14 兄弟喧嘩
「自分勝手と言われれば、そうね。その通りだわ。いくら責めてもいい。だって、私、殿下に魔法をかけたこと、ちっとも後悔していないもの。――そしてまだ、魔法を解くつもりもない」
語り終えたシリエルは、そう言って、再び大きな瞳に剣呑な色を宿らせた。
にっこりと、いっそ可憐に微笑んだ彼女は、すっと優雅な仕草で右手を上げる。
「だから、『鍵』をあなたに預けておくわけにはいかないわ。アーヴィンが鍵を見つけて、何を思って持ち出したのか、鍵がどこにあるのか、ずっと分からなかったけど……。ロアに赴いていたレザックから『運試し』の話を聞いたとき、ぴんと来たの。ようやくあの人が動いたんだわ、魔法を解こうとしているんだわ、って。……私を見ないふりをしたままで、魔法を解かせたりなんか、絶対しない。これは、私にとっての賭けなのよ」
シリエルの手に煽られるように、胸がぽう、と熱くなる。だが、それはよく知る温もりを通り越し、たちまち熱の塊のようになって、シャンテルの胸を内側から焼いた。
「……あ、ぐっ!?」
「シャンテル!?」
たまらず悲鳴をあげ、胸を押さえて体を折るシャンテルに、アリスは椅子を蹴るようにして立ち上がった。シャンテルに寄り手を伸ばすが、その手は突如、シャンテルを覆った透明な膜に体ごと弾かれた。
「その椅子は、すでに私の魔法の触媒となっています」
立ち上がろうとするアリステアの足に、部屋に置かれた植物から、不自然に伸びてきた蔓が絡みつく。それを払おうともがいた彼が手を付いたテーブルの上で、今度はカップが弾け飛んだ。
「その花も、カップも、この部屋のあなた達の周囲にあるもの全て、触媒としてあります。……警戒を、怠るべきではなかったわね」
「ア……リス……‼」
飛んだ破片に幾つもの傷を作ったアリステアに、シャンテルは何とか声を絞り出す。だが、それは苦痛に喘ぐものにしかならない。動けない。助けたいのに。胸が熱い。痛い。――苦しい。
荒い息をつくシャンテルを見て眉を強く寄せたアリステアは、肉に絡み食い込む蔦を無理やりに引きちぎり、腰の剣を引き抜いた。血の滲む腕で蔦を切り裂き、剣先をまっすぐに、皇女へ定める。
「シャンテルを放してくれ。……でないと、貴女にも容赦はしない」
「……私があなたにかけたのは『反転』という魔法術式の応用よ。あなたの運は『鍵』に吸い取られ、『鍵』はその分だけ、運を放出する。……本当は、こんなに悪くさせるつもりじゃなかったの。でも、人に宿ったことで『鍵』が成長していったのね。そんな風に、『魔法』と『鍵』が引き合うのは道理だけれど――どうしてかしら、気に入らないわ」
細い指がアリステアを指差した。皇女の目が、すう、と細まる。
不快を示すように寄った眉根に剣呑な気配を察して、シャンテルは叫んだ。
「やめて‼」
喉の奥から搾り出すように発した声と同時に、胸を押さえた両手の中に、小さな塊が生まれた。途端に楽になった呼吸に、シャンテルは胸を焼く熱が消えたことを知る。
――そして、部屋は光に包まれた。
「な、何……っ!?」
白い光に眩む目を必死に瞬くシャンテルの耳に、覚えのある声が届いた。
「女に剣を向けるなよ。騎士道に反するぞ、アリス」
「――……兄上」
呟いたアリステアの声に促されるように、シャンテルはよろよろと立ち上がった。
ちらつく視界が捉えたのは、シリエルを庇うように立ちアリステアに剣を向ける、アーヴィンの姿だった。
「――遅いお出ましですね、兄上」
水を打ったように静まり返った部屋の中、口を開いたのはアリステアだった。驚いたように瞠った目を次の瞬間すがめた彼は、今は口角を吊り上げ、不敵に笑っている。初めてみるアリステアの表情に、シャンテルは胸を押さえたまま、ぽかんと目を見開いた。
「満を持して登場したんだ、もうちょっと驚けよ」
「暗躍を好むわりに顕示欲の強いあなたなら、まあ来るでしょう、この場合」
剣を向けたまま言うアーヴィンに、アリステアも剣先を下げることなく、逆に鋭く構え直した。
「な、何……?」
剣を構え、皮肉を言い合う兄弟の姿に、シャンテルはにわかに混乱する。熱の抜けた胸は妙にすかすかとして、頭は朦朧としている。いつの間にか体を覆う膜が無くなっているのに気が付いたシャンテルは、アリステアに近付こうと足を踏み出したが、体は意思に反してぐらりと傾ぐ。倒れかけた体を支えたのは、横から現われたリークの手だった。一瞬驚くが、すぐに納得する。アーヴィンと共に転移してきたのだろう。
「無理をするな、シャンテル。触媒が抜けたばかりなんだ」
「……初めてあなたに名前を呼ばれた気がするわ」
ぼんやりとした頭でそれでも言えば、リークは見慣れた渋面を作った。いつも通りの反応に、少しだけ気持ちが落ち着く。
「いいから触媒を――『鍵』をよこせ。それがあれば、俺でも解除はできるはずだ」
言われて、シャンテルは握り込んだ手の中に生まれていた『鍵』に、ようやく気付く。
控えめなきらめきを放つちっぽけな金色の鍵には、覚えがあった。
頭にかかった靄がみるみるうちに晴れていく。どうしても思い出せなかった記憶が、唐突に蘇った。そう、この鍵だ。数年前、父の宿屋で旅人に渡された、金色の小さな鍵。――これが、はじまりだったのか。
数年ぶりに目にした鍵をまじまじと見つめる。呆れたように息をついたリークは、シャンテルからひょいと鍵を取り上げた。何するの、と言いかけたシャンテルの声はしかし、前方で鳴った刃の擦れあう音にかき消された。
驚いて、斬りかかるアリステアと受け止めたアーヴィンを交互に見やる。アーヴィンの後ろに佇むシリエルも、シャンテルと同じく驚いた顔をして、不安げにアーヴィンの背を見つめていた。
「と、止めないと……」
「兄弟喧嘩もたまにはいいだろ」
袖を引きおろおろと言うシャンテルに、鍵をためつ眇めつ眺めていたリークは、半ば呆れた口調で言った。
「それより、魔法の解除が先だ。一応お前の元に長くあったもんだからな、そこに居ろ」
「い、意味あるのかしら、それ?」
「……声援程度の意味ならある」
「完全に気休めじゃないの! それどころじゃないわ、止めなきゃ……!」
「いいからほっとけ。――喧嘩くらいさせてやれ」
「…………」
静かに言われてしまえば逆らえない。
せめて見守ろうと切り結ぶ兄弟に目を戻せば、呪文を唱え始めたリークに気付いたらしい皇女が手を上げるのが見えた。魔法の解除をさせないつもりなのだ。
いけない、と思ったその時、皇女の背後に白い影が現われた。
どこに潜んでいたものか、唐突に姿を現した彼は、袖の長いローブを纏った腕で皇女の手首を捕らえ、残った片手で口元をむぎゅ、と覆った。
「むー! むむむむ!」
「ちょっと大人しくしててね、皇女さま」
相変わらずのんびりとした声で皇女に言ったエリカは、シャンテルに向けて軽く首を傾げた。ここは心配ないよ、ということだろう。そして、彼もまた、未だ剣を向け合う兄弟に目を向ける。促されるように、シャンテルも彼らを見つめた。静まった部屋の中に剣戟の音が響く。
切り結びながら、アーヴィンは楽しげな声音で弟に言った。
「お前が俺に剣を向けるとはな! ずいぶん遅い反抗期だ!」
「あなたが騒がしかったおかげで満足に反抗期も迎えられませんでしたからね。大目に見てください」
アリステアの振り下ろした一撃を剣の腹で受け、アーヴィンは笑う。
「お前にはたしかに俺のとばっちりを食らわせっぱなしだが――次男坊で夢も野望もなかったお前に王太子という役割をやったんだ。悪いことばかりじゃなかったろ?」
剣を弾かれ、アリステアは一歩後ろに跳び退る。だがまたすぐに踏み込んで、アーヴィンの脇腹目掛けて剣をなぎ払う。上体を捻って受け止めたアーヴィンを睨み上げて、アリステアは言う。
「たしかに俺には、兄上のような明確な夢はない。あなたのように、どうしようもなく強引で身勝手で――ひたむきな生き方もしてこなかった。あなたを眩しく思ったことも、羨んだことがあったのも事実だ。……だからこそ」
そこでアリステアは、拮抗した剣先から不意に力を抜いた。上体のバランスを崩したアーヴィンに足払いをかける。
「――あなたのやり様には腹が立つ!」
倒れたアーヴィンの眼前に剣を突きつけて、アリステアは叫ぶように言った。
「アーヴィン‼」
口を押さえるエリカの手を振り解いて叫ぶシリエルに手を振って黙らせてから、アーヴィンは倒れた体勢のまま、苦笑交じりに弟を見上げた。
「腹が立つ……か。お前にかかった魔法を黙っていたことか? お前が自分で言い出せば、もっと早く動いてやるつもりだったんだがな」
「それに関しては、今更どうこう言うつもりはありません。あなたの言うとおり、俺は何もしなかったから」
「じゃあ、お前と『鍵』をここに来させたことか? それは彼女に宿った触媒を取り出すためだ。触媒はシリエルしか取り出せない。シリエルはこの件に関しちゃ俺の話なんて聞きゃしないだろうから、多少回りくどくたって仕方ないだろう」
「それも腹は立つが、違います。一発くらいは殴りたい気もしますが」
「じゃあなんだよ。何が気に入らない?」
「あなたは、皇女の気持ちを知っていましたね」
静かに告げられた言葉に、アーヴィンは初めて素直に目を丸くする。
視線を巡らせれば、シリエルもぽかんとしている。おそらくはシャンテルも、同じような顔をしているだろう。アリステアだけが落ち着いた顔をしている。静かな無表情だ。
アリステアは、表情と同じく淡々とした声音で続けた。
「国を巻き込んだ大騒動を起こした上、無責任に国まで棄ててやりたい放題やってきたあなたに、今更立場もへったくれもないでしょう。無駄に聡いあなただ、皇帝だろうが誰だろうが、いざとなったら言いくるめてだまくらかす位の手腕はあるはずだ。無理なら、駆け落ちでもなんでもしてみればよかった」
「……何を言ってる?」
すっかり困惑した様子の兄を見下ろし、アリステアは完璧な笑顔でにっこりと、けれども不穏に笑って見せる。
「質問しているのは俺です。……兄上は、皇女の気持ちも、行ったことも全て、知っていましたね?」
「……だとしたら、何だ?」
「あなたが皇女を何とも思っていないなら、ここまで問題が膨らむ前に対処していたでしょう。なのにあなたはそれをしなかった。彼女の気持ちに応えるでもなくはぐらかしたまま、四年も飄々とあちこちほっつき歩いていた。俺と皇女の婚約解消すら皇女が一人で行ったことで、あなたは何もしなかった。そんな不甲斐ない兄が」
ガッ、と、鈍い音がした。
振り下ろされた刃はアーヴィンの頬と髪を掠り、硬い床へと突き刺さっている。
「――気に入らないと言っているんです」
「…………」
口角は上げたまま、声も変わらず静かなまま。
けれど、アリステアのその言葉に、答えられる者はいなかった。
そのとき、リークの持っていた『鍵』が、ぴかり、と場にそぐわない穏やかな光を放ち、さらさらと崩れた。
「……『不運の王子』、終了?」
のん気に呟きぱちぱちと手を叩くエリカにも、反応する者はいなかった。




