午後のエトランジェ01
約束したわけじゃないけど、なにかが起こるとすればこの日だと思っていた。
私は十五の歳に、二ヶ月ほど行方不明になっていた。その間の記憶がない、ということで押し通していたら、神隠しに遭ったらしい、という噂が囁かれたがそのうち消えた。
本当は、異世界に行っていた。嘘みたいな話だ。たまに、自分でもやっぱり夢じゃないかと思ってしまうことがある。でも、「迎えに行く」と言われた言葉を私は何度も後生大事に取り出して、あれは夢だ、現実を生きなきゃ、と思ったり、辛いとき心の支えにしたりを繰り返していた。
そうして私はこの日――成人式の日を迎えた。
寒さで道路が凍結するかもとニュースで言っていたが幸いそんなこともなく、しかしきんと冷えた空気は怖いぐらいに澄んでいた。午前の儀式を厳かに終え、市民会館を出た新成人たちは思い思いに話をしている。そのうち、じゃあそろそろ移動するか、と誰かが声をあげ、私たちはぞろぞろと目的地へ向かった。
向かった先は中学校だ。あらかじめ、みんなで集まると教員に連絡を入れた者がおり、校舎内にある小さな中央ホールには心地好く暖房が効いていた。
しばし談笑を楽しみ、私はゆっくりとひとり図書室へ向かった。新成人たちが懐かしさのあまりあちこち覘き見ることを見越して、鍵は開けられている。
きし、と軋む床に足を滑らせ、私は図書室の床に空いている、異様な雰囲気のする黒い穴の前に立った。もうわかっている。これは、私が待ち望んだ世界に続く穴だ。
途端に、切なさで心臓が締め付けられた。それは、懐かしさの所為ではなく、別れの寂しさの所為だ。懐かしさで胸が高鳴っていると同時に、息ができないほどに心臓がきゅっと縮まった。私は深呼吸を三度繰り返す。
この穴をくぐれば、私はいまいるこの世界と訣別する。目を閉じて、中央ホールにいるみんなのことを思い浮かべ、伯母を思い出し従兄弟を思い出し友達を思い出し職場の同僚を思い出した。
――大丈夫。
大丈夫、心残りはない。実は、未練が残るのなら行くのをやめようと思っていた。本当の私の世界はここであり、今の機会を逃して例えば十年後にまたお迎えが来るとしても行かないと思う。そのころには、私は本当に自分の世界に馴染んでしまって、それを捨てることはできないだろう。
だからこれは最後のチャンスだ。
会いたい。会いに行きたい。
――たとえすべてを捨てても。
そうして私は、再び別世界に足を踏み入れた。
薄暗い図書室から黒い穴を抜けた途端、眩しい昼の光が私の目を襲った。
ぱちぱちと瞬きをして辺りを見回してみると、どうやらそこは城下町のようだった。上方に視線を向けると、坂の上にお城が見える。
「また、レイじゃなくてリキが召喚陣使ったんだなあ」
私はひとりごちた。導師のリキはしょっちゅう小鬼に魔法陣をいたずらされているらしく、陣の魔法が狂ってしまうのだ。今回は、召喚先がずれてしまったらしい。
ふむ、と息を吐いて私は舗道を歩き始めた。今日はローヒールだからそんなに足も疲れない。私は、成人式が終わったばかりの、黒いパンツスーツ姿のままだった。これでもいろいろ考えたのだが――振袖でやってくるよりも万倍ましだろうと。
「あのう、魔王の城ってどこですか?」
我ながら相当間が抜けた質問だな、と思いながら、私は露天で野菜を売っているおばちゃんに声をかけた。
「あら、あんたも逃げてきたクチかい?」
意外にもおばちゃんは朗らかに返事を返す。よくよく話を聞いてみると、ここから見える城が間違いなくレイの――魔王の城で、ここはその城下町にあたる。と言っても、ここらに住んでいるのはほとんどが人間だ。この町は魔王と契約を結んでいるため、魔の者に襲われなくて済むらしい。ただ、やっぱり働き手とか、収穫の一部とか、年貢みたいなものは納めないといけないみたいだけど。
とは言え、ここ何年かは人間の国に攻め込むこともなく、平和に暮らしているのでわりと住み心地はいいんだそうだ。気候が住み良いらしい。
それから私は、この辺りに住むならどんなところに働き口があるのかを聞いてみた。この世界に再来したならどこかで働こうと、そのことはずっと考えていたのだ。前回の私は、この世界においてただのお客さんだった。でも今度は、住人としてやって来たつもりだ。この世界の住人であろうとするならば、ただ遊んで暮らしているわけにはいかない。
「それなら、お城に行けばいいよ。衣食住与えてもらえるし、任期が終われば辞めてもいい。半年ごとに、それなりの俸給ももらえるようだしね」
あっけらかんとおばちゃんは言った。この辺りは、魔に怯えるものもいればまったく気にしないものもおり、二極化しているらしい。商人はたいがい後者だ。
「ああ、ちょうどお城の魔人が来たよ。訊いてみればいい」
なんというタイミングの良さか。おばちゃんの声に振り向いてみれば、こちらに歩いてくるのはシュラとリキだった。
剣士シュラと導師リキ。私が初めてこの世界に訪れたとき、最初に会ったのが彼らだった。
彼らは私の姿に気がつき、はっと足を寄せた。




