女神(クソガキ)降臨
俺が放った矢は、マルコの示した場所へ次々と吸い込まれていった。
猛毒大蜂の羽音が乱れる。
巨体が空中でぐらつき、最後に大きく跳ねた。
そしてついに、猛毒大蜂は地面に落下した。
「マルコ! 見ろ! お前のおかげで……」
俺はマルコの方を振り返り、叫んだ。
「危ない!!」
次の瞬間、俺の体が横に吹っ飛んだ。
マルコに突き飛ばされたのだ。
直後、ぶん、と嫌な音がした。
最後の力を振り絞った猛毒大蜂が、毒針を飛ばしてきていた。
毒針は俺のすぐ横をかすめ、近くの木の幹に突き刺さる。
じゅう、と音がして、樹皮が黒く焦げた。
「マルコ! 大丈夫か!?」
「大丈夫です! ギリギリセーフです!」
「良かった。お前、こんな危ないことするな! もし当たってたら……」
「それはネモさんも同じでしょ?」
マルコは少しだけ笑った。
「これで、少しは恩返しできましたかね?」
今日はマルコに助けられっぱなしだ。
「勇者なのに情けない。でも……ありがとう。助かった」
「さあ、気を取り直して、白寿草を取ってレンちゃんのところに戻りましょう!」
俺たちは白寿草をできる限り袋に詰め、急いで森を走り出した。
とにかく急ぐ。
白寿草は手に入った。
あとは王都へ戻るだけだ。
「マルコ、遅いぞ! もう疲れたのか? これだからおぼっちゃんは……」
軽口を叩きながら振り返って、俺は言葉を止めた。
マルコの顔から、血の気が引いていた。
額には、尋常じゃない量の汗が浮かんでいる。
「おい! どうした! 大丈夫か!」
俺は慌ててマルコの腕を掴んだ。
袖がずれる。
そこには、紫色に変色した小さな傷があった。
「お前、まさかあの時、毒針に当たってたのか!」
「いやー、すいません。自分でも気づかなくて……すいません」
「そんなわけないだろ! 早く乗れ! 早く!」
俺はマルコに背中を向けた。
まだ間に合うはずだ。
急いで王都に戻れば医者もいる。
毒消しもある。
商会に行けば金も人手もある。
まだ間に合う。
「そんなことしたら、レンちゃんのお母さんが間に合わないかもしれないですよ。先に届けてから、商会の人間を寄越してください。私は大丈夫ですから」
「うるせー。バカが」
俺はマルコを担ぎ上げた。
重い。
くそ重い。
こいつ、いいもんばっか食ってやがるな。
「ネモさん……私は本当に」
「黙ってろ。喋るともっと重くなる」
「喋っても体重は変わりませんよ」
「気分の問題だ」
俺はマルコを担いだまま、歩き始めた。
走りたかった。
でも、足元が悪すぎる。
転べば終わりだ。
白寿草の入った袋を抱え、マルコを背負い、俺は森の中を進む。
早く。
もっと早く。
そう思っていた時だった。
「……くそっ、なんでこんな時に」
しばらく歩いて、俺は行きとは違う風景に気づいた。
道がない。
さっきまであったはずの木の根も、倒木も、泥道も消えている。
代わりに、目の前には白い石畳が続いていた。
その先に、古びた天秤がある。
こんな時に限って、幻想の森の特殊イベントが発生しやがった。
女神の天秤。
超低確率でランダム発生するイベント。
差し出したアイテムによって、ユニークアイテムやスキル、能力アップなどの恩恵を得ることができる。
こんな時じゃなければ、泣いて喜ぶレベルの奇跡だ。
「おい、女神! 今は急いでるんだ! 何もいらないからここから出してくれ!」
「なにあんた。まだ何も説明してないんだけど?」
天秤の向こうに、少女が現れた。
金髪。
白い服。
綺麗な顔。
そして、ものすごく生意気そうな目。
うーわ。
これが女神か。
全然タイプじゃないわ。
「あんた今、失礼なこと思ったでしょ?」
「あー、分かった分かった。申し訳ない。とにかく急いでるんだ。仲間の命がかかってる。俺は今、何もいらない。だからここから出してくれ」
「ふーん。何もいらないのね」
女神は、俺の背中のマルコを見た。
「その子、猛毒にかかってるのね? 助けてあげてもいいけど?」
「本当か!!」
俺は思わず身を乗り出した。
「それなら頼む! なんでも渡す! 助けてやってくれ!」
女神は、にやっと笑った。
「じゃあ、その袋に入ってる白寿草、全部ちょうだい?」
「それだけはできない」
即答だった。
マルコを助けたい。
でも、この白寿草を渡せば、レンのお母さんが助からないかもしれない。
それはできない。
「なんでもと言ったのは俺が悪かった。すまない。これだけはどうしても渡せないんだ」
「知ってる。分かって言ってるのよ? ネモくん」
「名前まで知ってるのか。それならもういいだろ。これは渡せないし、時間がない。からかってるだけなら、もうやめてくれ」
「ネモくん。なんでも渡すって言ったよね?」
女神は天秤に指を乗せた。
天秤が、かたりと揺れる。
「じゃあ……ちょうだい」
金色の目が、まっすぐ俺を見た。
「あなたの人生」
息が止まった。
「もちろん、全部なんて言わないわ。あなたの人生の一部を」
人生の一部。
曖昧な言い方しやがって。
何を取られるのか分からないのは正直怖い。
でも、マルコの呼吸は浅くなっていた。
腕の紫色も、少しずつ広がっている。
寿命か?
記憶か?
能力か?
なんにせよ、迷っている時間はない。
「構わない。もらってくれ。それでこいつが助かるなら。早く」
「ふふ、契約成立」
女神が指を鳴らした。
その瞬間、マルコの腕に広がっていた紫色の染みが、嘘みたいに薄れていく。
「……あれ?」
マルコがゆっくり瞬きをした。
「体が、軽いです」
「よっしゃーー!! ありがとう女神! あとマルコ、お前ちょっと重いわ」
「ちょっ、助かった直後に言うことですか!?」
「言う。こっちはお前を担いで死ぬほど歩いたんだぞ。とにかく行くぞ! 王都の、えーと……どこだ?」
王都の、どこだっけ。
いや、違う。
戻る場所は分かる。
貧民街だ。
でも。
あれ?
この後、王都で何が起きるんだっけ。
勇者になる少年は、この後、誰と出会うんだっけ。
なんだ。
なんか変だ。
気持ち悪い。
でも、今は関係ない。
とにかくレンのお母さんだ。
「ネモさん、貧民街ですよ! 毒に頭やられたんですか!」
「うるせー! お前のせいで混乱したんだ! とにかく行くぞ!」
俺たちは貧民街を目指して、森を走り出した。
「だから言ったじゃない。ネモくん」
誰もいなくなった森に、女神の声だけが残る。
「あなたの人生をちょうだいって」
くすくすと、楽しそうな笑い声が響いた。
「前世も、あなたの人生でしょ?」




