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不運の王子と幸運の鍵  作者:
5章
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32/33

1 彼らの旅立ち

「最初に言っておこう。俺はシリエルが好きだ。自覚だけなら多分、シリエルより早かったと思うぞ」

 目深に被った帽子を脱いだアーヴィンの髪は、白に近い金色だった。不自然な黒色をしていた部分は、どうやら染色していたらしい。アリステアに斬られた箇所に合わせて適当に切っただけの髪形はやはりおかしなものだったが、明るい水色の瞳が露になった彼の顔は思いの外、アリステアによく似ていた。

 アリステアの魔法が解けた直後、騒ぎを聞きつけたレザック率いる近衛兵たちが部屋に押し入って来たのをきっかけに、ひとまず落ち着こう、という流れになった。

兵士達の手によって壊れた家具の類が運び出されたシリエルの、今はがらんとした部屋の中、かろうじて残った絨毯の上に、一同は揃って円座になっている。どうしてか、場所を移そうと言い出す者はいなかった。

 好きだ、と言い切ったアーヴィンの横で、シリエルは無言のままにぽっと頬を赤く染めた。その様子はいたく可憐で、とても彼女がもろもろの出来事全ての根源であるとは思えない。

「……最初から素直にそう仰っていただけてれば、こんな騒動は起こらなかった気がするんですが。アリスだって、四年も苦しまずに済んだ」

 シャンテルが今まで見た中でも、おそらく一番苦々しい渋面を作ったリークは、いっそ淡々とそう言った。だが、アーヴィンは一向に悪びれない。

「人の恋路に口を出すなよ、リーク。俺だって人間だ、それなりに悩みもするし、考えることもある」

「えー、そうなの? 例えばどんな?」

 間延びした声で口を挟むエリカに、アーヴィンはきっぱりと答える。

「好きは好きだが――責任は取りたくなかった」

「なななな、何よ、それ‼」

「焦るな、シリエル。首を絞めるな。――当時は、という意味だ。あの頃、俺はまだ駆け出しの作家で地位も金も無かったし、自分のことしか考えられなかった。皇女の地位から引きずり落としてまで、只人の俺に沿ってもらうのがシリエルの幸せなのかわからなかったし――……まあ、それは言い訳か。つまり、覚悟が無かったんだな」

 ぎりぎりと喉元を締め上げるシリエルをいなして、アーヴィンは更に続ける。

「アリスとシリエルの婚約が決まったときも、まいったなとは思ったが、それならそれでいいような気も、正直した。妹のようなものだったシリエルが本当に義妹になるだけだ、ってな。シリエルがそういう意味で俺を好いてくれているとは思わなかったから。……シリエルの気持ちを知ったのは、館で偶然見つけた『鍵』が魔法の触媒だと分かった時だ」

「……その『鍵』が、どうして私のところに来たのかしら?」

「覚えてないのか?」

 きょとんと首を傾げてアリステアは言う。明るい水色の瞳に、剣呑な気配はすでにない。

 ようやく元の調子に戻ったアリステアにほっと息をついてから、シャンテルは口元に手をやって考える。

「さっき、『鍵』が胸から抜けたときに、思い出しはしたんだけど。何年か前、父さんの宿で、旅人っぽい男の人に渡されて――」

 けれど、あれは誰だったのだろうか。シャンテルに鍵を託したあの男。

(そう、たしか白に近い金の髪で、目は水色で、歌うような声をして……て……?)

 そこで、シャンテルはようやく、はた、と気付いた。

 胸を過ぎる予感に、ぎぎぎ、と顔を上げたシャンテルは、目の前の男をじっと見つめる。にんまりと、面白がるように口角を吊り上げるアーヴィンと、記憶の中の旅人との多すぎる共通項に、シャンテルは大声で叫んだ。

「――……って、あ、ああーーー! ま、まさか、あの旅の人って……まさか……!」

「なんだ、覚えてるじゃないか。そうだ、その旅の男とやらは、俺だよ」

 飄々と言うアーヴィンの言葉に、彼以外の全員が目を丸くする。

 それを楽しげに見渡して、あのときは大変だったんだ、とアーヴィンは肩を竦めた。

「鍵を盗み出したはいいが、俺が持っていたんじゃ、いずれシリエルに見つかるだろう。シリエルは癇癪持ちだから、そうなったら更に大事になりそうだし、かといって上手い隠し場所も見つからなくてな。さすがに捨てるわけにもいかないし」

 目を閉じたアーヴィンは、当時の疲れを思い出したように大きく息をつく。

「そうやって転々としてそろそろ途方に暮れ始めた頃、辿り着いたのがリントだった。そこの宿で、かわいいお嬢さんが興味深々でこっちを見ていたもんだから、冗談で渡してみたらうっかり鍵が宿ってしまった」

「……シャンテルは魔力を欠片も持ってない。そういう人間は、この近辺ではいっそ、珍しい。だからこそ、触媒の『器』に選ばれたんだろうな」

 どこか虚ろな目をして疲れたように説明を加えたリークに、シャンテルもがっくりと肩を落とした。

「――……つまり、私が選ばれたのは本当にただの偶然だったってことね」

「腹が立つか?」

 にやにやと笑いながら訊ねてくるアーヴィンに、ため息が零れる。

「通り越して気が抜けたわ。……でも、もうひとつ、疑問なんだけど。どうして鍵を見つけたその時に、アリスの魔法を解かせなかったの? そんなに大変な思いをして、鍵を隠そうとした理由はなに?」

「その時はまだ、アリスとシリエルの婚約は解消されていなかった」

 何を今更、というような顔をするアーヴィンに、シャンテルは知らず眉を寄せる。

「……それでもいい、って思ったんじゃなかったの?」

「望みがあると知れば、欲深くもなる。変化するもんなんだよ、人間ってやつは」

「……は?」

「平たく言えば気が変わったんだ。シリエルが俺を好きだと言うなら、遠慮することはない。アリスには気の毒だと思わないこともなかったが、まあ、あいつは打たれ強いからしばらくは平気だろうと踏んでね。婚約が解消されるまで待つことにした。……まあ、ちょっとあちこち出かけているうちに、解消からもずいぶん経ってて焦ったけどな」

「はあ?」

 それはつまり――自分の幸せのために、アリステアを犠牲にしたということではないか?

 あまりと言えばあまりな告白に二の句の継げないシャンテルをよそに、アーヴィンは清々しい声音で言った。

「さて、これで説明の義務は果たしたかな。それじゃあ、そろそろ行くとしよう」

 言いながら立ち上がったアーヴィンは、隣に座るシリエルに向けてゆっくりと手を差し出した。そして、晴れやかに笑う。

「愛してるよ、シリエル。――そういうわけで逃げようか」

「兄上! いきなり何を言ってるんです!」

「駆け落ちでも何でもすればいいと言ったのはお前じゃないか。俺もいい大人だし、もう少し穏便に事を運びたかったが、初めて俺に反抗した弟の言うことじゃ仕方ない。ほとぼりが冷めたら戻るから、その時は事後処理に協力してくれると助かるな」

「皇女の意思も無視して、そんな勝手なことを……」

「――行くわ。どこがいいかしら?」

 アリステアの制止を遮って、シリエルはアーヴィンの手を取った。

「いいんだな?」

 愉快そうに水色の目を光らせて問うアーヴィンに、シリエルは猫のような目を細めて、幸福そうに笑ってみせる。

「分かっているくせに、聞かないで。私、あなたが好きなのよ」

 きっぱりと言い切ったシリエルは、触媒とするためなのだろう、耳に飾った石を手に取り、小さく呪文を唱え始める。

 徐々に光を帯びる二人に向けて、シャンテルはため息交じりに告げる。

「リントはいい街よ。これからの季節は山も川も綺麗だし、大きな滝もあるの。私の名前を出せば、宿も安くすむわよ。宿の場所は――アーヴィンが知ってるわよね?」

「シャンテル?」

 唐突な台詞に、アリステアがきょとんと呟く。

 同じように目を丸くしたアーヴィンとシリエルは、シャンテルの言葉に揃って顔を見合わせた後、ふたりよく似た表情で微笑んだ。そして微かに手を振って、白い光と共に部屋から消えた。


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