午後のエトランジェ02
「おい、そこな娘」
シュラのおざなりな声に、私の感動はばりーんと破られた。続いてリキが言う。
「おい娘、おまえのような黒髪の少女を探しているんだ、知らないか?」
二人はじろじろと私の姿を見る。娘か、いや娘だろう、とひそひそ声で失礼な会話を交わしている。どうもこの世界で女性がスカートをはいていない、というのは相当奇異なことらしく、ついに私の性別まで疑いだしたのだ。こんな二人に私を見分けられるべくもなく。
「おまえのような黒髪で」
「黒い目で」
「髪の長さは肩ほどで」
「十ばかりの愛くるしい娘だ」
いまや感動のシーンは跡形もないほど崩れ去った。馬鹿者どもが! いつまでも同じ姿をしているわけがないだろう。それ以前に、彼らと別れたときすでに私は十五だったはずなんだけど。ちなみに現在の私の髪は肩よりも長く、ねじってバレッタで留めてあった。
私だよ、帰ってきたんだよ、と言いたかったけど、その言葉は咽喉の奥に固まったまま転がり落ちてはこなかった。代わりに私は、社会人になってから身に着けた愛想笑いを顔に貼り付けた。
「さあ、存じませんけど。それよりも私、職を探しているんです。お城で雇っていただけませんか?」
私は、高校生の頃のことを思い出した。あちらの世界に帰ったあと、伯母さんに相談して高校に行かせてもらうことになったのだ。私は素直に、伯母さんに感謝した。退職してアパートを引き払って、こちらに来る決意をしたとき、ちゃんと伯母さんの口座に当時の学費はできるだけ返還しておいた。
その高校生の折、一度だけあちらとこちらの空間が繋がったことがある。授業中にノートを取ろうと、筆記具の入っているカンペンを開けたら向こうの世界があったのだ。どうやらどこかの部屋の天井付近と繋がってしまったらしく、私は授業中の机の上からシュラとリキの会話を盗み見た。音声はなく姿だけで、やっぱり小鬼が陣をいじって妙な繋がり方をしたらしい。
私は平静に授業を受けるふりをしながら、込み上げる涙と必死に戦っていた。彼らは、私に会おうとしていたのだ。約束の日が遙かに先だったとしても。
それほどまでに私を愛してくれる彼らに、とても告げることはできなかった。
私がどんなに変わってしまったかということを。もう子供ではない、あなたたちの求める無邪気な少女にはなれない、ということを。
――そんなこと、どうして言えただろう。
五年あれば、変わってしまうことなどたやすい。
もともと私は同級生たちと比べるとしっかりものだったし、この世界には弱っていたときにやってきたわけで、風邪を引いた子供が母親に甘えるようにみんなに甘えていただけだったのだ。だから私は、自分のことは自分でやりたいし、地に足着けて生きていきたい。
やっぱり私は、シュラやリキの望む姿ではいられないんだろうな、と思った。
でも、本当に彼らには感謝している。おかげで、私は満たされた。だからこそ、私が誰であるかを告げることをためらっている。彼らがどう思うかを考えると、知らないままでいい、とまでも思ったりした。
この城で雇われるものは、一度、魔王であるレイにお目通りしなければならないらしい。妙なやからが城に入り込むのを防ぐためだ。
そして私はレイに会うのは三日待ってほしい、それまでは正規雇用でなくても働くから、と告げた。
心の準備が欲しかったのだ。私を迎えに行く時期を読んだのはレイだろうし、勘の鋭いレイは私のことを見抜いてしまうだろうと思った。それを知って、どう思われるのかが怖かった。
――でも本当に怖いのは、レイにすら気づいてもらえないことかもしれなかった。
会いたい気持ちと逃げたい気持ちの上で揺れ動き、私は三日目に白い獣に出会った。以前、城にいたときに良く遊んでいた、狼に似た大型の獣だ。
彼は私に歩み寄り、膝の辺りにふんふんと鼻を押し付けた。それを見て、私の近くにいた侍女がぎょっとして後ずさる。魔人に耐性はできても、普通の人には魔獣に慣れることは難しいみたいだ。
「私を覚えてるの?」
囁くように語りかけ、私は床に膝を付いて両手をそっと差し出した。近寄った獣は、私の腕の中で大人しくしていた。
「ただいま、オウリン」そっと呼びかけると、オウリンは耳をぴくりと動かした。抱き締めた温もりが懐かしすぎて私は泣きそうな気分になる。
そうして、安堵した私は、一番大事な気持ちを思い出した。
そう、この世界のどこかに、私を思ってくれる人たちがいるということ。
同じ大地の上で生きていると知っているだけでいい、それだけでいいじゃないか、と思った。変なことを考えたり、期待したり、恨んだりするのは間違っている。
城を出て、城下町に下りよう、と素直に思えた。私は幸せだ。この世界で生きられるだけで、ほかにはなにもいらない。
室内に風を入れようと窓を開け、私はバルコニーへと踏み出した。その足元を、オウリンがとことことついてくる。見納めとばかり城の様子を眼に焼き付けていると、下をレイたちが通りかかった。
まずい、と思ったときは既に遅く、こちらを振り仰いだレイは良く通る声で叫んだ。
「スモモ!」
――身を切り裂かれるような思いと、切なさで胸が詰まった。




