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隔ての世界  作者: 貴志一樹


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 ごろごろと大きな石が路先を埋め尽くし、足下を狂わせる。すぐ横には絶壁が、もう片方には空が広がっていた。横幅は人が二人横並びに歩くのには少し狭いくらいであろうか。

 1345とくじで選ばれた1332は、日の出とともに崖を下り始めた。既に太陽は天頂あたりまで昇っており、日差しは本格的に強くなっていた。


「まったく。これで木々の管理人は引退できると思っていたのに。なんでまた、崖の下へ行かなきゃなんねーんだ」


 1332はこの前の夕食の際に木々がないと発言していた男性で、他でもない前回の下山者でもある。当分はこの重大任務をやることがないと思っていたにも関わらず、連続で当たりくじを引いてしまった幸運者だ。


「まあまあ。経験者がいる分、安心感があるよ」

「俺本当に行きたくねーんだ。一人で行ってきて欲しいくらいだ。ただでさえ行きたくないのに、なんでこんな時に限って太陽さんはこんなにも元気なんだ」


 ここら一週間ほどは曇りの日が多く、比較的日中も活動しやすかったが、1332の言うように、雲一つない晴れ間である。1345でさえ少し目に負担を感じているのだから、1332とっては尚更辛いに違いない。頭に巻いた布をさらに深く巻きつけると、全身素肌の覗くところはなく、正面から見れば赤い目だけがかろうじて見える程度であろう。さすがに中々見ない怪しさ満点の姿に1345は声を出して笑う。


「呑気に笑ってるけど、お前も目大事にしておけよ」


 笑い声が後ろから聞こえてきたのか、1332は呆れた様子で言う。


「なんで?」

「当たり前だろう。あと数時間もすれば崖の下に到達するんだ。崖の下には危険が沢山あるんだから、目はいつでも使えるようにしとけ」


 1332の言葉に心がもやもやとした行き場のない感情を覚えた。また崖の下は危険。一体大人たちは何にそんなに怯えているのだろうか。


「みんなそうやって危険だって言うけど、この下には何があるの?」


 1345は訊ねた。皆がはぐらかして答えるいつもの質問。聞く意味などないと分かってはいても、言わずには言われない。どうせ今回も適当に返事が返ってくるのだろうと想像していたが、それは外れた。

 先を歩いていた1332は立ち止まって振り返り、崖の下を指さした。


「行けば分かる。なあ1345、約束しろ。絶対下で何を見ても、関わってはいけない」


 これまでにない真剣な物言いに、1345は思わずおじけづき、掠れた声で「なんで」と訊ねた。


「お前は俺たちと違って、好奇心が豊かだ。だから誰よりもこの下に興味を持っていることもちゃんと分かってる。けど、この下は本当に危険なんだ。お前の好奇心が、お前だけじゃなくて、村の皆に危険を晒す可能性があるんだ」

「好奇心が・・・・・・皆を危険に晒す?」


 想像だにしていなかった内容に、思わず1345は言葉を繰り返した。

 好奇心がなぜ危険を呼ぶのだろうか。そもそも、危険ってなんだ? なんで俺だけではなく、村の皆も?

 頭の中は一瞬でいくつもの疑問に溢れるが、どれも声にならなかった。

 1332は幼少期の頃からとりわけ面倒を見てもらっており、実の兄のような存在であった。けれど、兄がこれ程までに真剣に何かを語りかけてきたのはこれが初めてだ。そのためか、今までに感じたことのない不安が広がる。


「そうだ。俺はお前も村の皆も、そして俺自身が大事なんだ。だから、何を見ても絶対に俺から離れるなよ。分かったな」


 有無を言わせぬ雰囲気に気圧されたように頷く。これ以上何も言ってはいけないということだけは、明確に理解できた。

 1345は1332が再び歩き出した後ろ姿を見たあと、もう一度崖の下を眺めた。村からかなり下り、既に半分くらいは降りたであろうか。ほとんどの雲は頭上に見えるほど降りても、それでもまだ地面は遠い。

 先ほどまで羽が生えたように軽かった足取りが、急に重くなったような気がした。底見えぬ不安が足下から伝い、体を上ってくる。地面がまるで体に纏わりついているようだ。

なぜか老婆の言葉が蘇った。


『好奇心は素晴らしいけど、その好奇心が刃物に変わる可能性があるなら、知らなくていいね』


 婆ちゃん、それほどまでに眼下に広がるこの景色は危険なの? 浮かんでは消える不安をかき消すように、少年は頭を横に振った。

 消えろ、消えろ。こんな考えても仕方のないこと、どこかへ消えてしまえ。

 思考を逸らすように両手で頬を叩くと、既に大分小さくなった1332の後ろを追い足早に歩き始めた。

 少し歩くと、段々と道幅が広がっていく。村ではシャクナゲのような小低木の木しか見られないが、少しずつ木の高さが高くなり、全体的に大きくなっていくのがわかった。少しずつ石よりも土が広がり初め、草花も増えていく。花を避けようと歩くも、どこもかしこも色とりどりに咲いており、すぐに諦めた。


「どうだ。村とは大分違うだろう」

「ああ、全然違う! 見たことのないものだらけだ!」


 興奮を隠し切れない様子で、常に周囲を見回し歩く。


「下だけじゃなくて上も見てみろ」


 そう言われて上を見上げると、真っ青な空が広がっている。先ほどまで薄く広がっていた雲も、気づけば遠くへと流れ散っていた。


「何か違うの?」


 これといった違いが分からず訊ねると、1332は「まだまだだな」と笑いながら言葉を続けた。


「よく見てみろ。いつもと空の色が違うように見えないか?」


 そう言われてもう一度頭上を見ると、確かに少しだけ色が違うような気がする。


「うーん、少しだけ薄い青色に見える気がする」


 1332は腕を目元にやり、視界を狭めながら空を見上げながら「そうだろ」と笑う。

 景色も違うが、なんとなく体が重くなったように感じる。耳も心なしか違和感があり、耳の奥を刺すような痛みがある。耳を叩いていると、横から「鼻をつまんで唾を飲み込むんだ」と声がする。言われたとおりにやると、それまで靄がかかったように曖昧だった音が、急に鮮明に聞こえだす。これを耳抜きというらしい。高度が変わると空気が薄くなったり濃くなったりして、こういったことが起こるのだ。

 さらにしばらく歩くと、二股の道が現れる。1332は立ち止まり少年に訊ねた。


「指路経は覚えてるか?」


 思いがけない質問に、言葉に詰まりながら頷いた。


「大体は」

「少し歌ってみろ」


 1332の言わんとすることが理解できず眉をひそめた。困惑を隠しきることはできなかったが、ピモの語りかける歌い方を思い出しながら、歌詞を口ずさむ


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