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隔ての世界  作者: 貴志一樹


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2

 ヤギに餌をやり終える頃には日が沈み、寒い夜がやってきた。標高の高いこの村では日照時間はあまり長くはない。しかし、日差しにあまり強くない肌は、すぐに水疱ができ、目も痛む。他の村人よりも日差しに強い1345でさえ、肌の露出していた面は真っ赤に日焼けし、視界もチカチカと眩んでいた。

 

「少し外を見すぎたな。当分、目が使い物にならなさそうだ」


 1345は手で目頭を押さえながら呟いた。

 目を閉じるが、あまり明るくない部屋にもかかわらず、光が照らしているかのように眩しい。まるで日中のようだ。だが、瞼の裏には新緑が騒めき、川が流れ、獣が歩く様子が同時に映し出されていた。

 1345は上へと腕を伸ばす。一本指を立てると、空中で絵を描き始めた。

 木を下からみたら一体どんな風に見えるのだろうか。あの緑色の葉は枝にどうやってとりついているのだろうか。枝の一端は地面に突き刺さり、もう一端には葉が無数に生えてる様子を宙に描いた。上から見る木はただの緑色の塊でしかない。あの葉の下に、あんな細い枝がとりついているとはまるで信じられないが、木というのは小さくて低いのだろう。

 木を描き終えると、次は大きくくねらせたなだらかな線を無数に描く。川だ。あの緩やかに流れる川はどのような音がするのだろうか。滝は間近で見ることはあるが、川はない。滝のように激しく音をたて、水しぶきを上げているのだろうか。近くに寄ったら、きっと服が濡れて寒そうだ。線の横に、小さな棒を描き、飛沫を付け足した。

 獣はヤギや羊、鶏以外にも何かいるのだろうか。村でよく見かける動物たちを思い出す。あの騒がしい動物たち以外にも動物がいるのなら、それはどんな姿をして、どれくらいの大きさで、なんと鳴くのだろう。

 指は終わりを知らぬかのように次々と空中に崖の下を創造した。しかし、急に指が壁に当たったように動きをぱたりと止める。

 下の世界への興味は尽きない。けれど、見たことのないものを想像するのは限界がある。いつも、描けるものは同じで、急に何もわからなくなってしまう。だから、実際に見てみたいんだ、と心の中で呟く。毎日が同じことの繰り返しのこの村で、知ること以上の楽しみはきっとない。


「世界を見たい。想像して……、想像できなくなって虚しさを覚えるのは嫌だ」


 瞼がほんの少しだけ震え、痛んだ目の奥が熱を持った。

 先ほどの老婆の言葉が甦り、宙に浮いた手をぎゅっと強く握りしめた。

 勢い任せに老婆に言った自分の言葉が、今度ははっきりと決心させた。あきらめる必要はない。


「こんな大事な機会を棒に振るわけにはいかない」

 

 1345は、手で目をこすり、起き上がった。

 機会を見計らったように、遠くからは夕ご飯のにおいが微かに漂ってきた。忘れていた空腹を急に思い出したかのように、腹の虫が鳴く。

 ほどなくして、「ご飯だよー。いらっしゃい」と声が聞こえてきた。

 両手で頬を叩き、夕食の会話への期待に満ちた声で大きく返事をし駆けだした。

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