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原作破壊のその先へ~悪役貴族が破滅回避したら世界が詰みました~  作者: 根古


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第4話 降りかかる火の粉は払うべき

 貴族からの問いかけは、正直なところ面倒以外の何物でもなかった。

 だが、ここで変に逆らえば余計な騒ぎになる。


「いえ、初めて来ました」


 俺はできるだけ不快感を顔に出さないように答えた。


「そうか。なら教えてやろう。ここは平民の店だ。我々貴族が頭を下げて買い物をする場所ではない」


 貴族は得意げに胸を張った。

 いや、ここ聖女様の店なんだが。お前なんかよりよほど格上だと思うぞ。

 ——とは、当然言えない。


「特にこの『聖女様御用達』とやら。怪しいものだ。お前はどう思う?」


 ――知らねえよ。


「いえ、どうでしょうか……」


 当たり障りのない返答をしたつもりだったが、貴族の機嫌はさらに悪くなった。


「つまらん奴だな。まあいい」


 それだけ言って貴族はカウンターに向き直った。

 視線が外れるのを感じて、ようやく肩の力が抜ける。


 だが——周囲の視線は、まだ残っていた。


 店内の客たちが、こちらをちらちらと見ている。

 あの貴族に絡まれて何も言い返せなかった学生。そういう目だった。


 恥ずかしい。

 前世のコンビニバイト時代、酔っ払い客に怒鳴られて黙って頭を下げていたあの感覚が蘇る。

 あの時と何が違う? 身体も腕っぷしも前世とは比べ物にならないのに、中身は相変わらずの小心者だ。


 マルタの方を見ると、その表情には明らかに鬱憤が滲んでいた。

 だが彼女は従者だ。主人が黙っている以上、勝手に口を出すわけにはいかない。

 その歯がゆさが、余計に俺を惨めにさせた。


「……すまん、マルタ」


「何を謝られるのですか。ディラン様は何も間違っていません」


 マルタは静かに、しかしきっぱりとそう言った。

 その言葉がかえって胸に刺さる。間違っていないのは分かっている。ただ、情けないだけだ。


(……もういい。さっさと買い物を済ませて帰ろう)


 そう思った矢先だった。


「はっ、プライドもないときた。同じ貴族として恥ずかしいものだ」


 貴族が聞こえよがしに言い放つ。

 店員との交渉を続けながら、明らかにこちらを当てこすっている。


 ——聞こえている。全部聞こえている。

 だが、反論する理由がない。ここで喧嘩を買ったところで、何も得るものがない。

 オスカーの忠告が頭をよぎる。「余計なことはするべきじゃない」。正しい。正論だ。


 黙って帰るのが正解。

 分かっている。分かっているのに——。


(……あの銀貨の音)


 さっき貴族がカウンターに弾いた銀貨。あのくぐもった響きが、どうしても引っかかっている。

 本物の光貨の音ではなかった。


 領家が独自に鋳造した通貨を、光貨と同等として押し付けている。

 つまり——純度をごまかしている。


(いや、待て。それが本当だったとしても、俺が口を出す必要はない)


 店側が気づくべきことだ。こちらが出しゃばる意味がない。

 下手に関われば、あの貴族の怒りがこちらに向く。侯爵家の次男が商業区で揉め事を起こしたなんて話が広まれば、家にも迷惑がかかる。


 黙っていろ。

 見て見ぬふりをしろ。

 前世から得意じゃないか、そういうの。


 ——だが。


 店員の顔を見てしまった。

 若い女性だ。貴族の圧力に怯えながら、それでも必死に立場を守ろうとしている。

 声が微かに震えているのが分かる。


(あれは……前世のバイト仲間にいたな。こういう時に矢面に立たされて、泣きそうになりながら対応していた子)


 あの時も、俺は何もしなかった。

 レジの裏でうつむいて、嵐が通り過ぎるのを待っていた。


 そう思った瞬間、無意識に手が動いていた。

 ポケットの中の光貨に指を添え、親指の腹で弾く。


 ——カン。


 澄んだ、よく通る音。指の腹に伝わる振動が、本物の銀であると教えてくれる。


 さっきの貴族の銀貨とは明らかに響きが違った。

 つまり、やはり——。


 だが、力加減を間違えた。

 硬貨が指からすっぽ抜け、石の床で甲高く跳ねた。


「あ——」


(しまった……)


 静まり返った店内に、光貨の澄んだ音がこれでもかと響き渡る。

 さっきの貴族の銀貨のくぐもった音との差が、嫌というほど際立ってしまった。


 全員の視線が俺に突き刺さる。

 貴族の目が、ゆっくりとこちらに向いた。


「……何をしている?」


 声が低い。先ほどの見下すような調子ではない。

 明確な敵意だった。


 やってしまった。

 故意じゃない。本当に、ただ確認したかっただけだ。

 だが、あのタイミングで澄んだ音を鳴らしたことが何を意味するか、この場の全員が分かっている。


「失礼しました。私の不注意で——」


 マルタが音より速く、俺と貴族の間にすっと入った。

 頭を下げ、場を繕おうとする。


「従者風情が場を仕切るな」


 貴族の声が、店内に響いた。


「まったく下級貴族の従者は作法も知らんのか? 躾はどうなっている」


 マルタが微かに身を強張らせた。

 下級貴族。躾。

 俺の前で、俺の従者を——。


「申し訳ありません。私の不注意でした」


 俺は一歩前に出て、頭を下げた。

 主人の不始末は主人の責任だ。形式だけでも収めなければ。


「はっ、プライドもないときた。同じ貴族として恥ずかしいものだ」


 二度目だった。同じ台詞を、同じ嘲笑で。

 さっきは遠くで聞こえていた。今度は目の前で、面と向かって言われた。


 周囲の視線が痛い。

 マルタは顔を伏せている。怒りを殺している表情だった。

 彼女がどれだけ悔しい思いをしているか、分かっていないわけじゃない。


 俺は——。


 前世なら、ここで引き下がっていた。

 頭を下げて、嵐が過ぎるのを待って、店を出て、帰り道で一人で悔しがる。それが俺の人生だった。コンビニでも、大学でも、どこでも。


 だけど。

 今、隣にいるのはバイト仲間じゃない。

 俺のために剣を握ってくれた人間だ。


「……あの」


 俺は近くにいた店員に声をかけた。

 声がかすれていた気がするが、もう引けない。


「先ほどのお取引の件ですが、一つ確認していただきたいことがあります」


「な、なんでしょう?」


「さっきそちらの秤で量った時、重さが足りなかった。そしてあの方が銀貨をカウンターに弾いた時の音……光貨の音と、明らかに違っていました」


 俺はポケットから自分の光貨を取り出し、カウンターに軽く置いた。


「よければ、聞き比べてみてください」


 店員が恐る恐る光貨を指で弾く。澄んだ高音が響いた。

 次に、貴族の銀貨を弾く。——くぐもった、鈍い音。


 店内の空気が変わった。

 二つの音の差は、一度聞けば誰にでも分かるものだった。


「……それがどうした。音が違うのは鋳造元の違いだ。領家にはそれぞれの秤と鋳造法がある」


 貴族が苛立ちを隠さずに言い放つ。


「ですから——秤の差ではなく、貴金属そのものの確認をお願いしているのです」


 俺の声は震えていた。でも、言い切った。

 証明はできない。でも、これだけの疑いがあるなら、確認する理由は十分だ。


 店員の目が揺れた。

 俺が見せた「証拠」は、厳密には証拠ではない。音の違いも秤の差も、説明のしようはある。


 だが——その疑念は、彼女が踏み出すための一押しになったらしい。


「……少々、お待ちください」


 店員が奥の棚から何かを持ち出した。

 黒い、平たい石。掌に収まる大きさで、表面が滑らかに磨かれている。


(あれ……まさか試金石か?)


 前世の歴史の授業で聞いたことがある。金属の純度を調べるための道具。石の表面に金属を擦りつけ、残った痕の色で成分を見分ける。


「お客様のご指摘もございますので、念のため確認をさせていただきます。——こちら、商人組合から支給されております鑑定石でございます」


 店員の声は丁寧だが、もう震えてはいなかった。

 客から疑義が出た以上、確認するのは店の義務。その建前を手にした彼女は、はっきりと腹を括っていた。


「くだらん。そんな石切れで——」


「失礼いたします」


 店員は俺の光貨を黒い石の表面に擦りつけた。

 白く、明るい銀色の筋が残る。


 次に、貴族の銀貨を擦る。


 残った筋は——銀の線よりも、わずかに色が鈍い。


 店内が、息を呑んだ。


「こちらの通貨は、光貨と成分が異なる疑いがございます。このままのお取引は受けかねます」


 店員がはっきりと告げた。


「何を勝手な——」


「勝手ではございません」


 その時、奥からアリシアが歩み出た。

 微笑はそのまま、声だけが凛と通る。


「王都では光貨法が定められております。お支払いは王家刻印の光貨、もしくは会計所の鑑定印を受けた銀貨に限られます。王国に連なる貴族であれば、そのことはご存知かと思いますが?」


 貴族の顔が一瞬で強張った。

 従者を睨み、舌打ちを一つ。


「……覚えていろ」


 捨て台詞と共に、貴族は店を出ていった。従者たちも慌てて後を追う。


 静寂が戻り、小さな拍手がぱらぱらと起きて、すぐに収まった。


 店員が深く頭を下げる。


「助かりました……!」


 俺は何か気の利いたことを言おうとしたが、何も出てこなかった。

 代わりに深く息を吐いた。


 心臓がまだ暴れている。膝が笑っている。手も少し震えていた。

 格好つけて見せたが、内心ではずっと怖かった。

 前世から続く小心者の本質は、五年やそこらじゃ変わらない。


 横を見ると、マルタが俺を見ていた。

 何か言いたそうな、でも言葉にならないような、そんな顔だった。


 アリシアの視線がこちらに向く。

 柔らかな目元の奥に、測るような光が一瞬だけ宿った。

 きっとこの聖女は、一部始終を把握していたのだろう。


「この度はありがとうございました。私、店主のアリシア・ハートウィルと申します。もしよろしければ、お礼をさせていただきたいのですが」


 断る理由もなく、俺は頷いた。

 応接室に通され、ハーブティーが運ばれてくる。

 香りが穏やかで、まだ走っている心臓が少しだけ落ち着いた。


「改めまして、アリシア・ハートウィルです」


「ディラン・ベルモンドと申します」


 名乗った瞬間、アリシアの表情が僅かに動いた。


「ベルモンド——あのベルモンド侯爵家の方でしたか」


「ええ、まあ……次男ですが」


「しかし、それならお名前を最初から名乗られれば、あの方もすぐに引き下がったのではないでしょうか?」


 アリシアは不思議そうに首を傾げる。

 ごもっともな意見だった。

 そちらの方が穏便に済んだに決まっている。


「そうかもしれません。ただ……性分的に合わないというか」


 俺はそう告げた。

 ——実際は、その考えに思い至らなかっただけである。


「それは……珍しいですね」


 アリシアの目に興味深そうな色が浮かんだ。


「ええ、とても」


 彼女は微笑みを深めた。


「先ほどの方のように、家名や権威を振りかざす方が多い中で、ディラン様のように事実をもって静かに物事を解決される方には初めてお会いしました」


 その真っ直ぐな視線に、少し気圧される。

 こちらは単にバカにされて腹が立っただけで、出しゃばっただけ。

 彼女が期待するような高尚な理由などない。


「い、いえ、大したことでは……。ただ、ああいった手合いは見て見ぬふりができなくて」


 しどろもどろだ。恰好悪い。


「ご謙遜を。その知性と判断力、さすがはルミナス学院で学ばれている方ですね」


 結果的にそうなっただけだ。

 だが——誤解のままにしておいた方が良さそうなので、黙って受け取っておく。


「あの、少し伺っても良いですか。こちらの商会を始められた経緯を」


 俺は慎重に踏み込んだ。


「そうですね……」


 アリシアは天井を見上げ、少し間を置いた。


「聖女としての力だけでは、多くの人を助けることに限界があると気づいたのです」


「限界……」


「はい。例えば、病を癒すことはできても、その原因——貧困や栄養不足は癒せません。神に祈ることも大切ですが、現実的な解決策も必要だと思いました。この商会の利益は、困っている方々への支援に充てています」


 その言葉に、俺は黙った。


 祈りを捨てたのではなかった。

 祈りの形を変えたのだ。


 彼女は原作から外れたのではなく、原作よりも先に進んでいた。


「実は私も、今年からルミナス学院に通う予定だったのです。ただ、お店のほうが忙しくなってしまって」


「そうでしたか」


「学園生活への憧れがなかったわけではないのですが……いつか、落ち着いたら」


 少しだけ寂しそうな表情。

 ほんの一瞬だけ、商売上手の仮面の向こうに、十五歳の少女の顔が覗いた。


「もしよろしければ、また商会にお立ち寄りください。ディラン様のような方とは、これからもお話しできればと思います。もしくは私が入学した際に、でしょうか」


 そう言って微笑むアリシア。


「ぜひ、そうさせてください」


 俺は軽く微笑み返した。

 店を出ると、夕方の穏やかな日差しが銀貨通りを橙に染めていた。


「ディラン様、良かったですね」


 マルタが言った。隣を歩く彼女の口元が、わずかに緩んでいる。


「ああ……正直、驚いた」


 原作通りに祈っていてくれれば楽だったのに、とは——もう思えなかった。

 あの目を見てしまったら、そんなことは言えない。


「お若い方同士、すぐに打ち解けられるものですね」


「まあな」


「お美しい方でもありましたし」


「……そうだな」


 無難に返すが、マルタの微笑みに含みがある気がして落ち着かない。


 それはさておき。


 聖女アリシアは、想像していたよりもずっと強い人だった。

 原作から外れていても、いや——外れたからこそ、彼女は彼女自身の力で立っている。


 だが、それはつまり。

 聖女が「聖女としての力」を世界のために使う日は、来ないかもしれないということでもある。


 勇者は引きこもり。

 聖女は商人。

 賢者は婚活中で、悪役は——偽金を見破っただけ。


 世界を救う?

 そんな大層なことできるわけがない。


 だけど、今は——今のところは。

 一歩だけ、前に進んだ。そう思いたかった。


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