉にはしなかった)
ガルドは「今日はここまでだ」と言った。
二日目は南から二十間の軟弱層に入った。
こちらの方が状態が悪かった。杭が一尺以上入る場所が三か所あった。先日シオが足首まで沈んだ区間だ。
「ここが一番死んでいるところか」
ルゴが地面を踏んで言った。靴が三寸ちかく沈んだ。
「一番死んでいる区間だ」
「死んでいる、というのは——」
「水が抜けていない。路盤が飽和している。荷車が通るたびに潰れて、晴れても戻らない。毎年悪化する一方だ」
ルゴが「そういう道、ヴァルダに多いですね」と言った。
「多い。同じ理由だ」
「なんで今まで誰も直さなかったんですか」
ルゴが素直に聞いた。
(答えは簡単だ。直し方を知らなかった。「道が傷んだら石を貼り直す」という発想から出なかった。排水の概念がなかった)
「根本を直す方法を知らなかった。表面を貼り直しても、下が緩んでいれば結果は変わらない」
「表面だけじゃ意味がない——」
「そういうことだ」
ルゴが足を抜きながら「なるほど」と言った。靴に泥が絡んだ。
(シオが「うわ」と言った区間を、今度はルゴが踏んだ。しかしルゴは「なるほど」と言った。石工は黙って手を動かすが、理由を聞いたら理解しようとする)
二日目の夕方に地盤改良が完了した。
三十間の全区間を歩いた。シオが踏み込みながら確認した。
「一間ごとに踏んで感触を確認してくれ。以前と違う手応えなら言え」
「はい」
シオが歩いた。靴底を意識しながら、丁寧に踏んでいった。
「……全部、固い。昨日と全然違います」
「数値で言え」
「沈みが——ほぼゼロです。せいぜい一分以下」
クルトが手帳に書いた。
「全区間、踏み込み深さ一分未満——記録しました。施工前の最大値は一寸三分でしたので、大幅な改善です」
「よし」
トトが少し眉を動かした。
(数値で確認している、と気づいた顔だ。石工の仕事では感触で「いい」か「悪い」かを判断する。数値で追う発想は珍しいのだろう)
少しして、トトは道具入れから短い鉄棒を取り出した。施工済みの区間の地面に刺した。深さを確かめる動作だ。一間を踏み、また刺した。もう一間で、また刺した。独り言のように「……硬い」と言った。ガルドに言っていなかった。
「三日目は排水溝に入る。四日目から石材だ」
三日目は排水溝の掘削だった。
道の両側に幅八分、深さ五分の溝を三十間ぶん掘る。ガルドが土魔法で掘り、シオが深さを測る。クルトが記録する。トトとルゴは翌日からの石材搬入の準備をする。
排水溝の方向は、北から南に向けて一間に五分の傾斜で下げていく。水が北から南に流れるように設計している。南端は既存の排水溝に接続する。
「北端から始める。傾斜を確認しながら掘るから、一間ごとに深さを測ってくれ」
「はい」
シオが測量紐の短い方を持った。一間分の紐だ。
「北端の天端が基準だ。そこから五分下げた深さが一間目の溝底になる。合ってるか」
「南に行くほど深くなる——ということですか」
「溝底の傾斜が五分/間だ。道路表面と溝底、二つの傾斜の向きが揃っていないと水が逆に流れる。基準線を持っていく必要がある」
「……わかりました」
(一度で理解するようになってきた。以前は二回説明が必要だった)
午前中に一五間、午後に残りの一五間と南端の出口部分を仕上げた。三日目の作業が終わった。
四日目から石材が入った。
トトとルゴが路面石材の敷設に入った。
まず基準糸を張る。道の中心線に沿って水糸を通し、カマボコの頂点ラインを確認する。そこから左右に向けて七分/間の傾斜で石を並べていく。
最初の一間をガルドが立ち会って確認した。
「このラインに合わせて並べてくれ。石と石の目地が一分以内になるように」
「一分——」
ルゴが石鑿の柄で目地を確認しながら言った。
「狭いですね」
「水が目地から入ると下が緩む。路面石材を並べる意味がなくなる」
「目地に何か詰めますか」
「後から砂を入れる。それが仕上げ工程だ。今は面を合わせることを優先してくれ」
トトが最初の石を置いた。水糸に合わせて傾斜を確認しながら、慎重に位置を決める。石の向きを変えて、また合わせる。調整する動作に無駄がなかった。
「——合ってるか」
ガルドが糸との角度を確認した。
「合っている」
「じゃあこのペースで行きます」
ルゴが次の石を持ち上げた。
トトとルゴの仕事は速かった。
正確で、速かった。一個を置く動作が短い。次の石を取り、面を合わせ、叩いて固定する。目地の間隔を確認して、次に進む。ガルドが計算した「一人一日四十個から五十個」のペースを上回っていた。
「二人で一日に百個以上いけそうですね」
シオが横でそっと言った。
「いける」
「七百個が七日計算だったのに——」
「六日以内に終わる可能性がある」
(段取りで八日を見込んでいたが、石工の腕がいい。余裕ができた。余裕は仕上げに使う)
シオが「すごいな」と小声で言った。誰かに言ったのではなく、自分に向けて言った声だった。
(石工の仕事を初めてそばで見ているのだろう。父親が石工なのに、現場に出たのはこれが初めてかもしれない)
五日目の午後に、雨が来た。
前触れなく来た。空が急に暗くなって、大粒の雨が道路の南端から叩き始めた。
「雨だ。今日の施工はここまでにしてくれ」
トトが「了解です」と言って石を置いた。敷設済みの石を帆布で覆い始めた。ルゴが反対側の端を持った。慣れた動作だった。
ガルドは施工途中の区間を見た。路面石材は南から二十二間まで敷設が終わっている。残りは八間だ。排水溝の出口は昨日仮接続した。今は完全に塞がっている区間がある。
(この雨がどこへ流れるか、確認しておく価値がある)
「クルト、水の流れを記録しておいてくれ。施工済み区間と未施工区間で水の動きが変わるか見たい」
「はい」
クルトが手帳を懐に入れた。雨で濡れないように脇に押し込んで、それでも手帳の端が見えていた。
シオが「私も見ます」と言った。
「来い。ただし走るな。濡れた石の上で転ぶな」
「はい」
雨は本降りになった。
施工済みの区間——南から二十二間の路面——では、水が表面を横に流れた。カマボコの傾斜に沿って、中心から端に向けて水が動く。端の排水溝に水が入っていく。溝の中を南に向けて流れていく。
未施工の区間——残りの八間——では水が路面に溜まった。平坦だから流れない。泥と混じって、灰色の水が表面に広がっていく。
(施工済みと未施工の差が、雨で一目で分かる。これは使える記録だ)
「シオ、どう見える」
「施工済みの方は——水が端に行っています。溝に入ってる」
「未施工の方は」
「溜まってます。どろどろになってる」
「クルトに言ってくれ。施工済み区間で路面水流の方向を確認、排水溝への流入を確認、未施工区間では水が滞留——この三点を記録してくれ」
クルトがすでに書いていた。
「記録済みです」
(前世なら写真を撮るところだ。記録で残すしかない。クルトはそれを理解している)
雨の中でガルドは少しの間、施工済みの路面を見た。
水が流れていた。傾斜通りに流れていた。溝の中を水音が立てながら南に向かっていた。
(……正しく動いている)
排水溝の中で水音がしていた。設計した通りの音だった。それだけでよかった、と思った。
六日目は晴れた。
残りの八間を午前中に仕上げた。
トトとルゴが石を並べた。シオが基準糸の確認をした。クルトが記録した。ガルドは施工の流れを見ながら、次の工程を考えていた。
午後に排水溝の仮接続を本接続に切り替えた。南端の出口を開通させた。水が本設の流路に入った。
「南の調整池まで流れます——ガルド様、確認してください」
クルトが出口の先を指した。三十間の先、道が折れる角のあたりで水が澄んで流れていた。
「流量は適正だ。溝の目詰まりはないか」
「今のところ問題ありません」
「七日目に排水溝の内壁石材を入れる。それで路面施工は完了だ」
七日目は排水溝の内壁石材だった。
小口石を溝の内壁に張っていく。幅三分、高さ五分の小さな石だ。これを溝の両壁に並べて、土が崩れないようにする。
ルゴが溝に膝をついて内壁に石を当てていた。狭い溝の中で、鑿で石を調整しながら並べる作業だ。器用な指先の動きだった。
シオが横で見ていた。
「小さいのに一個一個ちゃんと合わせてるんですね」
ルゴが「当たり前だろ」と言った。言い方は短かったが、怒った声ではなかった。
「ずれたら水が石と石の間から入る。隙間から土が崩れる。ここを抜いたら意味がない」
「……そうか」
シオが手帳に何か書いた。ルゴが横目でそれを見た。一瞬、文字を読もうとするように視線が止まった。数字が並んでいるのか文章なのか、確かめようとして、やめた。
「何を書いてるんだ」
「聞いたことを書いてます。隙間があると土が崩れる——って」
「……」
ルゴは何も言わずまた石に向いた。しかしその後、手の動きが少し丁寧になった。見せながら並べている、という感じになった。
(気づいているのかいないのか。どちらにせよ、シオはきちんと見ている)
八日目は仕上げだった。
路面の目地に砂を入れた。乾いた細砂を路面全体に撒いて、箒で目地に押し込む。水をかけて締める。乾いたら余分な砂を掃く。
三十間の路面が、朝日を受けて並んでいた。灰色の石が、北から南に向けてきちんと傾斜を持ちながら並んでいる。
ガルドは北端から南端まで歩いた。
一間ごとに路面を踏む。傾斜の感触を確認する。目地の均一性を見る。排水溝の水流を確認する。
南から十間ほどのところで、足を止めた。排水溝から、かすかに水の音がしていた。昨夜の雨の残りが、まだ流れているらしかった。数値を確認するまでもなかった。設計通りに動いている音だった。
問題はなかった。
シオが後ろからついてきた。同じように一間ごとに踏んでいた。測量紐を持って、時々確認していた。
「……傾斜、あってます。測定値が全区間、六分から八分の範囲に入ってます」
声が少し抑えてあった。数値を読み上げるときとは微妙に違う声だった。
「記録してくれ」
「はい。クルト様に」
クルトが受け取った。
「全区間の施工後計測値を記録します。——七分プラスマイナス一分、全区間クリア。記録完了です」
「八日で完工。記録にそう書いてくれ」
「はい。施工期間:地盤改良二日、排水溝掘削一日、路面石材敷設四日、内壁施工一日、仕上げ一日——合計八日、完工と記録しました」
(計画通りだ。一日の余裕もなく、一日の遅れもなく)
トトが腕を組んで路面を見ていた。ルゴが靴の裏で路面を踏んで傾斜を確かめていた。
「——悪くない」
トトが言った。
(悪くない。前世で自分が言う台詞だ。だが今日はトトが先に言った)
ガルドは「ありがとうございました」と言った。
「認めたわけじゃないですが」
トトが言った。コルダに似た言い方だった。
(似てきた。長年一緒に仕事をした人間の口癖は移る)
「わかりました」
翌朝、通行止めを解除した。
クルトが農家五軒に連絡した。農地への道が使えるようになる、と伝えた。
最初に来たのはトレット爺さんだった。荷馬車を引いてきた。道に入る前に少し止まった。路面を見た。今まで見たことのない道だ、という顔をしていた。
「入っていいか」
「どうぞ」
荷馬車が路面に入った。車輪が石の上を転がった。
音が違った。今までのぬかるみの中の鈍い音ではなく、石が石を叩く乾いた音だ。荷馬車の揺れが小さかった。馬が戸惑うように首を振った。
トレット爺さんが手綱を持ったまま前を向いていた。南の農地に向けてゆっくり進んだ。三十間を渡り切ったところで、爺さんが馬を止めた。折れ角のあたりで少しの間そのままでいた。それから振り返った。
「——なんだこれ」
静かな声だった。
「道路です」
「道路は知ってる。今まであそこを通ってきた。でも——」
「今までと何が違いますか」
「揺れなかった。ぬかるまなかった。馬が変な顔をしている」
「設計が変わりました。水が端に逃げるようになっています」
トレット爺さんがまた路面を見た。
「水が逃げる——」
言葉を繰り返した。理解しようとしているのか、驚いているのか、その両方なのか。
その日の午後に雨が来た。
昨日と違って小雨だった。しかし続いた。夕方まで降り続いた。
翌朝、シオが早くに来た。道の端に立って南を見ていた。
「ガルド様、来てください」
声に何かがあった。
ガルドは現場に行った。
農地への道を見た。
路面に泥がなかった。
夕方まで雨が続いたのに、路面に水が溜まっていなかった。石の表面に朝露が光っているが、泥がない。排水溝の中には水が流れた跡がある。昨日の雨の水が、溝を通って南に流れたのだ。
「……どろどろしていない」
シオが言った。
「そうだな」
「今まで、ちょっとでも雨が降ったら翌朝はどろどろでした。馬が足を取られて、荷が揺れて、農家のおじさんたちが毎朝ぼやいてた」
「知っている」
「それが——」
シオが路面に足を乗せた。踵で踏んだ。沈まない。泥もない。
「きれいです。雨が降ったのに」
(きれい、か。まあ、そういう感想になるか)
ガルドは路面を端から端まで見た。排水溝の出口から水の跡が続いていた。昨夜の雨水が、設計通りに流れたのだ。
(正しく動いた。それだけのことだ)
そこに農家たちが来始めた。
トレット爺さんが一番最初に来た。次に若い農家が荷馬車を引いてきた。その後ろからまた一人来た。
三人とも、道に入る前に路面を見た。昨日と同じ顔をした。昨日と違うのは、昨夜に雨が降ったことを知っているという点だ。
若い農家が路面に足を踏み入れた。
「——ぬかんない」
「当たり前だろ」
トレット爺さんが言った。
「でも昨日雨が降ったぞ」
「知ってる。俺も踏んだ。ぬかんない」
二人で路面を踏んでいた。踵を上げて、下ろして、また上げて。沈まないことを確認する動作だ。
三人目の農家が「どういう仕組みだ」と言った。
「水が端に流れるようになっています」
ガルドが答えた。
「水が端に流れる——」
「道の形が変わりました。真ん中が少し高くなっています。水がそこから両側に流れて、端の溝に入ります。溝が水を南に流します」
「前の道はそうなってなかったのか」
「平らでした」
「平らだと水が溜まるのか」
「行くところがないので」
農家が「なるほど」と言った。特に驚いたという顔ではなく、合点がいったという顔だった。
(理屈を聞けばわかる。誰でも理解できる。ただ、その発想が今まで誰にもなかった)
トレット爺さんが荷馬車を進めた。馬が石の音を立てながら南の農地に向かった。
残りの農家二人も後に続いた。
クルトが記録した。
クルトが手帳を読んだ。「農家からの反応——特記事項あり」の箇所で、少し手が止まった。技術記録の欄に入れるものではない。でもどこかに書く必要があると判断したらしく、書いた。
「通行開始後の状況——農家五軒中、三軒が初日に通行確認。路面の乾燥状態を確認、問題なし。農家からの反応——特記事項あり。「ぬかんない」という発言を複数名から確認。翌朝雨後の路面状況:水の滞留なし、排水溝への流入を確認」
「ありがとう」
クルトが手帳を閉じた。また開いた。
「一つ確認してもいいですか」
「どうぞ」
「この記録は、二区間目・三区間目の施工前に見せる予定ですか」
「そうだ。一区間の実績を数字で示してから、次の提案をする」
「コルダ親方にも見せますか」
「見せる」
(コルダは一区間の結果を待っている。数字で確認したがる人間だ。記録を持って話に行けば、数字で話ができる)
クルトが「了解です」と言った。
「——石工の二人はどうしましたか」
「今朝、コルダ親方のところに戻りました。完工の報告に行ったと言っていました」
「そうか」
(トトとルゴは仕事を終えたら帰った。当然だ。「一区間の仕事」として来ている)
「コルダ親方が来るとしたら——」
シオが言った。
「来る」
「いつですか」
「知らん」
シオが「そうですよね」と言った。
「でも来ると思います。トトさんが「認めたわけじゃないですが」って言ったから」
(また観察している。コルダの口癖が職人に移っていることまで見ている)
「来たら話す。それまでに次の区間の設計を進める」
ガルドは路面を一度踏んだ。石が硬い感触を返した。傾斜がある。排水溝が機能している。
(一区間が終わった。次がある。それだけのことだ)
その日の夕方に、遠くから人の足音がした。
複数の足音だった。
ガルドは測量の紐を片付けながら、その方向を見なかった。音だけで聞いていた。大人の足音が三つ。それとも四つ。石工の靴だ。鑿を腰に差した人間の動きがわかる。
(コルダが来た。職人を連れて)
シオが南の方向を見た。
「——あれ」
「何だ」
「来てます。コルダさん。後ろに——見たことない人が二人います。トトさんでもルゴさんでもない」
ガルドは測量紐を腰に差した。
(若い職人、か。コルダが連れてきた。一区間の結果を見せるためか、それとも——)
「クルト、記録の手帳を出してくれ」
「はい」
「さっきの施工後の数値も合わせて用意してくれ」
「了解です」
シオが「どういうことですか」と言った。
「わからん。来てから聞く」
コルダが路面に足を踏み入れた。後ろに若い職人が二人いた。二十代前半くらいだ。道具を持って、少し緊張した顔をしていた。一人が路面に足を置いた瞬間、靴底で石を確かめるように踏み直した。傾斜を感じているのだと思った。コルダは路面を踏んで、傾斜を確認するような歩き方をした。黙って端まで歩いた。排水溝を見た。戻ってきた。
「昨夜、雨が降ったな」
「はい」
「この路面——雨の後に見に来た」
ガルドは何も言わなかった。コルダが路面を踏んだ。靴底で石を確かめるような踏み方だった。
「ぬかんない」
「はい」
コルダが後ろを振り返った。連れてきた若い職人を見た。
「見たか」
若い職人の一人が「はい」と言った。もう一人が「……はい」と言った。二人とも路面を見ていた。
「見ているだけでは分からん」
コルダが言った。
「見ていろ。盗め」
若い職人たちが路面に目を落とした。
(コルダが職人を連れて来た。若い職人を。路面の完成を見せに来た。——「見ていろ、盗め」)
ガルドは何も言わなかった。クルトが手帳を開いて待っていた。シオが若い職人たちを横目で見ていた。
「話がある」
コルダがガルドに向いた。
「どうぞ」
「二区間目——次の話だ」
(来た。数字を持って来た)
「わかりました。記録の数値を用意してあります」
「見せろ」
「はい」
石が夕日を受けて、三十間ぶん並んでいた。




