すももドロップス02
あたしは数日この建物――どうやら城のようだ――で暮らした。意思の疎通は出来ずとも、名前ぐらいは教えあうことが出来た。"たおやか"にーさんはシュラ、"ますらを"にーさんはリキという。名は体を表すというが、けだし名言だと思う。
結局、あたしは最初に寝かされていた部屋を使っている。部屋をあさってみると、チェスにそっくりな卓上ゲームを見つけた。あたしは結構チェスは得意なんだ。嬉々として相手を探しに行く。
実は意外と、あたしは城の連中に甘えていた。普段のあたしは割としっかりしていて人に頼るなんてことはない。しかし右も左もわからないこんな状況で、誰かに頼らずに乗りきるなんて出来そうにもない。しょっぱなから大泣きしてしまった以上、いまさら取り繕うことも出来ないし、なにしろ、あたしは"甘える"という行為自体に酔っていたのだ。こんなに気持ちいいことだなんて知らなかった。
言葉が通じない以上、感情を伝えるためには表情や態度で表すしかなかった。本当はそういう、自分をさらけ出すようなことは苦手だった。でも、やってみると案外爽快だということがわかった。まあここには感情の生き物のような小鬼がいるし、大体知らない人ばっかりだから、何を気にするものぞ、という感じが良かったのだろう。
おかげで感情の生き物と化したあたしは、ここでは"客"でも"女"でもなく、実質"ペット"扱いなんだと思う。それでもいいかなぁと思ってしまっているあたしがいる。
あの二人はどこにいるんだろう、と思いつつ歩いていると、白い狼に似た大型の獣を見つけた。ここの生き物は大抵人語を解すようなので、あたしはそれに訊いてみた。
「ねぇ、シュラどこか知らない? シュラ」
すると狼もどきは顎をしゃくるように頭を振った。
「それじゃわかんないじゃん。ちゃんと連れてってよー」
あたしは油断した狼もどきにどすんと飛び乗った。実は一度大型犬に乗ってみたかったんだ。ふふふ。
狼もどきは一度あたしを振り落とすように身体をねじったが、すっぽんのように張りついたあたしには落ちてやる気などない。結局狼もどきは諦めて走り出した。よしよし、いい子だ。
「シュラー」
たどり着いた部屋では、ちょうど良くリキも一緒だった。二人は申し合わせたようにぎょっとした顔をする。あたしはよくよく、この二人を驚かす運命にあるらしい。あたしは狼もどきから飛び降りて、一度ぎゅっと頭を抱くと、「ありがと」と言って奴を解放してやった。
シュラとリキはお茶の最中だったようだ。
「シュラとリキだけずるいよー。あたし、あたしにもっ」と自分を指差してジタバタしてやったら、苦笑したリキがお茶を淹れてくれた。
「シュラー、チェスやろう、チェスっ」
「スモモ」
机の上にどかっとチェス盤を置くと、迷惑そうな顔をしたシュラにたしなめられた。たぶん、お茶か遊びかどっちかにしなさいと言っているのだろう。しかしそんなことでひきさがる李さんではない。
「駄目、シュラ。チェスやるのー」
そう言ってあたしは駒を並べだした。シュラは諦めたように息を吐く。そうそう、せっかく難易度の高そうなシュラのほうを選んでやったんだから、ちゃんと相手をしてくれなきゃいかん。
結果は僅差であたしの負けだった。今まで負けたことがないだけに、かなり悔しい。しかも、シュラは結構余裕そうな表情まで見せていた。くそう、獅子は兎を狩るのにも全力を出すと言うに、こいつ手加減しやがったな。
「もうシュラはいいよ。リキっ」
機嫌を損ねたあたしはリキを手招きした。リキはにやりと笑んであたしの向かいに座る。ゲーム開始だ。
結果は惨敗だった。しまった、シュラより強いじゃないか、リキ。うああ、悔しいっ。あたしが頬をぷうっと膨らますと、リキは苦笑して、今度はクイーン、ビショップ、ルークを一つずつ除けて相手になってくれた。うむ、飛車落ち角落ちというやつか。
よいよい、余は満足じゃ。
遊び疲れたあたしは、部屋に戻って一眠りした。カタリ、という音で目が覚める。誰かが部屋に入ろうとしているらしい。しかしあたしは緊迫感というやつをまったく感じなかった。明かりは晧晧とついている。部屋の外にはたぶん、例の狼もどきがうろうろしていることだろう。つまり、不審人物が押し入るような雰囲気ではなかったのである。
しかし、その人物が部屋に入ってきた瞬間、あたしは我知らず大声を上げていた。
「うわああっ」
銀髪と銀の双眸を持ったそのにーさんは、全身血まみれだったのだ。まさに満身創痍という感じ。あたしの目の前まで来ると、にーさんはべたりと床に座った。観察するようにあたしを見ている。
こんなときどうすればいいかなんて、あたしは知らない。手当てをするべきなのか誰かを呼ぶべきなのか。でも言葉すらわからないのだ。混乱の極みに、気づけばあたしは泣き出す一歩手前だった。まったく、涙の制御装置は壊れっぱなしだ。
あたしが洟をずずっと啜ると、にーさんはひどく冷ややかに目を眇めてなにかを言った。
「――――」
むむ、やっぱりわからない。役立たず、とか言っているのかもしれない。涙を払って立ち上がると、あたしは布を濡らして持ってきた。この部屋はなんと、バス、トイレ、洗面所完備なのだ。誰のための部屋かは知らないけど、すごい贅沢。
にーさんと向かい合うように座って、あたしはにーさんの顔を拭っていった。さっきの切れるような雰囲気とは裏腹に、にーさんは大人しくされるがままになっている。顔の血は案外あっさりと拭い去られた。
「あれっ」
あたしは思わず間抜けな声を出した。にーさんの顔はすべすべだった。どこにも傷なんてない。
「ちょっと待て」
あたしは血の滴りそうなにーさんの上着を脱がせる。厚手の上着の下には、どこにも血なんかついていない。思わずあたしは確かめるように、にーさんの腕やら胸やらをべたべたと触った。
「びっくりさせないでよ……」
あたしは脱力してへたり込んだ。にーさんはどこにも怪我なんてしていない。これは全部返り血だ。ほっとしたあたしを見て、にーさんはあたしの勘違いに気づいたらしい。くくく、と笑い出した。
なんつう人騒がせな。睨んでやろうとして、あたしはとんでもないことに気がついた。
――ちょっと待て。てことはつまり、あたしは怪我もしていない人の服を引っぺがして、挙句、あちこち撫でまわしていたということか。
途端に悶絶しそうになった。シュラやリキよりも確実に、このにーさんはあたしに歳が近いと思う。そのことが余計に、気恥ずかしさを倍増させる。もう逃げたい。
気まずくなったあたしは、話題を変える術も持たない。最悪だ。そのときあたしはふっと思い出して、すももドロップスを取り出した。一個自分で食べて見せてから、えいとにーさんの口に放り込む。
「おいし?」尋ねてみると、
「スモモ」と返ってきた。
一瞬呆けて、あたしはうんと首を縦に振った。そうか、にーさんはきっと、誰かにあたしのことを聞いてここに来たんだ。
「うん、李。李だよ」とあたしは自分を指差し、「あなたは?」とにーさんを指差した。
「レイ」と柔らかな声が微笑とともに降ってきた。
レイを見送って半時ほどすると。
にわかに城内が慌しくなった。小鬼たちがわらわら現れてあたしの手を引く。彼らについていくと、城内の者がある目的地へ集結しようとしているところに合流した。
たどり着いたそこは、たぶん玉座の間とでも呼ばれているようなところなんだと思う。湯浴みしてさっぱりしたようなレイが玉座に座っていた。おお、王子様って感じだ。要人を護るように、傍にシュラとリキが侍っている。その様子を見るに、二人ともかなり階級が高いことがわかる。じゃあやっぱり、レイは陛下だか殿下だかいう人なんだろう。なんだか"王の帰還"って感じ。
ちらりと目が合うと、レイはあたしに向かってなにかを言った。あたしは首を傾げる。今度は手招きをされた。近くまで来いってか。
レイの傍まで行くと、彼はあたしの腕に軽く触れ、次いで肩をぽんぽんと叩いた。なんだろう。次にレイは、指先をあたしのおでこに当てた。急にその箇所が、いや、レイの指先が熱くなる。レイのさっきの素振りが、大丈夫、安心しろという意味合いだったと了解して、あたしはじっと我慢した。ぎゅっとつぶった目の奥がチカチカする。
ふっと圧迫感が消えた。
「スモモ……スモモ、聞こえるか?」レイの声に、
「う、うん」とあたしは返事をする。
……あれ。あれれれ? 言葉だ。言葉がわかる。感動したあたしは「ウォーター!」と叫んでやろうかと思ったけれど、馬鹿っぽいのでやめた。どうせこのにーさんらには、ヘレン・ケラーなんて理解できまい。
でも、感極まったあたしは手近な人に飛びついた。リキの首根っこに思いっきりかじりつく。これやってみたかったんだよなぁ。パパと愛娘って感じで。
「リキ、大好き!」
リキはびっくりしたように目を見開いて、それからあたしをよいしょと抱き上げて頭を撫でた。
「悪かったな。おれの召喚術が失敗しちまって」
……あれは半分リキの所為だったんですか。
「んん? リキってもしや導師様とか?」
「おう」
あたしは、人を見かけで判断してはいけないという教訓を得た。
「シュラは剣士だ。陛下の身辺警護を勤めている」
げげ。剣士はシュラの方だったんですか。それでやっと、あたしはシュラが怒っていたわけを理解した。そりゃ怒るわな。王様の留守中に、城内に変なのを入れるわけにはいかないもんなぁ。
あたしはリキからえいと飛び降りて、今度はシュラに抱きついた。
「シュラ、ごめんね!」
見上げると、シュラは妙な顔をしていた。なんだあたし。またなんかやったのか。
「なぜ、リキには『大好き』で私には『ごめん』なんだ?」
「い、いえっ。シュラも大好きですっ」
勢い込んであたしは答える。なんだそういう意味か。意外とこのにーさんの性格はわかりにくい。
それであたしはやっと、肝心の人を置き去りにしていることに気がついて、慌てて向き直った。
「レイ、ありがと」と言って握手を求める。
そんなあたしにレイは眉を顰めた。しまった。やっぱり陛下とか呼ぶべきでしたか。
「おれには抱きつかんのか?」
「はあ!? え、ええ、えっと」
あたしは目を泳がせる。勘弁してください。これでレイが中性的な美少年だったら、あたしは躊躇しなくてすんだと思う。しかし、流れるような銀色に惑わされずに良く見ると、結構レイは男っぽい容貌をしているのだ。そんなの、意識するに決まってんでしょうが。
「おまえも、おれが恐ろしいか」
「――は?」
なんでそうなっちゃうわけですかレイさん。もしかして孤独の王様とかそういう人でしたか。もう、このにーさんも結構わかりにくい。
「……あのねえ、あたしにとってはシュラやリキよりもレイのほうが歳が近いの。恋愛射程内に入っちゃうわけですよ。意識したり恥ずかしかったりしちゃうんですよ。おわかり?」
なにを力説してんだあたし。あああ、恥ずかしいっ。
やっと理解したらしいお三方は、肩を震わせて笑い出した。
なんだ失礼な。もう知らないっ。




