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隔ての世界  作者: 貴志一樹


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5

 村人の視線が一斉に降り注いだ。数十人の人から一斉に見られるのは居心地が悪く、逃げるように視線を床へと逸らす。人に見られるのは、心の中まで見透かされるようで、なんとなく気分が悪い。

 1345の思いがけぬ言葉に、長は何かしゃべろうと口を開くも、なんと言ったらいいのかわからないのか、なかなか言葉が出てこない。長が話すまでの数秒間は、少年にとっては永遠に等しかった。

 早くなんとか言ってくれ。


「・・・・・・崖の下へ、行きたいのか?」


 困惑を隠すこともせず、言葉を詰まらせながら言う様子の言葉に、1345は力強く頷いた。


「その理由を聞かせてくれないか? 今まで、名乗り出るものなんていなかったから、どうして行きたいのか聞いてみたいんだ」


 長の言葉に幾人かの村人たちが小さく頷いた。


「理由は、ただ一つです。崖の下の世界が見てみたいからです」

「なんで、崖の下へ行きたいんだい?」


 村人たちは、この成人手前の少年が、幼い頃から崖の下へ憧れていることは知っていた。まだ舌足らずな頃から、ある日を境にコウテン崖へと通い詰める様子を見守っていたのだ。けれど、1345が、本当に崖の下へ行きたがっていると理解していた者は、この中にいる村人の半数もいなかった。そのため、一部では小声で隣の者と話し出す者までおり、部屋の中がざわめいた。


「崖の下は、この村と違って、沢山の色に溢れているんです。この村で見られる景色なんてのは、一年通してほとんど一緒。俺は、このままずっとこの景色だけ見続けるなんて耐えられない。同じことを繰り返す日々に、生きている実感が得られないんです」


 老婆に話した言葉を、より丁寧に説明する。気づけば熱が入り、早口になったが、長は一つ一つ理解するように頷く。少年が話し終えると、額に手を当てて、少し考え込んだあと、ゆっくりと目を開けた。

 外れていた視線が再び交わる。1345と同じ赤色の目。その目は歳で少し濁っているも、自然のものとは思えぬ美しさがある。長の目は村の誰よりも美しい赤色をしている。しかし、美しさには棘もある。

 ぞくっと、肌が粟立つ。皆から見られるのとは違う。もっと、心の随に触れるような気持ち悪さ。

 部屋は寒いにもかかわらず、背筋に脂汗がにじむ。


「本当にそれだけなのかい」


 優しい口調。平静時と同じ語り口ではあるが、何かが違うと体中が感じる。

 心が見透かされているのだ。

 長は気づいているのだ。崖の下に行きたい理由が好奇心だけではないことを。ある人の後ろ姿をそこに重ねていることを。

 この村には崖の下に興味を持つのと同じように、あまり好まれない話題があった。


「ち・・・・・・」


 言いかけた言葉に老婆は大きく目を見開いた。その表情からは狼狽した様子が手に取るようにわかった。老婆は、手で少年の裾を掴み、それ以上話すなと言いたげに、引っ張った。けれど、少年は気づかなかったように言葉を続けた。


「父の見た景色を見たいです」


 村人たちはより一層ざわめき、長は眉をひそめた。

 父の話題を避けるのは暗黙の了解であった。

 1345の父は崖の下で死んだ。木々を取りに行った際に、足を滑らせて死んだのだ。

 その頃の少年は、まだ死というものを認識するのには、あまりにも幼かった。ただ、崖の下へと降りた父が、ずっと帰ってこなくて寂しい、それだけだった。

 母は少年を産んだ際に亡くなっていた。ずっと老婆と父と三人で暮らしていた中、父までいなくなってしまった。老婆が気にかけてくれてはいても、寂しさを拭うことはできず、村人にいつ会えるのか訊ねては、泣いていた。その時の村人たちは、なんとも言いがたい難しい顔は、幼いながらに不思議に感じた。


「きっと1330の最後の場所に行きたいのだろうが、彼は転落死したんだ。どこで亡くなったかまではわからないよ。それに、1330が死んだんだ。それ程の危険が伴うことは分かっているのに、なぜ行きたいんだい?」


 長の言葉に1345は頷く。


「危険なことは分かっています。けれど、俺は父がまだこの村に帰れていないのではないかって思うんです」


 老婆は「もうやめなさい」と、声を裏返しながら懇願するように1345を見上げる。しかし、会話に熱が入り始めた少年だけではなく、長の耳にすらも届かない。


「どうしてだい?」

「父は()()(きょう)を聞いていないじゃないですか」


 老婆は目も当てられない、と力なく俯く。

 この村では、村人が死ぬと、長はピモとして葬儀を行う。この葬儀は二晩通して行われる。その間、ピモは()()(きょう)と呼ばれる歌を歌い続けるのだ。指路経は先祖代々ピモだけが口伝で残してきた、死者をご先祖様の元へと導く祈りの歌。けれど、父の葬儀では歌われていないかった。

 父は、まだ崖の下で誰かが迎えに来るのを待っている。


「俺には指路経を歌えません。だけど、せめて俺自身で迎えに行ってあげたいんです」


 元々崖の下には興味があった。月日を経て父の死を理解すると、より一層思い入れのある場所になっていた。コウテン崖から見下ろすと、そこには父がいて、寄り添ってくれているような気がしたからだ。


「長、お願いします。俺を行かせてください」


 握りしめた拳は熱を持ち、汗が滲んでいた。

 長は天井を見つめながら、小さく唸る。どうしたものかと悩んでいるのだ。その様子を周囲の者たちは固唾をのんで見守る。誰もが、気づけば食べることをやめて、この話の行く末を見守っていた。

 しばらく思案した後、長は少年に尋ねた。


「まだ、大人になっていないことは?」


 長の言葉に少年は返事をしつつ、意外だと心の中で呟いた。父の話題をしたにも関わらず、長が少年を崖の下に行くことに同意したことが窺えたからだ。


「一ヶ月もせずに断髪をします。それでもだめですか? まだ断髪をしていないだけで、もう大人とは何ら変わらないはずです」

「では、1345を連れていく利点はなんだい? それくらいの理由も用意しているんだろう」

「はい。俺なら、皆よりも日中目が利きます。夜崖の下にたどり着くために、昼から降りるって聞きました。なら、俺がいれば、安全な場所を探したり、周囲に気を配ったりすることもできます」


 当初とは異なり、段々と自信に満ちあふれていく態度は、崖の下へ行くという切符を手にしたことを既に確信している様子だった。


「崖の下は1345が思っているような美しい場所ではない。下手したら死ぬ。わかっているのか?」

「何も知らずに死ぬくらいなら、知って死んだほうがいい」


 これは本心だ。虚しく空中で絵を描き続けているのなんてまっぴらごめんである。


「次回ではだめなのか?」

「そばとトウモロコシしかまともに育たない土地で、次なんて期待できますか。いつ、食糧不足で死ぬかもわからない。これまでも何度も危なかったじゃないですか」


 少年の言葉に長は一つ頷くと、立ち上がり、村人たちを見回した。


「1345が崖の下へ行くことに異論のあるものはあるか?」


 誰も何も口を開かない。皆、めいめいに思うことがあるのは間違いない。大半の者は少年の父の話が話題に上がったことで、気を害していた。けれど、言葉にしなければそれは意味をなさない。そもそも、長が決めたことに反論できるものなどいようか。それ程、長の決定権は絶対だ。

 異論がないことを確認すると、長はもう一度小さく頷き言う。


「一人は1345に行かせる。他に行きたい者がいなければくじを行う」

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