第3話 聖女様は商売上手
翌日の午後、俺は講義を午前で切り上げ、王都の商業区へ向かっていた。
銀貨通り。
石畳の道に商店が立ち並ぶ、王都経済の中心だ。平日だというのに人波が途切れない。
祖王アウレリウス一世が統一硬貨である光貨法を制定して以来、この界隈は急速に発展したらしい。
肉屋、パン屋、雑貨屋、武具屋。活気のある呼び込みの声が四方から飛んでくる。
もっとも、この繁栄も魔王の侵攻が来れば崩壊する。
ゲームの中盤、銀貨通りは魔物の襲撃で壊滅的な被害を受けるイベントがあった。
今こうして賑やかに商売している人たちの顔を見ると、胸の奥がきゅっと締まる。
――考えるな。今はまだ、考えても仕方がない。
「ディラン様、あまり商業区を自由に歩き回られるのは感心しませんが」
隣を歩くマルタが苦言を呈する。
オスカーにも言われたが、侯爵家一家としてこのような場所を自由に歩き回るのはよろしくないらしい。
「分かってる。でもどうしても確認したいことがあるんだ」
「確認したいこと、ですか?」
「ああ……あった」
通りの一角に、目当ての建物がある。
『アリシア商会』
看板は確かにオスカーの言った通り。だが、その規模は予想を大きく裏切った。
「随分と……立派ですね」
マルタが呟いた。俺も同感だ。
三階建ての石造りで、一階部分は全面がショーウィンドウ。色とりどりの商品が美しく陳列されている。
十五歳の少女が一年足らずで作り上げたとは、とても思えない。
「ディラン様、本当にこちらへ?」
「ああ、社会勉強だ。俺はかなりの世間知らずらしいからな」
「まあ、それは否定できませんが」
マルタのお世辞の欠片もない返事に苦笑しながら、俺は扉を押し開けた。
「いらっしゃいませ~♪」
明るい声と共に、甘い香りが漂ってくる。
ラベンダーと何かの薬草を合わせたような、清らかさを演出する香り。嗅覚から印象を操作するあたり、店の設計思想が行き届いている。
前世のアロマショップに通じるものがあった。
店内を見回すと、棚に商品が整然と並んでいる。
『聖女様御用達 癒しのポーション』
『神聖なる加護のお守り』
『心を清める香草セット』
どれも「聖女」「神聖」「清める」といった宗教的な語句が目立つ。
前世の感覚が残ってるからなのか、正直なところ、微妙に胡散臭い。
だが、「聖女」という肩書きが本物である以上、まったくの嘘というわけでもないのだろう。
実際、繁盛しているようで店内は客で賑わっていた。
貴族令嬢から商人の妻まで、年齢も身分も幅広い。しかも女性比率が圧倒的に高い。
場違い感がすごい。制服姿の男子学生がウロウロしているのは、どう見ても不審者だ。
「ディラン様、何か欲しいものが?」
「……マルタは何か気になるものはあるか?」
「私ですか?」
マルタは少し考え、棚から一つの商品を手に取った。
「この『疲労回復の薬草茶』は興味深いですね。通常の薬草茶の三倍の効果があると書いてありますが」
値札を見ると、予想に反して良心的な値段だった。
一般的な薬草茶とほとんど変わらない。効果が本物なら破格の値付けだ。
しかもパッケージには薬草の種類、配合比率、さらには「聖女アリシア様による祝福の工程」まで丁寧に記載されている。
この情報開示の誠実さは好感が持てた。
「記念に買っていくか」
俺は薬草茶と、ふと目についた『幸運の鈴』なるお守りを手に取る。
流石に胡散臭いか? いや、この世界はゲームを基にしている。幸運値なんて隠しパラメータがあっても不思議じゃない。
そうして物色していると、店の奥から聞き覚えのある声が届いた。
「十二個で銀貨三枚。まとめ買いの場合は――」
身体が強張る。
この声。ゲームの中で何度も聞いた、あの声だ。
恐る恐る視線を向けると、カウンターの奥に一人の少女がいた。
金色の髪を後ろで束ね、白磁のような肌。聖職者の法衣ではなく、清潔なブラウスにエプロン姿の彼女が、商人相手に値段交渉をしている。
「三枚は高いですね。二枚と銀貨八枚でどうでしょう?」
「うーん、それだと利益が……」
「では二枚半で手を打ちましょう。その代わり、次回からのお取引もお約束いただければ」
聖女アリシア・ハートウィル。
原作の中では白い法衣に身を包み、慈愛に満ちた微笑みで仲間を癒す存在だった。
その聖女が、値段交渉に活き活きとしている。
(……思ったより、ショックが大きい)
分かっていたはずだ。オスカーの話で覚悟もしていた。
それでも目の当たりにすると、胸がざわつく。
「ディラン様?」
マルタが心配そうに覗き込む。よほど俺の顔は複雑だったらしい。
「いや、なんでもない」
俺は首を振った。
だが、どうしてもアリシアのほうに目がいってしまう。
「はい、ありがとうございました♪ またのお越しをお待ちしております!」
交渉を終えたアリシアが、満面の笑みで商人を見送った。
その笑顔には確かに聖女らしい清らかさがある。だが同時に、商売人としての手応えを噛みしめている目でもあった。
「あの方は……」
俺の視線に気づいたのか、マルタが呟く。
「――ディラン様、とても言い難いのですが、諦めた方が宜しいかと」
「……何が」
「いくらディラン様でも、商人との婚姻はご当主様のご反対に——」
「彼女は聖女様だ。身分で言えば俺の方が下……って、そうじゃない」
マルタの目が丸くなる。
「え? あの方が聖女様なのですか?」
「間違いない」
マルタは改めてアリシアのほうを見つめ、しばし唖然としていた。
「確かにお美しい方ですが……なんというか、思っていたのと違いますね」
俺の気持ちを完璧に代弁してくれた。ありがとうマルタ。
――と、店内の空気が変わった。
「"聖女様御用達"の品だとか。これ全部で銀貨二十枚で買い取ってやる。支払いは名家フィリベール家の印章入りの銀貨だ。名誉に思え」
カウンター前。上等な外套の男が、鼻で笑っていた。
肩章の刺繍、金ボタン、後ろに控える従者の数。一目で貴族と分かる出で立ちだ。
というより、物語に出てくる悪役貴族の典型的な姿。俺本来の姿とも言えるだろう。
アリシアはまだ別の商談中で、対応しているのは若い店員。明らかに困っている。
「ありがたいお話です。ただ、その価格では弊店は赤字になりまして……」
「赤字? 民を救うのが"聖女"だろう? 信心が足りん」
貴族が従者に目配せすると、従者が持参した椀秤を取り出し、銀貨を流し入れた。
指針がぴたりと真ん中で止まる。
――ぴたり、と。
(あの止まり方……不自然だな)
普通、秤の針というのは振れてから収束するものだ。
一発で止まるということは、秤自体に細工がある可能性がある。
「あれ、どう思う?」
小声でマルタに尋ねる。
「……違和感がありますね」
やはり彼女も気づいていた。
店員が店備え付けの秤を持ち出した。こちらに銀貨を載せると、今度は針が自然に揺れて静止する。
だが、数値が合わない。明らかに少ない。
貴族は肩をすくめた。
「どうやらそちらの秤が故障しているようだな。ではこれでどうかね?」
銀貨を一枚つまみ上げ、カウンターに弾く。乾いた「カン」という音——に聞かせたいのだろうが、どこか、くぐもっている。
その時、貴族の視線がこちらに向いた。
「おい、そこの坊ちゃん」
嫌な予感が背筋を駆け上がる。
俺の制服を見ているのだ。ルミナス学院の制服は、学生の身分によって装飾が異なる。
もちろん俺が着ている制服も侯爵家に相応しいものとして用意された代物だ。
「見たところ、お前も貴族だな。この店、随分と客が多いじゃないか。お前もここの常連か?」
周囲の視線が一斉に俺に集まった。
(なんで俺に話を振るんだよ……)
悪役貴族の宿命か、そこはかとなく面倒ごとの臭いがした。




