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今日は木曜日。初めての委員会の当番の日だ。図書委員の仕事は、返却された本の処理が主な業務になる。作業する部屋の司書室に入ろうとした時だった。
「2組の早見さんだよね…?」
廊下で、知らない人に声をかけられる。履いている上ばきの色をみると、私と同じ色だったから同級生だ。きちっと整えられた前髪と、大きな瞳から生えているくるりと上向きのまつ毛、ぷるぷるとした血色の良い唇。私と正反対な彼女は多分、クラスでは一軍と呼ばれる人たちだろう。
「はい、そうですけど…」
そんな人がなぜ私に声をかけるのか。疑問が浮かぶ。
「今日図書委員だよね?私代わりにやっても良いかな?」
「え…っと、図書委員の方ではないですよね?」
こんな可愛い人が図書委員であれば、この間の委員会で覚えているはずだ。
「うん。でも手伝いたくて。今日はもう一人、瀬戸君が担当でしょう?」
彼の名前を言われて、パズルのピースがハマるように合点がいった。そういうことか。彼女は瀬戸君と一緒にいたいから、私に声をかけたのだろう。
「でも、そういうことしても良いのか私にはわからないですし…」
「はぁ?そんなのあたしが上手く言っておくから」
「ただ、私には…」
委員会の代理をするなんて、聞いたことがなかった。私が渋ると、彼女の口調はどんどんヒートアップする。だけど私だって図書委員は、譲りたくなかった。
「なんなの、とにかく代わってよ。」
「でも、私…「あれ、美玖ちゃん?」
突然背後から声が聞こえた。声がする方を向けば、瀬戸君が不思議そうな顔をしてこちらを見ている。
「あ、春翔君…!」
この子は“美玖ちゃん“というらしい。自分の名前が呼ばれたことに気づいた彼女の声が1トーン上がった。さっきまで話していた私を視界から消えたように、瀬戸君に駆け寄って、彼の左腕に自分の腕を絡めはじめた。
「こんなところで何しているの?」
瀬戸君は拘束された左腕は気にしていないようで、“美玖ちゃん“と話し始める。
「春翔君が今日図書委員会の当番って聞いて、私も一緒にやりたいなって」
「未玖ちゃん図書委員じゃないでしょ」
「だから、早見さんに代ってもらおうかなって」
「それってアリなの?」
「誰かがやっていれば良いんじゃない?だから早見さんに頼んでみたんだけど、なんか代わるの嫌とか言ってて」
二人は私のことなんて空気のように、話し続ける。目の前で広がる会話に、無性にイライラした。二人の距離感も相まって、私が邪魔者だということがひしひしと伝わってくる。
ただ委員会に来て仕事をしようとしただけなのに、なんで私が邪魔者扱いされなきゃいけないんだ。
「あの!」
自分が想像していたより、大きな声が出ていた。その声に二人の目が私を見つめる。
「……私、一人でやるので大丈夫です」
私の発言が意外だったのか、シーンとなり気まずい雰囲気が流れる。二人がどんな表情をしているのか、確認する勇気はなかった。
「そういうことなので」
逃げるように司書室の扉を開けて、部屋に入る。胸を押さえてふー、と深く息を吐く。気分は最悪だった。やっぱり瀬戸君って人は、噂通りにチャラくてテキトーな人だった。
でも、そんな人を無理矢理仕事に付き合わせるより、自分一人で仕事を片してしまった方が気分的にも楽だ。こんな気持ちになるんだったら、瀬戸君じゃなくて黒川君が図書委員の方が何倍も良かった。
*
返却された本を図書室へ取りに行き、台車を押して司書室に戻る。扉を開けると誰もいないと思っていた部屋に、人がいる。
「…せ、とくん」
そこにいたのは、既に帰ったと思っていた瀬戸君だった。
扉が開いた音で、私のことに気がついたのだろう。瀬戸君は手にしている『図書委員作業マニュアル』と書かれたクリファイルから顔を上げた。私のことをチラッと見ると、立ち上がってきて、一歩ずつ私の方へ近づいてくる。
「早見さん、さっきはごめんね」
「……“美玖ちゃん“とは、一緒じゃなくて良いの?」
さっきの惨めな気分と、小さな怒りが迫り上がってくる。嫌味がこもった私の言葉は気にしていないのか、瀬戸君は歩みを止めない。
瀬戸君が踏み出す度、私たちの距離はどんどん狭くなっていく。距離が近くなる程、背の高い瀬戸君を見上げる角度が高くなる。
「うん、説得しておいた。だからさ」
私たちの距離は、あと一歩進んだら、肩がぶつかってしまいそうだ。そこまで来てやっと立ち止まった瀬戸君は、私の目線に合わせるように体を落とす。綺麗な顔がぐんと近づいた。
「一人で大丈夫なんて、寂しいこと言わないでよ」
その時私は初めて、彼の瞳の色が琥珀色だと知る。目の前にある瞳は、真っ直ぐ私を見つめる。窓から入る夕暮れの光に照らされて、どこまででも透き通っていた。
呼吸をするのも忘れてしまうほど、意識は彼の瞳に吸い込まれていった。
「……大丈夫?」
彼が放ったその一言で、自分の思考が遠くの方にいたことに気づく。
「あ、はい!」
動揺して少し声が裏返ってしまった。どくんどくんと自分の心臓が信じられないくらい、大きな音を立てている。もしかしたら、顔も赤くなっているかもしれない。
「ふふっ、びっくりしすぎだから」
肩を震わせて瀬戸君が笑い始める。さっきまで彼が纏っていた雰囲気が、ふわっと柔らかくなる感じがした。
「瀬戸君。あの、戻ってきてくれてありがとう」
「当たり前じゃん」
そう言いながら、微笑んだ。瀬戸君の顔を、こんなに近くで見たのは初めてだ。カッコ良い、と噂になるのが納得できる。
綺麗な輪郭に、すっと伸びた鼻筋、大きくて色素の薄い目はベージュの髪色が良く似合っている。
「そういえば早見さんって去年も図書委員会だったんだね。マニュアルの名簿に名前が載っていたからさ」
「あ、うん」
「最初は色々聞くかもしれないけど、よろしく」
そう言って瀬戸君は台車に積まれていた本を、パソコンの前に移動させていく。
その後ろ姿を見て、心の中で彼に謝罪をした。遊び慣れていそうだから、瀬戸君は不真面目で、委員会とかきちんとしてくれないだろう。勝手にそう思っていた自分が申し訳なくて、恥ずかしくなった。
*
<瀬戸side>
『今終わったから行くよ』
メッセージアプリにそれだけ送信して、目的地へと向かう。
図書委員会の仕事は思ったより早く終わった。だけど未玖が委員会を代わるなんて面倒なことを言わなければ、今日はまっすぐ家に帰れたななんて思う。
学校から徒歩圏内にある、彼女がいるマンションに着く。エントランスで部屋番号を押せば、自動ドアが開いた。何度も行ったことがあるから、迷わずに部屋へ進み、玄関扉にあるインターホンを押す。
「春翔!会いたかった!」
玄関が開くやいなや、体が密着する。未玖が俺に抱きついたからだった。
「待たせてごめんね」
思ってもいない言葉は軽々しく空気に溶けていく。彼女の頭を優しくポンポンと触れれば、ギュッと彼女が抱きしめる腕の力が強くなった。
「ううん…私が委員会代わるとか言ってごめんね。」
そう言って、顔を上げて見つめられる。いわゆる上目遣い。この顔をすれば、許してもらえる。そんな魂胆がチラついた。
「いーよ、気にしてないし」
「今から一緒に居られるから良いや。早く部屋行こう」
密着していた体がやっと離れる。
「親は?」
「今日は遅いみたい」
「ふーん」
「あのね、面白そうな映画見つけたよ。見よ……っ!」
廊下を進もうとした彼女の腕を掴んで、唇を合わせる。お互いに映画なんて見る気はない。突然の口づけも、抵抗はせずに彼女はすんなり受け入れる。
角度を変えて何度も唇を合わせながら、自分と同じくらい明るい髪に手を通す。人工的に色を抜いた髪は、指に絡まっていく。その髪を見ながら、さっきまで一緒にいた子ーー早見さんの黒髪が脳裏に浮かんだ。
長くて、真っ直ぐで、動くたびにさらさらと動く髪がとても綺麗だった。
(瀬戸side end)
*
瀬戸君と初めての図書委員会が終わって、家に帰る。電車に乗って、最寄駅を降りれば見知った人物がいた。
短めに整えられた黒髪は、爽やかな印象を与える。そして彼がグレーのニットを選ぶのは、中学の時から変わっていなかった。
「く、ろかわくん…」
最初は気づかないふりをして通り過ぎようと思った。近づくほど彼からの視線をひしひしと感じ、見ないフリができなかった。
「お疲れ様」
誰かを待っていたのだろうか、ホームのベンチから立ち上がると私と並んで歩き始める。
「別に此処は学校じゃないから、話しても良いだろ」
私と並んで歩き、改札を通りながら、彼はそう言った。心臓がどきりと跳ねる。彼の真面目なところは、ずっと変わらない。
高校に入学する前、一度だけ一方的に私から連絡をした。付き合っていたことを誰にも話さないから、知り合いじゃない振りをしようと。
私と黒川君は中学の時に付き合っていた。
元カノが同じ高校にいるのは、黒川君にとって負担だと思ったからだった。そんなお願いを黒川君は2年生になる今も律儀に守っていた。
「……何か用事でもあるの?」
1年以上守られた約束を破るほど、何かあるのだろうか。こんなこと今までになかったから、思わず聞いてしまった。
「学校で話さない、ってやつもう時効で良い?」
私を真っ直ぐ見て話す。表情から、黒川君の感情は読み取れなかった。
「え…っと」
「てか、話さないって言われる方が逆に気を遣って負担になる。」
はぁ、と今にでもため息が聞こえそうな言い方だった。
真っ先に感じたことは、また彼に迷惑をかけた自分への嫌悪感だ。その事実が重くのしかかる。私ってどうして上手くできないんだろう。
「そういうことだから」
何も言えずに固まっている私を一瞥すると、それだけ言って、黒川君は行ってしまった。




