9.宮殿内の噂
しばらくの間は朝晩二回、浄化を行うことになり、翌日から朝晩の浄化と、浄化後の食事が日課になった。
フィーネの仕事は浄化のみだが、何故か浄化の後、ジークベルトから毎回食事に誘われる。
理由はよくわからないものの、フィーネにとってもその誘いは嬉しいもので、断る理由はない。
(毎日、太陽神様をモチーフにしたお部屋で食事をできるなんて、最高だわ!)
呪いを解くために必要な、呪いの核のある場所については、ジークベルトの方で調査を行っているようだ。
フィーネとしては、調査に加わりたいと思っているのだが、伝手もなく、土地勘もないフィーネにできることは少ない。
一旦、見当をつけてから改めて相談すると言われている。
フィーネも日中宮殿内を移動する際に呪いの核が近くにないか探してはいるが、見つからなかった。
(少なくとも、宮殿内にはなさそうなのよね……)
朝晩浄化が必要な程に、瘴気を集めているのだ。
そんな呪いの大本が近くにあったら、いくら宮殿内が広いとはいえ流石に気が付く。
(もっと他の場所も探せないかしら……)
彼らの調査を邪魔するつもりはないが、フィーネだから気づくこともあるかもしれない。
必ずしも役に立つと言えないため、強く主張はできなかったが、自分にもできることを探そうと、手始めにこの宮殿にある図書館から帝国の歴史や貴族についての本を借りて読ませてもらっていた。
そうして、帝国での生活に慣れてきていたある日のことだった。
借りていた本を返しに行こうと廊下を歩いていると、話し声が聞こえてくる。
向こう側の柱の陰で、どこかの貴族のお付きの侍女達が話をしているようだ。
彼女達のお仕着は宮殿内では見たことがない。
盗み聞きはよくないと思ったものの、話の内容が気になって彼女達に見つからない位置で足を止める。
「……陛下がご健康になられてよかったわよね」
「ご回復されてよかったわ。でも、元婚約者の侯爵家のご令嬢なんて、陛下がお倒れになってから一年もせずに婚約を解消されて別の方とご結婚なさったのに、こんなことなら待っていたのにと泣いておられるのですって」
「まぁ、はしたない。そんなに皇妃の地位が惜しかったのかしら」
「本当、そうよね。支えることはできなくても、せめて病に倒れられた陛下を、待つことくらいはできたでしょうに。そういえば、聖女様はまだ帰られていないとか。いつまでこちらにいてくださるのかしら」
「陛下の呪いは無事に解けたと聞いているわ。だからこそ陛下が気に入られてお側に置いておられるのでしょう?」
「まぁ! では、ご結婚を考えておられるのかしら」
「どうかしら……? どなたと結婚されるにしても、穏やかな方がいいわね」
側についてくれている侍女のカレンが申し訳なさそうな顔をしている。
カレンはフィーネにつけられた侍女で、この国に来て以来何かとフィーネのことを手伝ってくれていた。
黒髪に知的な緑の瞳で、年齢もフィーネとそう変わらないため、とても話しやすい女性だ。
(そんな風に噂になっているのね。でも、陛下の呪いは、まだ完全に解けていないのにこんな噂になって大丈夫なのかしら……?)
流石にジークベルト達がこの噂を知らないということはないだろう。
夕食時には顔を合わせる。
その時にでも聞いてみようと再び図書館を目指すのだった。
だが、ジークベルトと話をする機会は思ったより早くやってきた。
図書館の帰り道。
珍しくウィリアムをこの辺りで見かけたと思ったら、フィーネを見つけて近づいてくる。
「ミットフォート卿、どうなさったのですか?」
「フィーネ様。今お時間はございますか? 陛下より、執務室に来てほしいとのご伝言をお預かりしています」
「構いませんが……」
図書館で借りた本を持っていっていいのだろうかと思っていると、ウィリアムが言う。
「そちらの本は、誰かに部屋に運ばせておきましょう」
「お願いいたします」
「では、こちらに」
言葉の通りに、ウィリアムは執務室に向かう途中で従者の一人を呼び止めて、本を届けるよう頼んでくれた。
取り次ぎの侍従の案内で執務室の中に入る。
「フィーネ、突然呼び出してすまないな」
フィーネにソファに掛けるよう促しながら、ジークベルトも正面の席へと移動する。
「構いませんが、ご体調に変化がございましたか……?」
フィーネが呼び出される理由として、それしか思い浮かばない。
「いや。体調はいいくらいだ。むしろ、日々よくなっていっている気がする。全てフィーネの浄化のおかげだ」
「よかったです。もう少し体内の瘴気が減れば、浄化を日に一度に減らせるかもしれません」
「フィーネの浄化を受ける度に、この三年で一番体が軽いと思うのだが、まだこれ以上があるのだな。楽しみだ。そうなればフィーネの負担も減らせる」
「負担など思っておりません。私にも、呪いの核を見つける手伝いも何かできたらいいのですが……。そういえば、先程、陛下がすっかり元気を取り戻されたという話をしている方をお見かけしました。噂になっているようです」
「私が太陽の光を浴びて動きまわり、誰かに触れても何も起きないというだけで、皆呪いが解けたと思うものらしいな。噂については把握しているから、大丈夫だ」
「そうですか……」
「心配してくれたのだな、感謝する」
ジークベルトは一呼吸置いてから言う。
「それで、呼び出した件だが、以前、褒美にメルキオッレの作品を見せると約束しただろう。よければ、今から案内しよう」
「……っ! 嬉しいです!」
ジークベルトのエスコートで、宮殿内で立ち入ったことがない場所を進んでいく。
その道順は複雑で、帰りも道案内がなければ迷いそうだ。
「どちらに向かわれているのですか?」
「着いてからの楽しみだ」
結構な距離を歩き、ようやく辿り着いたのは、宮殿内の奥まった場所にある一室だった。
建物自体が古く、ジークベルトの私室やフィーネの部屋がある場所からは離れているが、王族の居室と言われても違和感がない。
しかし豪華な調度品は置かれているものの、人が暮らしているような気配はしなかった。
部屋の奥に控えめな扉がある。
扉の趣きからして、礼拝堂だろうか。
(流石、帝国皇帝。個人用の礼拝堂があるなんて……)
フィーネがそう見当を付けていると、ジークベルトが言う。
「この奥だ」
「何があるのですか?」
「自分の目で見てみるといい」
ジークベルトが扉を開けると、フィーネは息を呑んだ。
壁と天井、一面に神話を切り取った壁画が描かれている。
「これは、そんな……!」
フィーネの声に歓喜がにじみ、頬がバラ色に染まる。
一番目立つ天井には、創世神がこの世を作り、太陽神が世界に光をもたらし月の女神が夜の闇を優しく照らす姿があった。
そこから数多の神々が生まれ、壁面にはそうした神々が活躍する場面が色鮮やかに描かれている。
その筆致はまさしく、メルキオッレの作品だ。
「喜んでくれたようだな」
「……陛下! ありがとうございます! こんな素晴らしいものを見られるなんて!」
言葉をなくして壁画を見入っていたが、はっとしてジークベルトに礼を言う。
彼は目を輝かせるフィーネに満足げに頷いた。
「この壁画は今から約百年前……四代前の皇帝が作らせたのだと聞いている」
「四大前の皇帝陛下……メルキオッレに作品を依頼して遺してくださり、本当にありがとうございます……! あぁ、神々の姿がこんなにも色鮮やかに、美しく描かれているなんて!」
壁画を堪能し、ほうっと息を吐いて振り返ると、思ったよりジークベルトが近くにいた。
絵を傷めないため、少し薄暗い室内に佇むジークベルトは、メルキオッレの壁画から抜け出してきた太陽神のようでもあり、鼓動が早くなる。
(えっ、なんで私こんなに動揺しているの!? 陛下が、太陽神様にあまりにも似ておられるからかしら……?)
「も、もう少し壁画に近づいて見てもよろしいですか?」
「もちろんだ。好きに見るといい」
フィーネは慌てて、ジークベルトから一歩離れ、ドキドキする胸を押さえて息を吐くのだった。




