5-3
図書委員の仕事を終えて、教室に戻る。足取りは、今日の中で1番軽かった。教室に戻る途中で、廊下の掲示板が目に入る。
新入生のオリエンテーションの案内の掲示で、去年のオリエンテーションの写真も貼ってある。写真は有名な観光地である滝の前で撮ったクラスの集合写真だ。そこには私と理央が並んでピースサインをして写っている。
私と理央はオリエンテーションがきっかけで仲良くなった。写真を撮った滝がある場所までは、ちょっとした坂道を登って辿り着く必要があった。
その時私は貧血気味で、体調が万全でなかった。他の人より一歩一歩が重く、先頭の人たちとどんどん距離が空いていく。そんな私に気づいた理央は、ずっと私の側についてくれた。他のクラスメイトに置いてかれようと、構わずに私を気遣ってくれる優しさに心が温かくなった。
そんな優しい理央を、今度は私が大切にしなければならない。
教室に前まで来ると、扉の窓から人影が見える。誰かは判別ができず、そっと扉を開ける。がらがらと扉は小さな音を立てて開いた。
そこには偶然なのか、理央がいた。
理央は帰るところなんだろうか。机の上にカバンがポンと置いてある。
「理央…」
名前を呼ぶと気まずそうな顔をされて、顔を逸らされた。その態度に一瞬怯んでしまう。
『仲直りしたいなら、仲直りしたいって伝える。』
だけどさっきの瀬戸君の言葉が私の背中を押してくれた。
「理央、今話しても良いかな?」
勇気を出して、理央の目の前まで移動する。理央の指先が鞄のチャックの金具を摘んだり、弾いたりしているのが視界に入る。
「…何」
蚊が鳴くような小さな声で、理央は言った。ゴクリ、と唾を飲み込めば喉が締め付けられて細くなる。自分の気持ちを話そうとすると、緊張で手が震えた。ぎゅっと手のひらを握って、勇気を搾り出す。
「理央、ごめん」
静かな教室で、私の声は確かに響いた。ふぅと一度深呼吸をして息を整える。手の震えはいつの間にか止まっていた。
「私、理央の気持ちを考えていなかった。黒川君のこと隠していたことは、本当に申し訳ないと思ってる。……黒川君と付き合っていたことを口にするのは、まだ私にとって辛かった」
「自分勝手だってわかってるけど。理央が許してくれるなら、私また理央と一緒にお昼ごはん食べたり、授業一緒に受けたり、一緒に帰ったりしたい。理央と、仲直りしたい」
謝った後は、口が勝手に動いた。言いたいこと、全部言えた気がする。もし軽蔑されてもそれでも良いやと思えるほど、気持ちはすっきりした。
しんとした教室は、なんだか圧迫感があって体がきゅっとなる。目の前にいる理央を見ると、静かに流れる涙を手のひらで拭っていた。
なんの涙なんだろう。理央の考えていることがわからなくて不安が大きくなる。
「わ……」
理央が何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。これから浴びる言葉に、緊張感が全身を走った。
「わ、わた……しも」
震える声で理央はまた、話し始める。
「……私も、詩織と一緒が良い」
本当は、詩織と一緒じゃなくて寂しかったの。涙を流しながら、理央がそう言った。理央も同じ気持ちだったのかと思うと、安心して涙がぽろぽろと溢れた。どんどん視界がぼやけていく。
「理央、ごめ、っんね…ありがとうっ」
「私の方こそ、話せない詩織の気持ちを考えていなかったっ……」
嗚咽混じりの声で、お互いに言い合う。
「ううん。何も言わなかった私が悪いの……」
放課後の夕焼けに床が染まる教室には、私と理央しかいなかった。教室の白い壁には、二人分の人影が映っている。
「ねぇ、理央。私の話、聞いてもらって良いかな?」
本当はずっと誰かに聞いて欲しかった。言いたくなかったわけじゃない。私はただ、拒絶されるのが怖かったのだ。だけど大切な理央だから、私の醜い部分も受け入れて欲しいと思えた。
「うん」
「ーー中学の時に、黒川君と付き合ってた。」
「でもね、私はまだ黒川君のことが好きなの」
「え…」
私の二言目に理央が戸惑った声を上げる。当たり前だ。だって今まで私は、黒川君を遠い存在の人としていたのだから。
「じゃあ、別れた原因は…」
「私が振ったの」
「え、好きなのに振ったの?」
「うん…」
「待って!!どういうこと?!」
そう言った理央の顔には、なんでという文字が沢山出ている。頭を抱えて、戸惑っている理央の見ていたら、一気に緊張の糸が解けた。
「あのねーー……」
*
「詩織の話を整理すると」
ストローから口を離して、理央が話し始める。手にしているカップの中身のシェイクは、もう無くなりそうだ。
混乱し始めた理央に説明をしようとした時、ちょうど門が閉まる予鈴が鳴った。そのため私たちはファーストフード店に移動し、理央に中学時代の話をした。
「まず、黒川君を好きになった詩織が黒川君に告白して付き合うことになったと」
「うん」
「そんで、詩織が黒川君に告白をするきっかけが、黒川君が真壁さんっていう人が好きだったからなんだね?」
そう話しながら、理央の眉間に皺が寄っていく。人気者の黒川君は、デマも含めて色々な噂がありそうだけど、真壁さんの存在は噂になっていないようだった。
「そうそう」
「で、詩織が告白したら黒川君はオッケーして付き合うことになった」
「うん」
「でも、黒川君と上手くいかずに詩織から別れようと言ったんだね」
「……うん」
別れを決心した夏祭りの日、黒川君が真壁さんを目にした時を思い返す。黒川君の驚いた表情は、私の心臓を今でもちくりと痛ませる。
「それで別れて、ほぼ疎遠になったんだ。同じ高校なのに、話したりしなかったの?」
「卒業間際に一方的に私から、他人のふりをして欲しいって連絡したんだ」
「そうだったんだ。……全然気づかなかった」
理央は少し驚いた表情をしていた。
「……理央、黙っててごめんね」
「いや、もうこの事は謝るの禁止!私も詩織と黒川君のこと知らずに、無意識に傷つけるようなこと言ってたかもしれないし」
否定の意味を込めて、私は首を横に何度も振った。
「……それで詩織は、まだ黒川君のことが好きなんだよね?」
「ーーうん」
ノートを貸して字を褒めてくれたあの日から、私の中で黒川君が消えた日はなかった。今でもずっと、心の中に黒川君が棲みついている。
「……なんか、難しいね。」
理央が遠くの方を見て大きくふぅ、と息をつく。
「付き合えるのがゴールじゃなくて、むしろその先の方が大変なんだなって」
詩織の話を聞いて思った、と理央は言う。
私も、付き合えたら勝手に幸せになれると思っていた。けれども現実は想像と真逆で、付き合っていても気持ちが同じ温度じゃないことが、私の心を削っていった。
私はその現実に耐えられなかった。黒川君と別れることで、その辛さから逃げようとした。
「じゃあ、詩織はまた黒川君と付き合ってみたいって思ってる?」
「……どうだろう。わからないや」
人で賑っている店内は、いろいろな人たちの話し声でざわざわしている。ざわめきの中、私の言葉は弱々しく消えていった。
「お互い同じ好きの気持ちじゃないと、付き合ってもどちらかが辛く感じるから。黒川君と私が同じ気持ちにならないと、また失敗するんじゃないかなとは思う、かな。」
「確かにね。片思いは一人で完結できるけど、付き合うのは二人だもんね」
……そうだ。付き合って恋愛することは一人ではできない。
「でも。なんか意外だったな」
理央が残念そうな声で言う。
「黒川君、他に好きな人がいるのに詩織の告白にオッケーしたってことだよね」
「まぁ、そうなるよね」
「真面目でちゃんと好きな子と付き合って、彼女のこと大事にするタイプだと勝手に思ってた」
もし黒川君の好きな人が私だったら。あの時とは違って、大事にされているって実感できるのだろうか。もし黒川君が真壁さんと付き合うことになったら……そんな想像をしたら鼻の奥がツンとした。




