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ヤギに餌をやり終える頃には日が沈み、寒い夜がやってきた。ヤギの毛でできた布を羽織り、白い息を手にかけ擦る。手のひらを返すと、甲が赤くなっていることに気づく。
標高の高いこの村では日照時間はあまり長くはない。しかし、日差しにあまり強くない肌は、すぐに水疱ができ、目も痛む。他の村人よりも日差しに強い1345でさえ、肌の露出していた面は真っ赤に日焼けし、視界もチカチカと眩んでいた。
「少し外を見すぎたな。当分、目が使い物にならなさそうだ」
1345は寝転びながら手で目頭を押さえ呟いた。
目はずきずきとして重い。あまり明るくない部屋にもかかわらず、まるで日中のように眩しい。眉間にしわが寄る。まるで日の光に当てられているようだ。
けれど、少年の心は遠くにあった。壁越しに聞こえてくる、夕ご飯を楽しそうに作る女性たちの笑い声も、外で暴れる風の音も聞こえない。聞こえるのは、新緑のざわめきと、川が流れ、そばを歩く獣の鳴き声。そして、瞼に移るのはその様子だ。
1345は天井へと腕を伸ばした。一本指を立てると、まるで景色をなぞるように空中で手を動かし始めた。
木はどんな風に生えているのだろうか。木はシャクナゲしか見たことがない。けれど、村に蓄えられた枝の太さは、シャクナゲのそれとは比較にならないほど太い。
これまでの経験から、全体が大きければ枝も太くなるのはなんとなくわかっていた。それならば、きっと崖の下に生える木は相当な大きさに違いない。身長と同じくらいか、もしかしたらそれよりももっと大きい。
腕をいっぱいに動かし、大きなシャクナゲを描いた。
木を描き終えると、次は大きくくねらせたなだらかな線を無数に描く。川だ。
村の水は、コウテン崖から少し行ったところにある滝からとっていた。そのため、滝の荒々しさは想像できるが、落下することのない川がどのように流れているのかは想像がつかない。
滝のように激しく音をたて、水しぶきを上げているのだろうか。上から見る川は、まるで止まっているかのように穏やかに見える。
獣はヤギや羊、鶏以外にも何かいるのだろうか。村でよく見かける動物といったら、大半は村で飼っている生き物だ。たまに鳥がやってくるが、頻度は多くないため、迷子の旅人と村では呼んでいた。鶏肉ですら貴重なのだから、獣肉は滅多に食べられない。
崖の下には沢山動物がいたらいい。そうすればきっと食べ物には困らないから。
終わりを知らぬかのように次々と描いた手は、急に壁に当たったように止まった。
下の世界への興味は尽きない。けれど、見たことのないものを想像するのは限界がある。描けるものはいつも同じで、急に何もわからなくなってしまうのだ。
だから、実際に見てみたいんだ、と心の中で呟く。毎日が同じことの繰り返しのこの村で、想像する以上の楽しみはきっとない。
「世界を見たい。想像して……、想像できなくなって虚しさを覚えるのは嫌だ」
瞼がほんの少しだけ震え、痛んだ目の奥が熱を持った。
夕方の老婆の言葉が甦り、宙に浮いた手をぎゅっと強く握りしめた。
勢い任せに老婆に言った自分の言葉が、自分自身を勇気づける。諦める必要はない。
「こんな大事な機会を棒に振るわけにはいかない」
1345は手で目をこすり、起き上がった。
機会を見計らったように、夕ご飯のにおいが微かに漂ってきた。忘れていた空腹を急に思い出したかのように、腹の虫が鳴く。
ほどなくして、「ご飯だよー。いらっしゃい」と声がする。
両手で頬を叩き、夕食の会話への期待に満ちた声で大きく返事をし駆けだした。




