表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

4-1

「詩織〜〜。今回の物理の小テスト難しかったね」

「うん。この感じだと、期末のテスト不安だよね」


 物理の授業が終わり、黒板に合格者の紙が掲示される。今回の合格者は学年で5人だけらしい。理央と一緒に合格者の名前を確認してみる。


「このクラスに合格者はいないね…。あ、やっぱり黒川君の名前がある」


 こうやって数少ない合格者に名前が載るから、黒川君は有名になるんだなと感心する。そしてもう一人、知っている名前があることに気づく。


「瀬戸君も合格してる…」

「本当だ!瀬戸君ってそこまで真面目なイメージなかったけど、頭良いんだね」

理央も瀬戸君の合格は意外だったようだ。


「こんなに頭良いのは知らなかった……。でも瀬戸君、図書委員会の仕事もちゃんとしてくれるし、結構親切な人なんだよ」


 不気味な色に腫れていた私の左手首は、すっかり良くなった。委員会の仕事を中断して、瀬戸君が保健室に連れて行ってくれたおかげだと思う。

 他人からこんなに自分の事を心配されるなんて、初めての経験だった。

そんな事もあり、私の中で瀬戸君は遊び人で軽い人の印象からガラリと変わった。ただ、自分の中で瀬戸君の存在を、どう呼んで良いかわからない。


「え、それって…」

「恋愛的な意味はないからね」


 瀬戸君に対して恋愛感情がないことは、顔が広い理央には強調して伝えておく。私はまだ、黒川君への思いを断ち切れていない。

 私は本気でその気はないのに、理央ははいはい、と半分冗談にしか聞いてくれなかった。



 木曜日の委員会、いつものように黙々と図書の返却作業を進める。窓の外では雨が音を立てていた。水気を含んだ室内で、隣に座っている瀬戸君から心地よい濃度のムスクの香りが鼻を抜ける。


 知っている名前があると目につくのはなぜだろう。

手に取った本の利用者は、目の前にいる彼の名前だった。ちょっとした好奇心でタイトルを見ると「力学」という文字が目に入る。


 ふとこの間の物理の試験で、数少ない合格者であったことを思い出した。


「瀬戸君って物理得意なの?」

なんとなく聞いてみる。

 そんな私の問いに、瀬戸君が戸惑った表情しながら顔を上げた。その表情から、自分が突拍子もない話をし出したことに気がつく。

 何も考えずに思ったことを言ったことに、後悔した。


「この間の物理の小テストで合格者だったの見たから……」


 取って付けたような、重苦しい言い訳を並べる。普段は気にならない無言の間が、自分の会話の下手さでいつもより長く感じた。


「あぁ、どちらかと言えば好きなほう」


 いつもだったら何か冗談を言いそうなのに、返ってきたのは素っ気ないものだった。


「瀬戸君って、努力家なんだね。難しそうな本読んでるし、私は物理苦手だから尊敬する」

「あ……うん」


 歯切れの悪い言葉に、自分が口にした言葉に再び後悔した。自分が借りていた本が何か確認していたなんて、人によっては土足でずかずか入ってこられた気分になるかもしれない。


「ごめん。借りてた本とか知られるの嫌だったよね」

「いや、別に……」

咄嗟に謝ったが、取り留めのない返事しか返ってこない。

 こんな話するんじゃなかった。自責して頭がいっぱいの私には、瀬戸君が赤くなった顔を手で隠していたなんて、知る由もなかった。



 図書委員の仕事が終わり、荷物を取りに教室に戻る。教室の窓から見える景色は、曇り空でどんよりしている。

家を出た時は晴れていたから、傘を持ってきていなかった。ちゃんと天気予報を見ておけば良かった。窓を開けて手を伸ばすが、水が落ちてくる感覚はない。さっきは降っていたが、なんとか濡れずに帰れるだろうか。


 早めに帰ろう。そう思って急いで帰り支度をしたが、間に合わなかった。

下駄箱に着いた頃には、バケツをひっくり返したように雨が降っていた。この雨では傘をささずに歩くのは厳しいだろう。


「傘、忘れたのか?」

「え」


 どうしようと下駄箱で突っ立っていると、急に背後から声がする。振り返ると黒川君がいた。黒川君がいるとは思っていなかったから、驚いた声をあげてしまった。

 話しかけられるのは体育で一緒だった時以来だ。そんな小さなことを覚えている自分に、黒川君への気持ちを嫌なほど自覚する。


 黒川君は黒い折りたたみ傘を持っていて、ばっとそれを広げた。


「一緒に入る?」


 真っ直ぐ私を見て問いかける。その黒い傘に、私と黒川君の2人で入る姿を想像した。黒川君が手にしている折りたたみ傘は、通常の傘よりサイズが小さく2人で入る分には不十分すぎる。


「折りたたみ傘だし、悪いよ。黒川君が一人で使って」

「じゃあ、詩織はどうするの」

「それは……」


 まるで、私が黒川君と同じ傘に入る以外の選択肢はないような言い方だ。


「遠慮しなくていいから。一緒に行くよ」

「え…っと」


 返事をする間もなく黒川君は歩き始める。数歩歩いたかと思ったら、立ち止まって振り返り、下駄箱にいる私の方をじっと見つめる。どうして良いのかわからず、その場から動けない。


「は・や・く」

雨の音で聞こえないが、口の動きからそう言ったことが理解できた。


 私が進まない限り、黒川君は動かないつもりだろう。

黒川君は、私と肩を並べて歩いても大丈夫なのかな。誰かに見られるとか、そういうことは気にしないのだろうか。

 それとも、私だから言ってくれているのだろうか。はてなを頭に沢山浮かべながら、えいっと黒川君のいるところまで駆け足で向かう。


「黒川君、ありがとう」

「傘を差さずに帰るの分かって、一人で帰られるわけないだろ」


 半分傘に入らせてもらってお礼を伝えると、黒川君は淡々とそう言った。

期待で膨らんだ心臓が、ばらばらになって簡単に崩れていく。


 彼は困っている人がいれば助ける。それだけのことをしたまでだ。

“偶然“私が困っていたからであって、“私だから“助けてくれたのではない。その一言で現実を知るのは十分過ぎた。



 それでも二人で一つの傘を使うと、自然と距離は近くなる。現実を思い知ったはずなのに、大雨の音に負けないくらい、自分の心臓はうるさいままだ。

 隣に歩く黒川君をチラッと盗み見する。真っ直ぐ前を向いていて、私のことなんて何も気にしていないようだ。


 並んで歩いていると昔のことを思い出す。

付き合っていた頃は、彼の歩幅に追いつくのが大変だった。だけど今は、自分の歩幅で歩けている気がする。


「……詩織、遅くまで残っていたんだな」


 駅に向かう途中で、沈黙を破ったのは黒川君の方だった。


「今日は図書委員だったの」

「図書委員って確か瀬戸と一緒だっけ?」

「そうだよ。黒川君って瀬戸君と仲良いよね」


委員会の話をしていて、ふと思い出した。


「そういえば、最初は黒川君が図書委員会って噂が流れてたよ。どこから出た話だったんだろうね……あ、電車もうすぐきそうかも。」


 駅に着いて電光掲示板を見ると、あと数分で電車がくると書いてあった。


「あの電車、乗るか」


 そう言って黒川君は手際よく傘を閉じる。駆け足でなんとか乗りたい電車に乗れた。


「黒川君は今日は生徒会だったの?」

「あぁ。もうすぐ文化祭の準備期間に入るからその打ち合わせ」

「そっか、もうそういう季節か」


 私たちの学校は夏休み明けに文化祭が行われる。夏休み前は期末テストがあるため、梅雨の時期から細々と準備を始める。まだ数ヶ月先のことだが、あっという間にその日は来るだろう。


「黒川君のクラスは去年何かやった?」

「うちは縁日」

「縁日かー、楽しそう」


 こうやって文化祭の話をしていたら、あっという間にお互いの最寄駅に着いた。駅から出ると、雨は止んでいた。


「そんなに距離ないから、家まで送るよ」


 そう言って黒川君は、自分の家とは逆方向の私の家まで一緒に歩いてくれる。一緒にいられる時間が長くなったことに、少し嬉しくなる。


 雨が降っていた名残りか、道は土の匂いがする。いつの間にか、道端には紫陽花がふっくらと淡い色の花をつけていた。黒川君の言う通り、私の家は駅から近いので5分も歩けば、自分の家が見える。


「あのさ、」


 そろそろお別れかなと思った時、黒川君が口を開いた。


「俺がもともと図書委員会だったのは本当だよ」


 一瞬何の話かわからなかった。帰り道の記憶を辿り、電車に乗る前の話のことだと思い出す。


「詩織が図書委員会やるだろうと思ってたから」

 予想もしなかった言葉に、黒川君の話たことがスッと入ってこない。

なんと返事をするのが正解なんだろう。黒川君の表情はいつもと変わらず、何を考えているのかわからなかった。

 吊り目気味の目が、私を真っ直ぐ見つめる。

何も言えない私に、黒川君は構わずに話し続ける。


「一緒に委員会できると思って、立候補した。結局ダメだったけど」

「……詩織とまた、話せたら良いなって思ってた」


 最後の言葉は、少し寂しそうに聞こえた。


 じゃ、と言って黒川君は駅の方へ戻っていく。彼の言葉を何度か頭の中で反芻する。何度考えても、どういう意味で汲み取れば良いのかわからなかった。

黒川君が図書委員だったのは事実で、図書委員会に立候補した理由が私ーーそういうことで合っているのだろうか。自分の都合の良いように、黒川君の言ったことを受け取っても良いんだろうか。


 落ち着いたと思った心臓が、またどくん、と音を立てた。


<瀬戸side>

 この間行われた物理の小テストの結果が、教室の黒板に張り出された。学年で5名しか合格者がいないらしく、今回は難関だったようだ。

授業が終わり掲示されている紙の前に、クラスメイトがわらわら集まる。


「さすが黒川君、合格者に名前載ってる」


 聞こえてきたのは、黒川が合格者だということだった。その事を耳にしたクラスメイトは、凄いなと黒川に対して感心している様子だ。


「……あれ、もう一人瀬戸の名前があるんだけど!」


 別の奴が俺の名前が書かれているのを発見したらしく、驚いて言った。どうやら俺も小テストの合格者だったらしい。


「瀬戸、こんなに頭良かったけ?勘冴えすぎじゃない?」


 いつも一緒につるんでいる内の一人が、笑いながら言う。周りの奴らもお前が?みたいな目を向けている。


「……選択問題多かったし、まぐれだわ」


 本当は真面目に解いた結果だったが、ぐっと堪えた。


「だよな〜!瀬戸が上位とかウケるんだけど」

「瀬戸が真面目とか似合わないし、ビビったわ」


 そう返せば、みんな納得した様子になった。

ーーどうして、黒川が合格するとみんな当たり前に実力だと納得するんだろう。

俺だって、それなりに勉強をした。同じ合格なのに、黒川と俺の周りの言われ方の違いに少しイラついた。



「瀬戸君って物理得意なの?」

 図書委員の仕事中、早見さんにそう聞かれたとき、またかと思った。彼女は俺にどんな答えを求めているのだろう。

早見さんの大きな黒目が、じっと俺を見つめる。


「あぁ、どちらかと言えば好きなほう」


 先日クラスの奴らに黒川と比べられたことを思い出す。出てきた言葉は、素っ気ない返事となった。


「瀬戸君って、努力家なんだね。」


 蔑みなんて一切なく、彼女は真っ直ぐこっちを見て言った。その言葉を聞いた時、体の中にあった氷塊がじわじわと溶け出した。


 誰にも言われたことがなかった。そして俺は、この言葉をずっと待っていた気がする。

自分が誰かに言われたかった言葉だったと、その時気づいた。


 黒川みたいに真っ直ぐで、堂々といられるほど、素直な性格は持ち合わせていなかった。だけど、自分の中の好きなことは譲れなかった。

彼女の言葉で、クラスメイトからの揶揄いは頭の中から消えていた。


 早見さんの嘘のない笑顔は、凍えるような氷山に差し込んだ、暖かな陽だまりのようだった。

気づけば、自分の顔に熱が集中している。その姿を見られるのが恥ずかしくて、手で顔を覆った。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ