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7-3

「はぁ……」


 思わず漏れたため息は、私の体を更に重くした。

教室の机の上に無造作におかれた袋には、先日黒川君と行ったホームセンターの名前が印刷されている。そのせいで、あの日の出来事を嫌でも思い出してしまう。

……真壁さん、黒川君と仲が良さそうだったな。二人の背中を後ろから見ながら、何度も感じた。


「買い出し大変だった?」

「…へ?」


 突然声を掛けられて、気の抜けた声が出てしまった。いつの間にか、隣に瀬戸君が立っていた。


「こうやってみると、買ってもらったもの多かったね」


 がさごそと、袋の中身を取り出しながら瀬戸君は言う。絵の具が入ったチューブや、筆が机に置かれていく。まず何を使えば良いんだっけ、と背を向けている川口さんに声をかけた。今私たちは、展示物作りの真っ最中だ。


「黒川との買い出し、大変じゃなかった?」


 じっと私の目を見て、問いかける。気を抜くと、色素の薄い瞳に吸い込まれそうになる。


「……大丈夫だったよ」


 瀬戸君の視線から逃れるように、無理やり笑顔を作る。私の答えに対して、瀬戸君は何か言いたげな顔をしていたけど、気づかないフリをした。


「俺も一緒に行きたかったな」


 私にしか聞こえない声で、瀬戸君は確かに、そう言った。その声は少し拗ねた色を帯びていた。


「二人はこれとこれ、使って塗ってもらって良いかな」


 少し気まずさを感じていると、川口さんからスポンジローラーと絵の具が入った容器をもらう。容器に入っている絵の具は、深い黒色だ。その色は、私の気分を映したような色だ。

 そして言われた通りに、キャンバスの上にスポンジローラーを滑らせていく。スポンジローラーが辿った道が、くっきりと夜空の色としてキャンバスに残った。


「良い感じ。そんな感じで塗ってて」


 私が作った道筋を見て、川口さんはそう言った。隣にいる瀬戸君も、同じようにスポンジローラーを動かしている。

 私と瀬戸君の間には、触れそうで触れない距離が空いている。その隙間さえも、私に熱を滲ませた。瀬戸君のいる左側の皮膚だけが、じりじりと熱い。

 視界の端で、瀬戸君の柔らかい髪がふわふわと揺れている。彼の手元で広がっていく夜空の色と、明るいベージュの髪色が真反対で、瀬戸君がキャンバスの黒に溶けてしまう気がした。


なぜか、今日の瀬戸君はそんな感じがした。


「早見さん、ちょっと手伝ってもらっても良い?」

「うん、わかった」


 キャンバスの色塗りの作業が一段落したときに、瀬戸君に声をかけられる。休む間もなく次の作業に移るようだ。


瀬戸君が向かった先は図書室だった。


 そして部屋のあちこちを、持っているメジャーで距離を測っていく。その中で私は、メジャーの端をもつ役割を任される。瀬戸君はてきぱきと数字を読み取って、ノートに書き込んでいった。


「瀬戸君、楽しそうだね」


 その姿に思わず、声をかけてしまった。


「結構、楽しんでる」


 一瞬驚いた顔で私を見たが、すぐにノートに視線を落とす。そのノートのメモから、瀬戸君はどんな世界を組み立てているのだろう。

 瀬戸君が作り出す空間に思いを馳せる。瀬戸君が走らせるシャープペンシルの音が、私の心臓の音と重なった。


「早見さんが賛成してくれたから、成功させたいんだ」


ーー右手に体温が重なった。

それはほんの一瞬の出来事だった。


 瀬戸君の指は、私の掌の下にあるメジャーを引き抜いていく。私はその様子を、ただただ見ることしかできなかった。

 瀬戸君は手際よくメジャーを片して、立ち上がる。手が触れたことに、気づいていないのだろうか。もしかしたら、瀬戸君にとっては、取るに足りないことかもしれない。


 どくん、どくんと心臓の音がうるさい。右手に触れた体温が、忘れたくないとでも言うように残り続けていた。

「あ、黒川今良い?」


 作業をしていた教室に戻ると、黒川君がいた。ばちっと目が合ったが、考えるより先に目を逸らしてしまう。


「瀬戸、何かあった?」

「今図書室の寸法測りにいったんだけどさ。」


 瀬戸君は作品の配置について、黒川君と相談し始める。私は口を挟む間もなく、手持ち無沙汰になった。


「なんかそこの二人盛り上がってるね。うちらは休憩しようか」


 同じく教室にいた川口さんに言われて、頷く。時計を見れば、短針は12の数字を少し過ぎていた。

近くのコンビニでお昼を買おうと、鞄を取りに行く。

 足元に生徒手帳が落ちていた。誰のだろう、そう思って開いてみる。瀬戸春翔という名前と、その次に目についたのは、生年月日だった。


瀬戸君の誕生日はどうやら、今日みたいだった。


 コンビニに着き、いつもは見ない冷蔵のコーナーへ行く。カップに入ったケーキが何種類かある。瀬戸君の好みは分からないけど、生クリームのものとチョコレートのケーキを一つずつ買った。


 学校に戻り、司書室に入る。文化祭の準備期間は自由に出入りができるようになった。司書室には簡易的な冷蔵庫があり、瀬戸君には気づかれないようにさっき買ったものをしまった。


 私は午後はパンフレット作りに取り組んだ。展示している作品の解説や、図書室の魅力を書いて、来場者に配るのだ。同じ教室では瀬戸君をはじめ、美術部の人たちと話し合いが行われている。瀬戸君は自然と、展示物の中心メンバーになっていて、展示物の配置や作業工程を整理しているようだった。






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