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不運の王子と幸運の鍵  作者:
4章
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30/33

13 皇女の恋

 白塗りの卓に置かれた淡い湯気を立てるカップや、取り取りの色を宿す菓子の類は美しかった。朝から食事をしていなかったことを思い出すくらいには魅力的だ。だが、手を伸ばす気にはなれなかった――『魔法の鍵』とは、なんだろう。

 沈黙の満ちた卓の上に、突如、光の玉が現われた。シャンテルのスカートから飛び出したそれは、無遠慮にもそもそと美しい菓子を齧り始める。大橋ではぐれたと思っていたタマオだった。いつの間にやら、戻ってきていたらしい。

「あ、あの、これは……」

 またしても、飼い犬が粗相をしたようないたたまれない心持ちになったシャンテルに反して、シリエルは身を乗り出すようにしてタマオを見つめる。そして叫ぶように言った。

「ウィル・オ・ウィスプ……!? ロアには召喚師サマナーがいるの!?」

「……え? タマオ、いえ、これは光球のはずですけど」

「光球が食事をするものですか! これは召喚獣よ。召喚術といえば、失われつつある古代魔法のひとつだわ。召喚師なんて、うちにも数えるほどしかいないのに……!」

 やたら食いつきのいいシリエルを、シャンテルもアリステアもきょとんと見つめる。そういえば、皇女は生粋の魔法使いだとリークが言っていた。アーヴィンと並ぶ変人だとも。……それにしても、エリカに召喚師の素質があったとは驚きだ。本人は知らないみたいだが。

 ぽかんとした目で見られていることに気が付いたのか、シリエルはふと我に返ったようにはっとして、コホンとひとつ咳をした。もそもそと居住まいを正す。

「そ、それはともかく。ええと、何の話だったかしら?」

「『魔法の鍵』――とは、なんですか? シャンテルは確かに『幸運の鍵』として、俺の元へ来てくれた。ですが、魔法とは……」

「鍵は、鍵です。シャンテル、といいましたね。あなたは私がアリステア殿下にかけた、魔法の『鍵』――触媒です。正確には、触媒を宿してしまったお嬢さん、ですけれど」

 あっさりと、微笑みすら浮かべて悠然と皇女は言う。

 二の句が継げないシャンテルとアリステアを見つめ、皇女は滔々と続ける。

「ご存知かもしれませんが、我がユーリ=プテルスの魔法には、鍵が残ります。物質を触媒として魔力をこの世界に干渉させる体系のものだから。だから、他律魔法が得意なの。鍵を託せば、誰にでも魔法が使える。アーヴィンが転移魔法を使っていたでしょう? あれは私があげたものなの。あの人が、いつでもここに帰ってこられるように」

 愛らしく微笑んでアーヴィンの名を告げる皇女は幸福そうで、シャンテルは、ああ、と深く納得する。長い間感じていた疑問が、すとんと胸に落ちた。

 最初に彼女の話を聞いたときから、疑問が胸を掠めていたのだ。皇女がアリステアに魔法をかけた意味。彼の不運によってもたらされる『何か』。感情的で回りくどい、この魔法の意味は、おそらく。

「シリエル皇女。あなたは、アリスとの婚姻を――拒みたかったんですね」

 薄い青の瞳を零れんばかりに瞠った皇女は、長い時間の後に諦めたように重たげなまつ毛を伏せて、頷いた。


 シリエルがアーヴィンと出会ったのは、今から十年以上も前のことだった。

 彼との初めての出会いは、正式なものではなかった。ユーリ=プテルスの博士に教えを請うため訪れた彼が王城に滞在していた数ヶ月の間に、庭で偶然に会ったのが始まりだった。きちんとした名乗りすら上げなかった彼のことを、シリエルは最初、新しい学士かと思っていたほどだ。

 いつの間にか親しく言葉を交わすようになって、頼み込んで読ませてもらった彼の作品に、シリエルは惚れ込んだ。アーヴィンがロアに戻ってからも、書簡や草稿のやり取りをするようになった。だから、アーヴィンが王位を棄てたいと言った時も、応援した。頼られて嬉しかった。彼を尊敬していたから。彼の書く物語が好きだったから。――物語が好きなだけだと、思い込んでいたから。

 アーヴィンに向ける気持ちが恋だと知ったのは、四年前――彼の弟、アリステアとの縁談が持ち上がってからだった。

「婚約者がロアの王子と知って――あの人の弟だと知って、私、最初に思ったの。しまった、って。どうして王位を棄てさせてしまったんだろう、それさえなければ、私の相手は彼だったのにって、そう思った。あんなに応援していたのに、私、止めておけばよかったって、後悔した。そんな自分にがっかりしたけど、それでようやく、あの人のことが好きだったって気が付いた。――でも、遅かったの」

 かねてよりロアを贔屓にしていた父は、シリエルの縁談を喜んだ。ロアの王子がシリエルより年若いことも、婚約をためらう理由にはならなかった。

 アーヴィンへの恋心など、もちろん父は知らない。知れば、おそらく激怒するだろう。国を、責任を捨て好き勝手に振舞う男が、娘を篭絡したと。父はなんだかんだとアーヴィンを気に入っているが、それは自国の文化者としてだ。娘への愛情は深いが、父は皇帝、只人に娘を嫁がせるほど、柔軟な立場にはない。――いや、もしかすると、気付いていたのかもしれない。だからこそ、あえて彼と近しい人物との縁談を進めたのかもしれない。

 だから言えなかった。父にも、弟との縁談を打ち明けた時、おめでとうと笑ったアーヴィンにも、相談できなかった。

 それでも、初めての恋を――アーヴィンを、諦めることができなかった。

 だから、アリステアに魔法をかけた。

 彼の不運を見咎めた父が、婚姻を思いとどまるように。弟の不運を見かねたアーヴィンが、自分の想いに気付くように。

 ――自らの恋を、守るために。


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