8 それぞれの思惑
馬も怪我を負い、あるいは逃げ出してしまったとあっては、走り去った馬車に追いつけるはずもない。道に残った轍から、どうやらレザックの目的地は変わらずシームリア大橋らしいと目星を付けた一行は、重苦しい沈黙を纏ったまま、ただ歩いた。
夜半過ぎになり、ようやく街道の町へ辿り着いた。馬を調達するというリークとエリカを町に残し、態勢を整えるために取った宿の一室で、アリステアは静かに呟いた。
「……つまり、シャンテルが攫われたのは、マルティナの仕組んだことではないんだな」
「ええ。ついでに言えば、現在はシャンテル様だけでなく、マルティナ様も攫われている状態です。……まあ、こうなった以上、正直に話しましょうか」
陽気な王子にしてはめずらしい、笑みを全く含まない声音で問われてもなお、スターは飄々と肩を竦めている。手を後ろで縛られ見下ろされているにも関わらず、臆した様子は微塵もない。
思った以上に神経が太いらしい自らの近侍の振る舞いに、マルシリオの方がびくびくとしてしまう。ただでさえ、自分の雇った傭兵が妙なことを仕出かして、肩身が狭いのだ。
「私が皆さんを襲ったのは、たしかにマルティナ様の命令です。マルティナ様は、皆さんと――主にはシャンテル様と殿下を引き離し、お二人でシリエル皇女の元へ向かうつもりだったようです。殿下の魔法を解くのは私よ、と意気込んでおられましたから」
「あのじゃじゃ馬め……! 後始末はどうするつもりだったんだ」
「ああ、誘拐の科は全てマルシリオ様に着せるつもりのようでしたよ?」
「なんだそれは! 大体お前は僕の近侍だろ、僕は殿下の護衛が任務だと言ったはずだ! どうしてマルティナに使われてるんだ!?」
「それはもちろん、マルティナ様の提示した報酬の方が多かったからです」
「お・ま・え・な~……‼」
悪びれずに言い切ったスターの襟首を思わずぎりぎりと掴み上げる。
すると、諌めるようにぽん、と肩に手を置かれる。アリステアの手だった。
「今更だ。彼を責めても仕方ない。……スター、最後にもう一度聞く。シャンテル達の誘拐を仕組んだのは、本当に君たちではないんだな?」
「ええ。違います」
「……そうか。わかった」
くるりと扉の方へ踵を返すアリステアを、マルシリオは呆然と見つめる。
その背に、スターは静かに声を投げた。
「――アリステア殿下。マルティナ様は、決して悪意から私に命令したわけではありません。それだけは理解してください」
「うん。……わかってるよ」
振り返ったアリステアは、そこでようやくいつもの通り、緩やかな笑みを浮かべた。
宿の簡素な扉をくぐるアリステアの背を見送ってから、スターはやれやれと息をつく。
「責めないところが怖いですねえ。へらへらした方だと思っていましたが、あれでなかなか迫力がある。あの方は、案外王に向いているかもしれませんね」
まるで怖いと思っていなそうに、あっけらかんと言うスターに、マルシリオはがっくりと肩を落とした。そんな主に構わず、スターは同じ調子で続ける。
「で、私たちはこれからどうします?」
「決まってるだろ、あのバカ娘を放っておけるか! 連れ戻してガツンと言ってやる!」
「どうかなぁ。ガツンと言われるのはマルシリオ様な気がしますけど」
「お前が言うな! 元はと言えば、お前が金につられるからだろう! いいか、解雇されたくなかったら、お前も来い!」
「横暴だなぁ。労働組合に訴えますよ?」
何を言っても堪えないスターの相手に疲れ果てたマルシリオはへなへなと床に蹲り、ああもう、と頭を抱えた。
□□□
仲間たちと落ち合う場所は決めてあった。
人通りのない夜の街を、アリステアは足早に歩く。春とはいえ夜の外気は冷たい。
(……これで、少しは頭が冷えればいいんだが)
胸中で呟き、息をつく。今の自分があまり冷静でないことを、アリステアは自覚していた。ともすれば思考に沈みそうになる。――何がカンパネラだ。結局、自分は肝心な時に、彼女を守れていないじゃないか、と。
(結局の所、俺は今の今まで、自分の不運は自分だけの問題だと思っていたんだろう)
リークにもエリカにも、家族にも、事情を知る臣下にも、迷惑をかけていると知っていた。心配させていることも分かっていた。――それでも本当の意味ではきっと、分かっていなかったのだろう。
……不幸ではなかった。それは確かだ。けれど、では、自分は何かしただろうか。
自分だけでなく、自分を気にかけてくれる誰かのために。その誰かに報いるために、何かの努力をしたことがあっただろうか?
(俺は結局、逃げていただけだ。不幸ではないからと『不運』から目を逸らして、問題は先送りにして、人に心配ばかりかけて……君を危険な目に合わせても、まだ)
ひどく腹が立っていた。レザックという傭兵にでも、マルティナにでもなく、皇女でも兄に対してでもない。誰と問われれば、自分自身に一番腹が立っている。――けれど。
「そんなことを言ったら、また叱られてしまうかな」
怒りなさいよ、と言ったシャンテルを思い出す。
あのときのシャンテルは格好よかった。自分のために真剣に怒るシャンテルが、どうしてだろう。とても眩しく見えた。
「正直なところ、君に怒られるのは嫌じゃないんだが。格好悪いと思われるのは、困るな。……嫌われてしまう」
だからもう、逃げない。目を逸らすのは止めにする。誰とでも――全てを企てたのが兄ならば、兄とだって対立しよう。
金の林檎を奪おうとする輩から、シャンテルを取り戻すことだけを考えよう。他の誰でもない、自分のために。
(俺は、君のカンパネラだ)
自分が、自分自身の誓いに違わないことを、信じよう。
□□□
街門の近くで買い取ったばかりの馬に荷物を括りつけていると、石畳を踏む静かな音と共にアリステアが現われた。
「話はついたか? あいつ――スターは結局、何だった」
「ああ、予想通り、マルティナの頼みを聞いただけらしい。レザックという男とは無関係だよ。レザックはおそらく、シリエル皇女の繋がりだろう。攫ったということは、早々に危険が及ぶことはないだろうが――早く追いつかなくてはな」
いつも通り明朗に話し、微笑むアリステアに、リークはほっと息をつく。シャンテルが馬車ごと攫われて以後、ふさぎこんだアリステアには、正直なところ戸惑っていたのだ。
慣れてもらうため、餌を手に馬に寄るアリステアの背中を見て、エリカはどうしてか眉を寄せ、珍しく怪訝な表情を作った。
「どうした? 腹でも痛いのか」
「なんだか、嫌な予感がする」
「早いとこ行ってこいよ。少しなら待っててやるから」
「……なんで腹にこだわるの、リーク。ちがうよ。アリスのことだよ」
心底軽蔑したように、紫の目で睨まれる。意味がわからず、リークは首を傾げた。
「アリス? 何でだよ。さっきまではへこんでたが、今はいつも通りだろ」
「……リークは鈍くて幸せだねえ」
「茶化すな。どういう意味だ」
「なんか、腹括っちゃったって顔してるから、アリス。シャンテル絡みだし――無茶しないかなって」
彼にしては静かな口調でそう言って、エリカはリークの返事を待たず、アリステアの方へと歩いていった。残されたリークは二人の背中を眺めつつ、エリカの言葉を考える。
(……たしかにあいつと会ってから、アリスは変わったかもしれない)
元よりアリステアは対立を好まない性質だ。臆病なわけではないが温厚で、人を傷つけることを厭う。自分のせいで誰かが傷付くのであれば、自分が傷付いたほうがましとさえ、思っている節がある。シリエル皇女の婚約破棄に関しても、不運に関しても、事の次第は正すべきだ、怪しい者は徹底的に、手がかりが掴めるまで調べるべきだと自分をはじめ、多くの者が言っていたのに、アリステアはそれを止めた。確証はないのだから、疑わしきは罰せずだ。俺は大丈夫だ、と、いつも通り緩く笑っただけだった。
それは強さと取ることも、優しさと取ることもできる。だが、同時に歯がゆく思ったのも事実だ。何もかもを受け入れて、それだけで、本当にいいのか。それでお前は満足なのか。――諦めているだけではないのか、と。
だが、今リークの前で、同じように緩く笑うアリステアは違う。彼は今、初めて自分の不運に抗おうとしている。取り戻そうとしている。シャンテルを――自らの『金の林檎』を。
腰の剣に手をやって、リークはそっと息をついた。義務で学んだ魔法ばかりが身について、肝心の剣の腕は一向に上がらないまま、それでも自分は騎士だと思ってきた。それを誇りと思ってきた。
(でも、俺はアリスを――アリスを変えたあいつを、今度こそ守ってやりたい)
――そのためには、自分も変わるべきなのかもしれない。
立ち尽くすリークを、いつの間にか振り返ったエリカが見ていた。リークが見返すと、ふい、と顔を背ける。めずらしく茶化す言葉を言わないエリカは、どうしてか、ひどくつまらなそうな顔をしていた。




