10.神絵鑑賞
気が付けば、ジークベルトに動揺していたことも忘れ、壁画に見入っていた。
そうしてフィーネは思う存分鑑賞した後、はっとして視線を地上に戻す。
(いけない! 一人の世界に入ってしまっていたわ……! 引かれていないかしら……?)
振り返ると、興味深げにフィーネを見ているジークベルトと目が合った。
「本当に、神々のことが好きなのだな。もういいのか?」
「は、はい! 申し訳ありません。観賞に集中しておりました」
「それだけ喜んでくれたのだろう。あれだけ上を向いていて、首は痛くないのか」
「大丈夫です……! しっかり心の英気も養われましたし!」
フィーネの言葉に、ジークベルトは少し笑う。
「隣の部屋にお茶の準備をさせている。少し付き合え」
フィーネに断る選択肢はない。
頷くと、先程見た豪華な部屋に移ることになった。
席に着くとお茶とお菓子が並べられる。
どれもとても美味しそうで、どれから手を付けようと迷っていると、ジークベルトが口を開く。
「フィーネが『推し』に目覚めたきっかけは何かあるのか?」
「私は幼い頃に両親を亡くし、女神様に加護をいただいていたことから神殿で育てられることになりました」
エルマーナ王国では、女神様の加護を持つ人が生まれやすい。
両親が亡くなったことで神殿に保護はしてもらえたが、女神の加護をいただいた人は、エルマーナ王国では珍しくなかった。
神殿で聖女としての魔術の使い方を学んでいる人の中には、生まれながらに高貴な身分の方もいる。
特にフィーネの代は、公爵令嬢も女神の加護をいただき、聖女として神殿に所属しておられたから、身分の差には厳しかった。
貴族出身の聖女達は平民出身の聖女に当たりがきつく、雑用を全て押しつけられたり、フィーネだけ食事を抜かれたりというようなことが何度もあった。
『推し』という心の支えが必要だったのはそんなつらい境遇を乗り切るためでもあった。
少なくとも、女神様に祈れば、祈っただけ力は増した。
直接、助けてくれることはなくても、フィーネを決して裏切ることのない存在が救いでもあったのだ。
ジークベルトにはそんな込み入ったことまで話すつもりはないが、なんとなく雰囲気で伝わってしまったかもしれない。
労るような表情を浮かべる彼に、フィーネは明るく言う。
「孤児になったのに、衣食住、保障されているだけでありがたいことでした。でも時々、ではなんで、私はひとりぼっちなんだろうって、女神様が加護をくださったのに、家族はどうしていなくなってしまったんだろうって思うことがあって……」
「それは……」
今でも、当時のことを思うと悲しくなる。
そんなフィーネに、ジークベルトも沈痛な表情を浮かべる。
「それで、当時の私は沢山祈ってみたのです。本気で祈ったら、女神様が答えてくださるのではないかと――」
「……加護を授かった理由がわかったのか?」
「いえ。そんな簡単に託宣を授けてもらえるならいいんですけど……。でも、祈れば祈った分、加護の力は強くなりました。だから、理由はわからないけど、女神様は私がひとりでも見守ってくださるんだなって感じたんです」
ジークベルトは静かに頷く。
「それで、女神様のことが好きになりました。それから、女神様のことを生み出された創世神様のことも推しになり、神殿に伝わる女神様のお話を調べていくうちに、太陽神様のことも好きになっていて、三柱の神々を推すことにしたのです」
「それで、月の女神だけではなく、太陽神と創世神も推しているのだな」
納得するジークベルトを横目に、フィーネはようやくクッキーに手を伸ばした。
縁に砂糖の塊がついており、バターの香りがたまらない。
味わっていると、再びジークベルトが疑問を投げる。
「フィーネのことについてもう少し聞きたいのだが、フィーネには両親はいなかったのか」
フィーネを気遣ったのか慎重に尋ねるジークベルトに、首を振る。
「小さい頃に亡くなったと聞いています。当時は幼かったので、事故としか聞いておらず、詳しいところはわかりません。あ、でも、母の形見が一つだけ残っていて。このネックレスです」
普段服の下に身につけている青い石付きのネックレスを取り出すと、ジークベルトは驚いたような表情をする。
「どうかされましたか?」
「いや、それとよく似たものを見たことがある……」
「似たもの?」
「手に取って見てもいいだろうか」
フィーネはネックレスを外し、ジークベルトに渡した。
「魔力を通しても?」
「構いません」
神殿に引き取られたばかりの頃、ネックレスに何か秘密がないかと、フィーネもやってみたことだ。
(ネックレスに秘密が隠されていて、その持ち主が女神様の加護をいただいた聖女なんて、物語の主人公みたいだもの)
物語の主人公なら、ある日誰かが迎えに来て、神殿から連れ出して「家族として暮らそう」と言ってくれるかもしれないと夢見ていた。
だが、もちろん、そんなことは現実には起きなかった。
それでも、家族とのつながりを示す、このネックレスは当時のフィーネを支えてくれた。
そんなことを思い出していると、ジークベルトの魔力に反応するように、ネックレスの青い宝石の中に王家の紋章が浮かび上がる。
「えっ、どうして……?」
「皇族の魔力にしか反応しないものだ。皇家に伝わる物のようだな。母の肖像画に耳飾りとして描かれていたものとよく似ていて、まさかと思ったのだが……」
困惑で何も言うことができないでいるフィーネに、ジークベルトは手元のネックレスを見て言う。
「フィーネの母君は、どういった方だったのだろうか。こちらを、どこで手に入れたとか、由来を聞いたことはあるか?」
「いいえ……。幼かったので詳しいことは……あっ、そうだ。一つだけ。青い宝石が綺麗だと、ほしいと言った時に『大切な方にいただいたからあげられない』と断られたのです。それ以上の話は、聞いておりません」
「そう、か。ひとまず、こちらは返しておこう」
ジークベルトの両親も既に亡くなっていると聞いている。
母の唯一の形見ではあるが、ジークベルトの母の肖像画に描かれており、魔力に反応したということは、彼にとっても形見であるだろう。
少し見ただけで、肖像画の物と似ていると思うくらいだ。
ジークベルトにとってもこのネックレスに使われている石は思い入れがあるのだと思う。
なのに、ネックレスをフィーネの物として取り扱ってくれる優しさに、フィーネは思わずジークベルトを見つめる。
「……よろしいのですか?」
「構わない。ただ、このネックレスが、どうしてフィーネの亡くなった母の手に渡ったのかは調べたい。そちらを調べることは、許可してもらえるか?」
宮殿で管理されているはずの宝石が他国に渡っているなど、余程のことがあったのだろう。
理由が気になる気持ちもわかり、フィーネは頷いた。
「……母のことについて、何かわかりましたら私にも教えてください」
「調べた結果は、必ず伝えよう」
ジークベルトは席を立ち、フィーネの背後にまわる。
「えっ、あの、陛下? 自分でできますよ?」
「遠慮は不要だ」
「そ、そういう意味ではありません」
この距離でネックレスをつけてもらうなんて、なんだか気恥ずかしい。
ネックレスがつけられジークベルトが離れたところで、フィーネは赤くなった頬を誤魔化すように、入れ直された紅茶を味わう。
(お母さんは、帝国に関わりがある人だったのかしら……)
ジークベルトの母とは、どんな繋がりがあったのだろう。
無理矢理、心を落ち着けようとそんなことを考えてみるが、中々早くなった鼓動は治まらなかった。




