第3話 聖女様は商売上手
翌日の午後、俺は学院の講義を午前で切り上げ、王都の商業区『銀貨通り』に足を向けていた。
石畳の道に立ち並ぶ商店街は、平日だというのに大勢の人で賑わっている。
肉屋、パン屋、雑貨屋、武器屋……どの店も活気に満ち、商人たちの呼び込みの声が響いていた。
祖王アウレリウス一世による「光貨法」の制定から十余年。銀貨通りは王都経済の中心になった。
今や商人が貴族ほどの経済力を持つこともあるというのだから、貴族の身としては微妙な関係性だ。
尤も、その繁栄も魔王の侵攻によって、崩壊してしまうことになるのだが。
「……どうされましたか?」
従者として同行していたマルタがこちらを覗き込む。
「なんでもない」と俺は手を振り、歩く。
マルタは俺の家に仕える女性の従者で、真面目で有能な人物だ。
冒険者として活動をしていたらしく、剣の腕前もかなりのもの。俺としても度々稽古に付き合ってもらっている。
「ディラン様、あまり自由に商業区を歩き回るのは感心しませんが……」
マルタの良いところは、こうして俺に対して臆せずものを言ってくれることだ。
原作のディランであれば到底考えられない関係性。
ゲームに登場していた覚えはないため、本来だとディランの従者ではなかったのかもしれない。
「分かってる。でも今日はどうしても確認したいことがあるんだ」
そう言いながら、俺は辺りを見回した。
「確認したいこと、ですか?」
「ああ……あった」
俺の視線の先に、目当ての店があった。
『アリシア商会』
確かにオスカーの言った通りの看板だ。しかし……
「随分と……立派ですね」
マルタが呟いた通り、その店は予想以上に大きかった。
三階建ての石造りの建物で、一階部分は全面がショーウィンドウになっている。そこには色とりどりの商品が美しく陳列されていた。
「凄いな」
俺は店の前で立ち止まった。
確かに聖女の力を商業利用しているのは間違いないが、想像していたよりもずっと本格的だ。
「ディラン様、本当にこちらへ?」
マルタが怪訝な顔で尋ねる。
確かにここ数年、山に籠もっていたような男には似合わない場所だろう。
「あ、ああ、社会勉強ってやつだな。どうやら俺はかなりの世間知らずらしいし」
「まあそれは否定できませんが」
マルタの辛辣なコメントに思わず苦笑いしながら、俺は店の扉を押し開けた。
「いらっしゃいませ~♪」
明るい声と共に、店内に甘い香りが漂ってきた。ラベンダーと何かの薬草を混ぜたような、確かに「清らかさ」を演出する香りだ。
この完成度、現代社会においても十分通用するレベルではないだろうか。
感心しながら、しばらく店内を歩き回る。
『聖女様御用達 癒しのポーション』
『神聖なる加護のお守り』
『心を清める香草セット』
どれも「聖女」「神聖」「清める」といった宗教的な単語がついている。
こればかりは怪しさ満点だが、聖女という肩書きが本物である以上、詐欺というわけでもないのだろう。
それにしても、店内の客の多さには驚いた。
貴族らしき女性から商人の妻らしき人まで、幅広い層の客で賑わっている。
ただ少し女性比率が高いのは誤算だった。
「ディラン様、何か欲しいものが?」
店内をウロウロとしている俺に尋ねるマルタ。
正直、目的は聖女の動向だけで商品そのものに関心があるわけではなかった。
「……マルタの方は何か気になるものはあったか?」
「私ですか?」
マルタは少し考えるように眉をひそめた。
「そうですね……この『疲労回復の薬草茶』は興味深いですね。通常の薬草茶の三倍の効果があると書いてありますが」
彼女が手に取ったのは、上品な包装の茶葉だった。
値札を見ると、かえって驚く。
一般的な薬草茶とほぼ変わらないではないか。効果が本当ならかなりお買い得な商品だ。
「ふむ……」
俺も手に取って見ると、パッケージには丁寧な説明文が書かれている。
使用している薬草の種類、配合比率、さらには「聖女アリシア様による祝福の工程」まで詳細に記載されていた。
「記念に買っていくか」
俺は件の『疲労回復の薬草茶』と『幸運の鈴』なるお守りを手に取る。
流石に胡散臭いか?
いや、一応この世界はゲームを基にしている。幸運値なんて隠しパラメータがあってもおかしくない……と思っておく。
そうして何やかんや買い物を楽しんでいると、店の奥から声が聞こえてきた。
「えー、それでは十二個で銀貨三枚。まとめ買いの場合は――」
その声に、俺は身体を強ばらせた。
聞き覚えがある。いや、聞き覚えがあり過ぎる。
(まさか、あの声は……)
恐る恐る声の方向を見ると、カウンターの向こうで商人らしき男性と値段交渉をしている女性の姿があった。
金色の髪を後ろで結い、清楚な白いブラウスに紺色のスカート。
その美しい容姿は、確かに原作で見た聖女アリシアそのものだった。
だが――。
「三枚は高いですね。二枚と銀貨八枚でどうでしょう?」
「うーん、それだと利益が……」
「では二枚半で手を打ちましょう。その代わり、次回からのお取引も約束していただければ」
その交渉の様子は、どう見ても聖女のそれではない。
それに何だか生き生きとしているようにも見える。
「アリシア・ハートウィル……」
思わずつぶやく。
あの清廉潔白で、困っている人がいれば無償で癒しを施していた聖女が、値段交渉に熱中している。
「ディラン様?」
マルタが心配そうに俺を見つめる。
よっぽど俺の表情は複雑だったのだろう。
「……いや、なんでもない」
俺は首を振り、再び店内を見回した。
だが、どうしても気になって、ちらちらとアリシアのほうを見てしまう。
「はい、ありがとうございました♪ またのお越しをお待ちしております」
交渉を終えたアリシアが、満面の笑みで商人を見送っている。
その笑顔は確かに聖女らしい清らかさがあるのだが、どこか商売人の計算高さも感じられた。
「あの方は……」
俺の視線に気づいたのか、マルタがつぶやく。
「――ディラン様、とても言い難いのですが諦めた方が宜しいかと」
「……何がだよ」
何を勘違いしたのか、マルタが同情的な表情を浮かべている。
「いえ、いくらディラン様でも商人との婚姻はご当主様のご反対にあられるかと」
「……彼女は聖女様だ、身分の差があるのは俺の方……ってそうじゃない」
俺の言葉に、マルタの目が丸くなった。
「え? あの聖女様が?」
「そうだ。間違いない」
マルタは改めてアリシアの方を見つめ、しばらく唖然としていた。
「確かに綺麗な方ですが……なんというか、思っていたのと違いますね」
マルタの感想は、俺の気持ちを代弁していた。
聖女というより、やり手の女性経営者という印象が強い。
実際、今の商談の様子を見る限り、作中の印象とはだいぶ異なっている。
ふと、落ち着いた雰囲気だった店内には不釣り合いな声が聞こえてきた。
「“聖女様御用達”の品だとか。これ全部で銀貨二十枚で買い取ってやる。支払いは今ここで——名家フィリベール家の印章入りの銀貨だ。名誉に思え」
――カウンター前。上等な外套の男が、鼻で笑った。
周囲がざわつく。
肩章の刺繡、金ボタン、従者の数。誰の目にも貴族だ。
「ありがたいお話です。ただ、その価格では弊店は赤字になりますので――」
店員が苦い笑みを張り付けながら対応していた。
どうやら注文の品について無理な値切りをしている様子だ。
名門貴族を自称するくらいなら、その程度のこと、その見た目の通り太っ腹な対応をしてもいいと思うのだが。
――アリシアは……騒ぎに気づいてはいそうだが、まだ商談中で手が離せなさそうだ。
「あれは……?」
横目で見ていて疑問に思う。
あの男が出した銀貨は、俺が今手元に持っている銀貨とは形も模様も違ったからだ。
「領主通貨ですね。一部では未だに流通しているものと聞きます」
さりげなくマルタから助言が入った。
なるほど、まあ確かに通貨は生活に根付いているもの。そう簡単に変えられるものではないのだろう。
「赤字? はは、信心が足りん。民を救うのが“聖女”だろう?」
従者が手元から取り出した椀秤に銀貨を流し入れた。
提示された重さで針がぴたりと真ん中で止まる。
――指針ってあんなに綺麗に止まるものだったか?
「あれ、どう思う?」
軽くマルタに尋ねる。冒険者として経験豊富な彼女なら、こういう手合にも慣れているだろう。
「……そうですね、少し違和感があります」
どうやら彼女も同じ印象を受けているようだ。
「……申し訳ありませんが、こちらで用意した秤を使用する決まりとなっておりまして」
店員が頭を下げ、会計台の脇から店の据え置きの秤を持ち出す。針をゼロに合わせ、貴族の箱から銀貨を一掴み載せた。
――今度は一度揺れてから静まった。さっきより自然だ。
ただ数値は明らかに足りない。
店員が眉をひそめる。貴族は肩をすくめた。
「どうやらこちらの秤が故障していたようだ。ではこれでどうかね?」
貴族は一枚銀貨をつまみ上げ、卓に弾いて見せた。
乾いた「カン」という音――に聞かせたいのだろうが、どこかくぐもっている。
店員はそれを拾い上げ、一つ一つ丁寧に秤に載せていた。
「……マルタ、その領主通貨ってのは光貨と同じレートなのか?」
俺はふと疑問に思ったことをマルタに尋ねる。
「形式上は同等ですが、純度にはばらつきがあることもあるそうです」
「……なるほど」
思うことは色々とあるが、今は成り行きを見守るしかない。
そう思ったときだった。
「おい、そこの坊ちゃん」
突然、貴族の視線が俺に向けられた。
嫌な予感が背筋を駆け上がる。
「見たところ、お前も貴族だな。この店、随分と客が多いじゃないか。お前もここの常連か?」
周囲の視線が一斉に俺に集まった。
恐らく俺がルミナス学院の制服を着ていたからバレたのだろう。
学院の制服は学生の身分によってその装飾の豪華さが異なるのだ。
だが、それにしても、
(なんで俺に話を振るんだよ……)
悪役貴族の宿命か、そこはかとなく面倒ごとの臭いがした。
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作者、机の前でガッツポーズします。