2 魔法の終わりと恋の始まり
「……行っちゃったねー。よかったの?」
収束した光が消えた空間を眺めつつ、今まで黙って成り行きを見守っていたエリカがのんびりと、誰にともなく問いかける。
「仕方ないな。兄上は、ああいう人だから」
心底呆れたように息をひとつ吐いた後、アリステアはいつものように緩く笑った。
「結局、それで許しちゃうのね」
「君が言うか? 俺はてっきり君が怒ると思ったんだが」
「あの人に言ったあなたの言葉、正直ちょっと、耳に痛かったからね」
「……シャンテル? どういう意味だ?」
困ったように眉を寄せて首を傾げるアリステアに笑いかけ、続ける。
「相手を思うだけで、色々言い訳だけして、結局なにも出来なくて――そういうの、私も同じだったから。私の姉、数ヶ月前に結婚したんだけどね。私、姉のお婿さんになった人が好きだったのよ」
叶わなかった初恋を、初めて口に出して人に伝えた。
告げられたアリステアが、ゆっくりと目を瞠る。
「好きだなんて言えなくて、態度にすら出せなくて、それでもいつか報われるんじゃないかって思ってた。私は自分が『金の林檎』って呼ばれることをずっと嫌だって思っていたはずなのに、結局それに甘えてたのね。何もしなくても、彼は私のことを、好きになってくれるんじゃないかって思ってた。――そんなはず、ないのに」
気持ちを整理するように、シャンテルは淡々と話す。
「姉が彼と結婚するって聞いたとき、私、まず最初に妬んだわ。姉さんは私の気持ちなんて知らなかったのに裏切られたような気がしたし、自分が世界で一番不幸なんじゃないかってことまで考えたわ。姉さんの幸せなんて祝えなかった。おめでとうとも言えなかった。『運試し』で選ばれたとき素直に従ったのは、これで家から、幸せそうに笑う二人から逃げられると思ったからよ。――ずるいでしょ?」
「…………」
戸惑ったような沈黙を返すアリステアを見上げて、努めて明るく笑って告げる。がっかりさせてしまったかもしれないが、それがあの時のシャンテルの本心だった。情けなくて格好わるい自分のことも、知っていてほしかった。
「だから、あの人のこと、あんまり責められない。でも、あなたには怒る権利があるわよね。戻るつもりはあるみたいだから、その時にでも殴ってちょうだい」
「シャンテル。言いづらいかもしれないが、一つだけ聞きたい」
「なに?」
「君はまだ、その……お姉さんの旦那さんが、好きなのか?」
「…………は?」
思いがけない言葉に、思わず間抜けな声が出る。
そんなシャンテルに気付いたふうもなく、アリステアは思いつめた顔で、めずらしく口調を早くして言い募った。
「だとしたら俺は傷心の君に気持ちを押し付けるばかりで……無理に婚約者に仕立てたり、こんな騒動に巻き込んだり――そうだ、よく考えれば君は、本当に兄上に巻き込まれただけなんじゃないか! そう思うと何だかすごく申し訳ないというか居たたまれないというか」
「ちょ、ちょっと落ち着いて、アリス! そんなこと――」
「それでも俺は、君が好きだ」
「だから落ち着いて――……って……え……?」
「……好きなんだ」
俯いて、ぽつりと呟くアリステアの表情は真剣だった。伏せられた水色の目は自信なさげに揺れていて、明るい笑顔で同じことを言ったかつての彼とは対照的だ。
(……でも、そうね。同じかもしれないわね)
彼のくれた言葉に高鳴る鼓動の音も、感じる気持ちも、あの時と同じものだった。
俯くアリステアの髪に手を伸ばしたところで、ふと背後に視線を感じ、シャンテルは首をゆっくり後ろへ巡らせた。振り返ったシャンテルと目が合ったリークはあさっての方向へ視線を逸らし、エリカといえば、ぐっと親指を上に向け、シャンテルに何かの合図を送っている。
「…………」
視線を扉へ向けて無言で促すと、わざとらしくため息をついたリークが、渋るエリカを引きずって部屋を出た。
扉の閉まるパタンという音にようやく顔を上げたアリステアに向けて、シャンテルは言う。
「……私はもう『幸運の鍵』でも『金の林檎』でもない、普通の女の子よ。……あなたの婚約者にはきっと、もっとふさわしい人が居るわね。それでも私でいいの?」
「俺が好きなのは君だ。――君がいいんだ」
明るい色の瞳に強く光を宿らせて、アリステアはきっぱりと言い切った。その言葉に、シャンテルは思わず声を出して笑ってしまった。嬉しかったのだ。
「……シャンテル?」
くすくすと笑い続けるシャンテルを見て、アリステアは困ったように眉を寄せる。途方に暮れたようなその顔が妙に可愛く見えて、その感情のまま、目の前の体に抱きついた。
「私、あなたを好きになるって決めたのよ。でも、決心するまでも無かったみたい」
「…………!」
驚きに強張ったアリステアの体は、やがてゆっくり緊張を解いた。
おずおずと背中に回る腕を感じながら、耳元で囁く。
「私もあなたが――……」
「シャ、シャ、シャンテル‼ あなた、ちんちくりんの分際でアリステア様と何をしてるのこの泥棒猫――――‼」
「やー、すごい怪力ですね、マルティナ様。壊れてますよ、扉」
バァンという轟音と共に白塗りの扉を開け放ったのは鬼気迫る容相のマルティナだった。傾いだ扉の影からスターの姿も覗く。
「ま、マルティナ!? どうしてあなたがここに――」
突然の闖入者に驚いて、アリステアの腕の中、シャンテルは思わず叫ぶ。
「……あ、アーヴィン様と、シリエル皇女とおぼしき方が今さっき、は、橋に現われて……転移石をくださったんだ。今頃おもしろいことになってるだろうから、か、からかって、やれ、と……」
「あ、マルさまだ」
突進するマルティナを追いかけてきたのだろう。遅れてやってきたマルシリオはぜーぜーと喘ぎながらも、律儀にそう説明した。
「……アーヴィン様……最後の最後までやってくれるな……」
「マルさま、大丈夫ですかー? 水飲む?」
苦虫を噛み潰し呻くように言うリークと、ぽむぽむとマルシリオの背を叩いてやっているエリカの姿を戸口に見つつ、シャンテルはぎりぎりと拳を固める。
「あ、あの人……! やっぱりものすごく腹立たしいわ‼ 次に会ったら容赦しないわよ……‼」
「腹立たしいのはあなたよ! アリステア様から離れなさい、この痴女! ちんちくりん!」
「――ああもう、誰がちんちくりんよ! なんで貧乳のお嬢様にそんなこと言われなきゃなんないのよ!」
つられて叫んだシャンテルの言葉に、マルティナはわなわなと唇を震わせる。
「あ、アリステア様の前でなんてことを……! 世の中には言っていいことと悪いことがあってよ!?」
「じゃあ私をちんちくりんって呼ぶのも止めなさいよ! もう! ……こうなったら私たちも逃げるわよ、アリス‼」
「え? ああ、うん?」
すっくと立ち上がり、事の成り行きに呆然としているアリステアの腕を引っ張って走り出す。振り返って笑って見せれば、彼もまた、丸くした目を細めて応えた。
そして、不意にいたずらっぽく目を光らせたアリステアは、先に立つシャンテルをひょいと抱き上げ、壊れた扉へ向かって走る。
とっさに首元にしがみつき、近い距離で合った視線に、シャンテルはまた笑った。
そして、今度こそ告げる。
「――あなたが好きよ、アリス」
「………え?」
水色の目をぽかんと瞠ったアリステアは、少しの間のあと、顔をみるみる赤く染めた。
その間の抜けた表情を、深く心に刻み込む。もう何の仕掛けもない胸に、それでも確かな熱が生まれる。
それは、そう。幸福の兆しに違いなかった。




