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2-1

 中学三年生の4月、黒川君が転校生としてやってきた。親の仕事の事情で、隣の県から引っ越してきたんだと自己紹介の時に言っていた。

 彼の真面目な性格と社交性の高さで、すぐに黒川君はクラスの人気者になった。見た目もカッコ良いことが相まって、女子からの人気も高かった。


 クラスメイトから信頼の厚い黒川君と、地味な私とはそこまで接点がなかった。しかし偶然にも席替えで隣の席になった。


「あー……」


 ある日の、数学の授業が終わった後だった。黒川君は誰にも気づかれない小さな声で残念さを含んで呟いた。

何があったんだろう、と思って横を見ると、ノートを広げてシャープペンを握っている。

 前を見れば、係の人が黒板に書かれた数式を消していた。

黒川君、板書を写すのが間に合わなかったのかな。


「黒川君、私ので良ければノート写す?」

「本当?助かる、ありがとう」

「きょ、今日中ならいつでも返してくれれば大丈夫だから」


 成績優秀な黒川君に、自分のノートを見せるのが今更恥ずかしくなってきて、少し後悔した。



「早見さん、ノートありがとう。本当に助かった」


 今日の最後の授業が終わった後、黒川君から貸したノートを受け取る。


「大したことじゃないから、気にしないで」

「早見さんって字、すごく綺麗だね」


 思いもよらなかった言葉に動揺してしまう。


「あ、ありがとう」


 どうしよう、私、顔が真っ赤かもしれない。悟られたくなくて、ばっとノートを受け取ってしまったことを後悔した。

 帰り道、黒川君の言葉を何度も頭の中で反芻した。字が綺麗なんて、誰からに言われたことがないからだからか。それとも、人気者の黒川君が言ってくれたからか。

 どっちの理由かわからないけどその言葉が嬉しくて、思い出そうとすると自然に顔に熱が集まっていくようだった。


 きっかけは、そんな、些細なことだ。それから私は黒川君を自然と目で追いかけるようになった。


 黒川君に対して他の人とは違う気持ちなのに、正体はよくわからないまま、変わらない日々を過ごしていた。


 ある日の放課後、先生に雑用を頼まれた帰宅部の私は職員室に寄ってから教室に戻った。ほとんどの生徒は部活に行っていて、廊下はしんとしている。

 歩くたび上履きが廊下をする音が、キュッ、キュッとやけに響く。長い廊下にポツンと一人、窓の向こうを見ている人がいた。


 背が高く、きっちりと首の後ろで長さが揃った黒髪の彼を見間違えるわけがない。

ーーそこにいるのは黒川君だ。


 普段なら偶然会えたことにラッキーだと気分があがるはずなのに、なぜかこの時は胸がざわざわしてくる。

それは多分、黒川が今までに見たことがない表情だったからだ。

 いつも明るい笑顔で爽やかな黒川君の欠片は見えず、じっと一点を見つめている。なんだか少し寂しそうな雰囲気を纏っていた。


 彼の視線の先を追って窓を見ると、中庭でスケッチをしている子がいた。

彼の視線の先にいたのは、美術部の真壁さんだった。


 その事実に気づいた瞬間、世界は一瞬だけ色を失った。


「……黒川君」


 自分の声が、いつもより遠くで聞こえる。


「あ、早見さんまだ帰ってなかったんだ」


 ーーこっちを見てほしい。そんなことを考えながら声をかけると、びっくりした様子で黒川君が振り向いた。


「うん、先生に仕事頼まれてこれから帰るところ」

「そっか、お疲れ様。また明日ね」

「うん、バイバイ」


 帰り際に一言でも話せたことが嬉しいはずだった。それなのに黒川君の視線が真壁さんを辿っていたことの悲しみが、どんどん侵食していく。


 窓を見ると、さっきと同じくスケッチを続けている真壁さんの姿が見える。肩の下まですとんと伸びた髪は、一つに束ねられている。

真壁さんは可愛くて、絵が上手で、誰にでも優しい人だ。私は真壁さんが持っているものを、どれ一つ持っていない。


 その事実に、胸がじゅくじゅくと痛んでいく。真壁さんに勝ち目なんてないな、と思った自分に、いつの間にか黒川君のことを好きになっていたんだと気がついた。


 黒川君のことが好きだと気づいても、何をして良いのかわからないまま、時間が過ぎていった。席替えをして席が離れてしまったら、黒川君との接点はほとんどなくなった。

 そんな日々のなか、私は黒川君を目で追いかける癖がついた。その中で気がついたことがある。黒川君も私と同じように誰かを視線で追っていた。

 黒川君の視線の先には、いつも真壁さんがいるように見えた。



「真壁さん、バスケ部の先輩と別れたんだって」


 彼女の噂話を耳にしたのは偶然だった。休み時間にトイレに並んでいると、後ろに並んだ別のクラスの子の会話が聞こえてきたからだった。


「まじで?」

「うん。インスタの彼氏との写真も全部消したみたいだよ」


 心臓がばくばくと音を立て始めた。

どうしよう。どうしよう。真壁さんが黒川君のものになってしまうかもしれない。真壁さんの噂話を聞いた私はそればかり考えていた。


 真壁さんが別れたと聞いた日の放課後だった。図書室で本の返却をして教室に戻ると、黒川君がいた。私たち以外はいない、つまり教室で2人きりになった。

 人が少ない教室は、ぽつんぽつんと机と椅子があるように見えて、やけに広く感じる。部屋の窓から入る夕焼けの光が黒川君に影を落として、いつもより大人っぽく見えた。


 席替えをしてから、黒川君とはほとんど接点がなくなった。

 二人きりになれたこの瞬間が、なんだか特別なものに感じる。偶然が重なって、神様が私に味方をしてくれている気分になった。だから告白するなら今しかないと確信した。真壁さんが彼氏と別れたことを黒川君が知る前に、今、言ってしまおう。


 自分の席で帰り支度している黒川君に一歩ずつ近づいて、目の前で立ち止まる。


「早見さんどうかした?」


 突然近づいてきた私に、黒川君は不思議そうに言う。どくんどくんと、私の心臓は大きく波打っていく。緊張で唇が乾き、張り付いてる。


「……黒川君」


 口から出た声は、震えていた。


「……好きです、付き合ってください」


 やっとの思いで気持ちを言い切る。黒川君がどんな表情で聞いていたのか、見る余裕なんてなかった。

シーン、と教室は静寂に包まれる。自分の心臓は今にでも喉から飛び出そうだ。


「……うん、いいよ」


 実際は1秒とか2秒だったかもしれない。けれど私には何倍にも長い沈黙に感じた。予想もしなかった返答に黒川君の声に顔を上げると、優しい顔をして微笑んでいた。


「ほ、んとに、いいの?」

「うん。よろしく早見さん」


 次は直ぐに返事が返ってきた。


『黒川君が誰かの彼氏になるのは嫌だ』


 そんな気持ちが、私を告白するまで突き動かしたのだった。

こうして私と黒川君の付き合いは始まった。

 告白した時、返事にどうして間があったのか。理由はなんとなくわかる。だけど、私は気づかないふりをした。


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