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SNSを特にやっていなかった私は、学校で黒川君の彼女とアピールするのに必死だった。
まずは部活の朝練で早い黒川君に合わせて、朝早く一緒に登校するようにした。朝に時間ができた私は、前より本の虫になった。それから少し勉強をするようにした。
優秀な黒川君と同じ高校に行けたのは、朝に勉強するようになったからだろう。放課後は図書室で時間を過ごして、黒川君の部活帰りを待ち、一緒に帰った。
「それでね、お母さんに今度イヤフォンを買ってもらうんだけど有線コードか無線コードで迷ってて」
「万博のニュースみた?建物傾いていて、いつ倒れるんじゃないか心配だよね」
「黒川君がバスケ部だから、この間テレビでバスケの試合みたよ」
一緒に過ごせる唯一の時間である、登下校の道中では私ばっかり話していた。
周りから見たら、毎日一緒に帰っているカップルは上手くいっているように見えるのだろうか。私は黒川君と付き合うまでは、そんなカップルが羨ましいと思っていた。
だけど私の現実は真反対だった。黒川君と私に流れる沈黙が怖かった。だから私は、取り止めのない、どうでも良いことをずっと話していた。
くだらない話に黒川君は相槌は打ってくれるが、自分から何かを話すことはなかった。
ふとした瞬間、人形に話しかけているような気分にもなったこともあった。私はからからの空気に、必死に投げる言葉を探していた。
会話だけじゃなくて、デートの誘いも私からばかりだった。並んで歩く時、肩の距離も一向に縮まらなかった。
それでも私は、“あの黒川君と付き合えたから“と、そう言いきかせて悲しい気持ちに蓋をした。
黒川君と私は進展も後退もないまま、夏休みに突入した。変わったとことと言えば、黒川君は私のことを苗字ではなく、名前で呼ぶようになった事かもしれない。
夏休みに入る前、隣の市でやっている夏祭りに誘った。意外にも、いいよと黒川君はすぐに返事をしてくれた。
『少しでも可愛く見られるように』
そう考えた私は、ピンク色の花が咲いた浴衣をお母さんに買ってもらった。
夏祭り当日、下駄を履いて電車に乗る。普段履きなれていないからか、カラン、カランと歩く度に大きな音が鳴ってしまう。
「黒川君!お待たせ」
「詩織、浴衣似合ってるね」
駅で待ち合わせした黒川君と合流する。その言葉を聞いた途端、胸が弾んでここに来るまでの苦労がすっと消えていった。
「……っ、ありがとう」
黒川君を見上げると、とても優しい顔をしていた。ずっと胸の奥に潜んでいた黒い塊が、さらさらと溶けていく気分だった。
だけど幸せを感じることはできたのは、ほんの一瞬だった。すぐに私は地獄に落とされる。
お祭りは屋台が並んで賑わっている。
鉄板焼きの美味しそうな匂いや、すれ違う子供の甘い綿飴の匂い。普段は聞かない笛の音の音楽。好きな人と並んで歩くと、目に入るもの全てが新鮮に見える。
しばらく歩くと、射的の出店があった。
「詩織、射的やってみても良い?」
黒川君が私に頼み事をするなんて珍しい。射的に一緒に挑戦してみたけど、私は全然ダメだった。黒川君はとても上手で、景品をゲットしていた。
景品を受け取った黒川君は、私の手にぽんと何かを手渡した。
「これ、景品でもらった。詩織よく本読んでいるから」
私の手のひらに、金属製でできた本の栞がある。栞は照明に反射してきらきら光っていた。繊細な鈴蘭の柄がとても綺麗で、一目見て気に入った。
「ありがとう。ずっと大事にするね」
それを聞いた黒川君は、頭を掻いて、少し照れくさそうな顔をしていた気がする。なんだかいつもの私たちとは違って、心地よい温度で包まれているようだった。
昔からこのお祭りに行っていた黒川君は、花火の穴場スポットを知っているらしい。花火が見える場所へ足を進めていくと、混雑が緩和されていく。
慣れない下駄のせいか、足の指がじんじんと痛むが歩けないほどではない。私が我慢すれば大丈夫だ。人が行き交う中、青い浴衣の綺麗な女の人が目に入った。背の高い男の人と一緒にいて、左手にりんご飴を手に持っている。
その人が振り返って顔が見えた瞬間、息をするのを忘れてしまった。
私が綺麗だと思った人は、真壁さんだった。そして真壁さんに気がついたのは、私だけじゃなかった。
一緒に歩いていた黒川君が立ち止まる。黒川君を見上げれば、彼も真壁さんがいる方向を見ていた。
ーーやだ、行かないで。
黒川君の心が真壁さんの方に行ってしまう気がした。
咄嗟に、黒川君が着ているシャツの裾を掴む。
裾の引っ張りに気づいた黒川君が、やっと私の方を見る。目が合ったはずなのに、黒川君の目は深く黒く、私が映っていないようだった。
黒川君は私がはぐれそうになって、裾を掴んだと思ったのだろう。私の右手が、黒川君の左手で包まれた。
黒川君と初めて手を繋いだ。それなのに、黒川君の手がすごく冷たくて泣きそうになった。
私の手を握ったまま、黒川君はまた歩き始める。足先は歩く度に痛みがじんじんと増す。足の痛みか、胸の痛みか、何か口にしたら涙が出てしまいそうだった。何も話す気になれず、私たちの間に無言が続いたまま、下駄の音がやけに響いていた。
黒川君についていって歩き進めると、人と通りの少ない、ひらけた場所に着いた。そこにはぽつんと、バス停とベンチがあった。
「此処、花火が良く見えるんだ」
いつもと変わらない声でそう言って、黒川君は目の前のベンチに腰がける。つられるように私も座った。私がベンチに座っても、黒川君は私の手を離さない。
ドンッ……!!
座って間もなくすると、大きな音をあげて花火がうち上がる。赤色、青色、オレンジ色。色とりどりに暗闇に咲いた花火はとても綺麗だった。
*
「黒川君、ちょっと公園寄って行かない?」
最寄駅に着いて私がそう言えば、あぁ、といつも通りの返事が帰ってくる。花火を見ながら、私はもう、心が限界なんだと気がついた。
公園のベンチにれば街灯の光で、下駄の紐で靴ずれした自分の足の指が目に入る。親指と人差し指の間が擦れて赤くなっていた。この日のために浴衣とお揃いにした、ピンク色に塗られた爪より赤い。
私は黒川君に足が痛い事も言えなかった。どうでも良いことは話せるのに、いつから自分の気持ちを話せなくなったのだろう。
ちらっと黒川君を見ると、真っ直ぐと遠くを見つめていた。
ーーその頭の中で、今は誰のことを考えているの?
声に出さずに黒川君に問いかけると、鼻の奥がツンとした。
「私たち、別れよう」
自分が想像していたよりも、私たちの間にしっかりと言葉が響いた。
日に日に黒川君への想いは膨らんでいくのに、その分一緒にいるのが辛くなる。こんな残酷な矛盾があるのだろうか。
「……黒川君が、私のことを好きじゃないことは最初からわかってたよ。付き合ってくれたのはびっくりしたけど、正義感が強い黒川君は私のために沢山無理をしていたよね」
一緒に歩いた登下校の時間、どんなにくだらない話をしても文句を言わずにいてくれた。ちゃんと一緒に歩いてくれた。名前を呼んで、距離を縮めようと努力してくれた。今日、一緒に夏祭りに来てくれた。
それが好意ではなく、黒川君の責任感で成り立っていたことは、わかっていた。
私はその状況に甘えていて、見ないふりをしていた。黒川君の本当は誰を好きなのか、そして自分がそのことに傷ついていることも。
黒川君の優しさに触れる度、傷口を抉られるような気分になっていた。
「私は黒川君みたいにできた人間じゃないから…。無理をさせている黒川君を見ていると、自分が惨めな気分になるの。黒川君のこと、好きだよ。だから辛いのかも」
黒川君はどんな顔で、私の言葉を聞いているんだろう。顔を見てしまったら言葉に詰まりそうで、私が自分の赤くなった足の指を見ることしかできなかった。
「……今までありがとう。これからは好きな人を、ちゃんと好きでいて大丈夫だよ」
じゃあね、と涙が溢れる前に立ち上がる。
「詩織のこと、好きになりたかったんだ」
いつもより弱々しい声で黒川君が呟いた。
私が憧れていた黒川君の正義感が、心臓にグサリと貫通した。堪えていた涙が、決壊したように一気に溢れ出す。
私はその場を逃げ出すように家に帰った。
こうして私と黒川君の付き合いは、夏の終わりと一緒に終わりを迎えた。




